10分ちょっとの魔力
「にじさんじって、すごい『新次元の禁じ手』っぽい気がしないですか」
深い森から現れたような魔女の衣装に身を包んだ彼女はそう言った。その声は少し誇らしげにさえ聞こえた。
10月31日はハロウィンだった。子どもの頃は色々やっていた気もするが、社会人にとっては一平日に過ぎない。そんな中で月ノ美兎委員長が久しぶりに配信をするという投稿が流れてきた。彼女はしばらく前にエジプトに行った後に熱が出たとのことだったので、どんな配信をするのかと思っていたが、まさかの新衣装お披露目とのことだ。
夜の9時に配信が始まった。委員長はいつもの制服姿に6年前(2018年)のハロウィンで披露された魔女帽子を被って登場した。この帽子が登場すること自体極めて珍しいのだが、始めの30分は雑談をした後「ねるねるねるね」をその場で作り、さらにアレンジレシピを食べるという内容だった。なぜ、魔女とねるねるねるねが関係するのかというと、かつて魔女がねるねるねるねを作るCMがあり、それを使った動画がニコニコ動画で流行したというきっかけがある。
そして、いよいよ新衣装のお披露目となるのだが、ここで書くよりも配信を見てもらった方がいいだろう。
そして新衣装お披露目の後に委員長が発したのが冒頭の言葉である。「新次元の禁じ手」は歌ってみた動画のタイトルであるのだが、彼女はずいぶんとこの題名が気に入っているようだ。「にじさんじ」は一体何が「新次元」で「禁じ手」だったのか。それを知るにはバーチャルYouTuber黎明期に遡る必要がある。
「バーチャルYouTuber」(以下VTuber)という言葉は2016年12月にキズナアイがYouTubeで活動を開始した際に名乗ったのが」始まりとされている。2017年には「電脳少女シロ」、「ミライアカリ」、「バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん」、「輝夜月」などが活動を開始し、VTuberが拡大を始めた年である。前述の4名またはキズナアイ加えた5名を「バーチャルYouTuber四天王」と呼んでいた。この段階ではVTuberは3Dモデルが主体であった。手足を動かすことはもちろん、後ろを向いたりすることもできた。
以下の動画は電脳少女シロの自己紹介動画である。
そして2018年にいちから(現 ANYCOLOR)によるVTuberプロジェクト「にじさんじ」が始動する。その1期生としてデビューした8人のうち1人が「月ノ美兎」である。
これが月ノ美兎の初投稿動画である。にじさんじのライバーたちはそれまで主流であった3DモデルではなくLive2Dモデルを使用している。当時主流の3Dモデルに比べて動きは制限されており、顔の表情と体が少し動く程度であった。一方で、初期の生配信でも述べていたが、当時、委員長は洗濯機の上にiPhoneとノートパソコンを置いて配信をしていた。このように、にじさんじアプリを使うことでこれまでのVTuberと比べてはるかに簡単に配信を行うことができるようになった。このようなLive2DのモデルはVTuberにとっては「新次元」だったといえるだろう。しかし、当時としてはこのような配信活動を行うVTuberは一般的ではなく、これまでのVTuberの技術的発展に逆らうようなLive2Dモデルをつかったライバーを多人数デビューさせた「にじさんじ」は「禁じ手」を使ったように言われることもあった。
簡単に配信ができるということは配信頻度も増加するし、1回あたりの配信時間も長くなる。これにより、視聴者と配信者はリアルタイムで双方向のコミュニケーションを取りやすくなり、同時接続者数(同接)やチャンネル登録者数は増えやすくなる。一方で、配信終了後にアーカイブという形で見る場合、長時間のアーカイブを多数見せることは、視聴者にとっては負担になり、新たに興味を持ってくれた視聴者を逃してしまう恐れもある。委員長がそこまで考えていたのかはわからないが、自己紹介動画の次に投稿されたのがこの動画だった。
初期の生放送数本の面白い箇所を切り抜いて編集し、十数分の1本の動画としてまとめた「10分で分かる月ノ美兎」である。実を言えば僕が「月ノ美兎」という存在を知ったのもこのまとめ動画がきっかけだった。当時はこの動画がニコニコ動画にも転載されていて、それを見たのが最初の出会いだった。それ以前にもニコニコ動画などでVTuberという存在は知っていたが、これほど話が面白い人は初めてで、思わずチャンネル登録をしてしまった。
それから6年が過ぎ、僕は大学生から社会人になった。委員長は相変わらず16歳の高校2年生である。2022年ごろから委員長は動画を投稿する割合を増やすようになった。日常にあるちょっとした疑問の検証、散歩や旅行などの屋外での3D撮影、ほかのライバーたちと行う企画など様々なジャンルの動画が投稿されるようになった。それらの動画の多くは再生時間が10分ちょっとだ。忙しくてリアルタイムで見られなくても、動画は自分のペースで楽しむことができるし、見返して後でゆっくり感想を書くこともできる。委員長は今回の新衣装お披露目で「小さいころから魔女になりたかった」とも言っていた。月ノ美兎に出会い、動画や配信を見て、僕をはじめ多くのリスナーが楽しく生きるきっかけをもらっている。そして、その中には委員長に憧れてライバーとしての活動を始めた人たちもいる。それは「10分ちょっとの魔力」と言ってもいいだろう。少なくともそういう人たちにとって、彼女は魔女になれたと僕は思っている。
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