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白衣と『ガリレオ』(2)

 最近、東野圭吾のガリレオシリーズ最新刊である『透明な螺旋』の文庫本を買った。その本を読み終えた頃『ガリレオ』に関する記事を書いていたことを思い出した。そこで、以前の記事から半年近く経ってしまったが、2着目の白衣の話を書くことにした。

 高校受験では、理数科のある高校を第1志望として受験した。その高校は理数科と普通科を併願することができたので両方とも受験したのだが、理数科には合格せず、普通科に合格した。理数科に入ることができなかったのは悔しかったが、それでも憧れの高校生活への期待は膨らんでいった。

 こうして高校生活をスタートした僕は化学研究部に入部し、2着目の白衣を手に入れた。高校には物理、化学、生物、地学の4つの理系部活があり、部員の中には理数科の生徒も多くいた。僕は普通科なのでそんな場になじめるかどうか心配であったが、理系部活には普通科の生徒もいたし、なにより科学に興味がある人、科学が好きな人が自分以外にもいる空間を学内にもてたことは、その後の高校生活に大きな影響を与えた。

 同じころ、テレビドラマ『ガリレオ』の第2シーズンが始まった。相変わらず湯川准教授は白衣を着て研究室にいて、難解な数式を黒板やその他いろいろなところに書いて事件を解決していた。高校生ともなると、あんなに数式を書く行為はさすがにドラマの演出だということはわかっていたが、それでもやはり恰好よく見えるものだ。僕も放課後の部活の時間になれば、学ランの上に白衣を羽織り、実験をしては黒板に構造式や化学反応式を書いたり、自腹で買った分子模型を持って行って組んだりしていた。白衣を羽織って黒板に書けば、チョークの粉で学ランが汚れることもないという点では、白衣は保護という本来の役割を果たしていたと言えるかもしれない。
 部活動では個人でテーマを決めてそれを年に何度か発表することが主な活動だった。その他にも、部活では科学館で子ども向けに分子モデルを作る体験教室を実施したり、文化祭ではテルミット反応や液体窒素など、迫力ある実験ショーを行ったりしていた。ちなみに、『ガリレオ』シリーズでは短編のタイトルが特徴的で、例えば『落下る』(おちる)、操縦る(あやつる)など『○○る』(○○は漢字2字の熟語)というものが多く、文化祭の実験ショーの名前を決める際にはそれをオマージュして命名した。
 僕はそれまで有機化学に特に興味を持っていたのだが、活動場所が近かった生物部との交流が深まると、化学と生物の両方の分野に関係する薬学に興味を持ち始めた。薬や毒もその多くが有機化合物であるし、そんな小さな分子が生物の体に大きな影響を与えることに強い関心を持つようになった。

 また、科学好きな人が集まる環境ということで情報も集まりやすくなり、科学の好きな高校生向けのイベント(大会)の存在を知り居つくかには参加した。例えば「科学オリンピック」は物理、科学、生物、地学など各科目ごとに大会があり、国内大会を勝ち抜くと国際科学オリンピックとして世界大会に出場することができる。校内でも各分野の大会に挑戦する生徒は多く、僕は化学分野の国内大会である「科学グランプリ」(化グラ)をに毎年挑戦した。結局、本選出場はならなかったが2年生の時に関東支部の奨励賞をもらうことができた。その他、各学校ごとにチームを編成し理科・数学・情報分野で筆記と実技の競技を行う「科学の甲子園」にも挑戦した。この大会では県予選を勝ち抜いた学校が全国大会に出場することができるものであり、例年今頃多く都道府県で予選が行われている。僕もこの大会のメンバーとして、理系部活の同級生や理数科の生徒とも協力して予選に挑み、2年生の時に全国大会に出場することができた。これらは競技科学ともよばれるもので、大学以降の学術的な研究活動とは異なるものであることには留意しなければならないが、それでも全国に自分と同じように科学に興味を持っている同世代と切磋琢磨し交流できるという意味では意義深い経験であったと思う。

 このころになると、将来自分が研究者になるためには大学に進学し、さらには大学院で学位を取得する必要があるということがわかってきた。その頃の僕は大学の学部生向けの教科書を買って読んでみたり、高校のプログラムを利用して大学の研究室や理科学研究所、KEK(高エネルギー加速器研究機構)などの実際の研究現場を見学したりもした。

 高校時代にはいろいろな経験もしたし、自分は優秀な人達がたくさんいる環境にいるのだから大学受験も何とかなるだろうと思っていた。しかし、物事はそううまくいくわけもないのであった。

追記:高校時代の研究活動については長くなりそうなので別記事で

 


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