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夜更けの街で

 2024年9月21日夜の10時過ぎ、僕は釧路の繁華街のとあるカラオケ店の一室にいた。大きなモニターには目もくれず、マイク代わりに握られたスマホの画面で京都旅行の動画を見ている。ここが今夜の宿代わりだ。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。話はおよそ1か月ほど前に遡る。

 東根室駅が廃止されるかもしれない。お盆も過ぎた8月後半にそんなニュース記事を目にした。東根室駅は現時点で日本最東端に位置する駅である。僕は学生時代に日本最北端の稚内駅と日本最南端の西大山駅に到達したことがある(モノレールも含めれば沖縄県のゆいレール赤嶺駅が最南端、那覇空港駅が最西端)。9月の半ばを過ぎても30℃以上の暑い日が続く日々にうんざりしていた僕は、夏季休暇の残りを使って本州の暑さから逃げ、なくなるかもしれない最東端の駅を目指すことにした。

 初日はまず北海道新幹線で青函トンネルを通り新函館北斗駅へ向かった。実は僕が初めて北海道へ行ったときは、まだ北海道新幹線は開通しておらず、新幹線で北海道へ渡るというのがこの旅最初の目的でもあった。新函館北斗駅に降りると、少し涼しさを感じ、気候の面からも北海道に来たことを実感させられた。ここで特急北斗に乗り換え、長万部駅へと向かう。駅を発車してすぐに、北海道新幹線の工事現場が見えた。現在、北海道新幹線は新函館北斗駅が終点となっているが、2030年度に札幌駅まで延伸する計画である。列車から見る限り高架橋などの工事は進んでいるように見えたが、トンネル工事が難航している場所もあり、計画通り開業できるかは厳しい状況らしい。

新函館北斗駅を出てすぐの北海道新幹線の工事現場

 長万部駅からは倶知安経由(山線)で札幌駅へ向かう。日が傾き始めた長万部駅に降り立つと空気は肌寒く、持ってきた上着を着ることにした。山線は建設中の北海道新幹線のルートと概ね同じであるが、特急は運行しておらず、1両のローカル列車を乗りとおすことになった。乗客は地元の学生と観光客が半々くらいで、学生たちは途中の駅で少しずつ降りて行った。途中の倶知安駅では多くの乗客が入れ替わり、列車は小樽駅に着いた。小樽駅からは電車に乗り換えて1日目の宿泊地である札幌駅に到着した。

1両のローカル列車

 2日目はいよいよ最東端へ向かってひたすら列車を乗り継ぐ。まずは、朝一番の特急おおぞらで釧路駅へ向かった。人家も疎らな朝の北海道の山中を、ディーゼルエンジンを唸らせながらどんどん進んでゆく。駅と駅の間隔は信じられないほど長く、しばらく眠っていたと思っても1駅しか進んでいないようなこともあった。

雄大な自然の中を通過する

 釧路駅には昼過ぎに到着した。ここから根室まではさらに120kmほど距離があるが、特急は走っていない。乗り換えた2両編成の列車はほとんどが観光客だった。列車は太平洋を横目に平原を駆け抜けてひたすら東へ進む。

車窓から見える太平洋

 そして、日本最東端の駅である東根室駅が迫ってきた。これが今回の旅の大目的の1つである。しかし、僕が乗っていた快速列車は、東根室駅は通過してしまう。そこでスマホの連写機能を使って何とかその姿をとらえることができた。

東根室駅の「日本最東端の駅の碑」

そして、列車は終点の根室駅に到着した。根室駅からは路線バスに乗り換えて40分ほどかけてさらに東の納沙布岬を目指した。

根室駅まで乗ってきた列車

 納沙布岬は現在一般人が通常の手段で訪れることができる日本最東端の地である。以前宗谷岬に行ったときは非常に風が強かったが、今回の納沙布岬は風はそれほど強くなく、北方領土の島々を間近に眺めることができた。納沙布岬にはたくさんの碑が立てられていたが「最東端の地」と書かれているものは少なく、北方領土返還の拠点としてアピールしていることを強く感じた。

納沙布岬の碑「最東端」の文字はない

 思い返せばこのころから少し不穏な空気があった。納沙布岬から根室駅へ帰るバスを待っていると、急に雨が降り始めた。幸いすぐにバスが来たのであまり濡れずにすんだのだが、その後もしばらく雨は降り続いていた。帰りの釧路行きの列車は1両編成で、乗客は20人ほどだった。列車は何度かシカにぶつかりそうになって急ブレーキをかけたり警笛を鳴らしたりしていたが、時刻通り走っていた。しかし途中の厚岸(あっけし)駅で止まった列車はそのまま進まなくなった。しばらくして運転士の案内があった。それによると、どうやらこの先の線路で異常が発見され、点検には時間がかかるとのことだ。そして、我々乗客に目的地を聞いて回り始めた。2日目のホテルは帯広に予約しており、この列車から釧路で特急に乗り換えて帯広まで向かう予定だが果たして間に合うのか。
 そうこうしているうちに日は傾き始め、ついに恐れていた放送が入った。点検作業に時間がかかるためのこの列車は運転を打ち切り、タクシーによる代行輸送を行うようだ。タクシーは19時頃駅に到着し、釧路駅までは送迎するがその先に行けるかは未定とのことであった。タクシー到着まではまだ時間がかかりそうだし、帯広行きの特急に乗ることは不可能となった。絶望的な状況でX(旧Twitter)を開くと、今夜月ノ美兎委員長の動画が公開されるとのことだった。旅程の大幅な変更が避けられない中、もはやこの動画を見るのが今晩の唯一の目標となった。そして乗客たちは列車から降りて駅の待合室に移動した。代行タクシーは19時過ぎにやってきた。小さな駅に何台ものタクシーが列をなして止まっているのは何とも奇妙な光景だった。

厚岸駅で列車から降りる乗客たち

 乗客は目的地ごとに別れ、4人ずつタクシーに乗ることになった。僕は帯広まで行く予定だと伝えたが、釧路行きのタクシーに乗るように言われた。見ず知らずの人と突然同乗したタクシーは真っ暗な夜の北海道をひた走る。路肩を知らせる下向き矢印と距離を示す青い看板だけがここが道路であることを教えてくれる。釧路まで40km以上、帯広までは150km以上ある。その表示を見て改めて北海道の大きさに驚愕させられた。街中を除いて信号はなく、タクシーは釧路の市街地周辺までほとんど止まらずに走り続けて20時頃釧路駅に到着した。しかし、19時27分発の帯広行きの最終列車は駅を離れていた。駅員に相談したが、今日帯広方面へ進む手段はもうないと言う。

 僕は帯広での宿泊を断念し、ホテルへキャンセルの電話を入れた。理由を伝えると、丁寧な対応で全額返金してくれるとのことだった。そして釧路駅周辺のホテルをめぐり、今から泊まれないかと尋ね歩いた。しかし、3連休の中日の20時も過ぎた頃に現れた客に提供できる部屋などない。駅前を諦めてしばらく歩き繁華街へと向かう。静かな駅前とは対照的に、繁華街は飲み屋やクラブの客で賑わっていた。そこでもホテルに空き部屋はなく、僕はコンビニで買ったパンを持ってもう一度駅の方へ戻り、駅の待合室で夕食代わりにパンを食べた。こうなったらネットカフェかカラオケで夜を明かすしかない。検索してみたところ、釧路駅周辺にネットカフェはないが、繁華街にカラオケ店はあることがわかった。再び繁華街に向かって歩き、ようやくカラオケ店を見つけたとき、時刻は22時に迫っていた。
 「フリータイムは23時からですがどうしますか」そう尋ねられたが僕は迷わず「今からすぐで大丈夫です」と言った。一刻も早く体を落ち着けたかったし、なにより委員長の動画が始まってしまうのだ。しかし、部屋の掃除などもあって、実際に入室できた時には22時を過ぎていた。こうして、話は冒頭の場面に戻る。動画の内容は彼女が「甲子園の土で泥団子を作る」という企画のために京都に砂を取りに行った時の旅行の動画であった。詳しい内容は冒頭の動画を見てほしいのだが、まず委員長はパーカー衣装で登場した。この衣装は今年5月にお披露目されたもので、僕はその配信を見た翌日に山形に行った。そして今回は旅行中にこの衣装の動画が公開されるという、不思議な縁を感じた。

 そしてこの動画内で最も印象に残った言葉がある。「さっきから歩いてて…5分に1回くらいは楽しいことがある…」これは京都の河原を歩いていた委員長が発した一言である。僕はこれまで何度も旅行をしたことがあるが、宿にたどり着けなかったのは今回が初めてだった。計画は崩れ、本来泊まるはずのなかった街で夜を明かすことになった僕にこの言葉は強く響いた。楽しいことは自分から見つけていこう。せっかく釧路に降り立つ機会が生まれたのなら、明朝この街を離れる前に少し歩いてみよう。動画を見終わった僕は、周りから歌声が響く中で明日の計画を練り直しながらそう思った。椅子に横になって眠りについたのは午前2時頃で、フリータイムは4時半で終わるのでその少し前に目を覚ました。

 朝4時半の釧路は日の出前で、繁華街の店も静かだった。9月の朝とはいえかなり寒い。駅へ向かう道もほとんど人はいない。10分ほどで駅舎の前に着いたが、開くのは5時20分からなので、まだ40分近くある。辺りを少し歩くと、駅舎の脇には反対側へ向かうための地下通路があった。寒さをしのごうと階段を降りると、地下道の壁面に絵や写真など様々な芸術作品がびっしりと展示されていた。誰もいない通路に自分の足音だけが響く。そんな空間で抽象的な作品たちを眺めていると、異空間に迷い込んだかのようであった。

地下通路に美術作品
反対側への階段

 調べてみると、ここは「釧路地下歩道美術館」として障害のある人やプロのアーティストなど様々な人の作品を展示しているようだ。

 気が付くと時刻は5時20分に近くなっていた。階段を登ると外はすっかり明るくなり、駅舎の入り口も開いた。そして僕は帯広行きの始発列車に乗った。釧路駅を出てしばらくは起きていたが、次に目を開けると列車は十勝地方の大地を走っていた。睡眠不足もあってか記憶もあまり定かでなく、昨晩釧路で夜を明かしてから夜更けの地下道で美術作品を鑑賞したのがまるで夢なのではないか思えてきた。

早朝の釧路駅

 列車は8時半過ぎに帯広駅に到着した。帯広駅は高架化されていて、近代的な駅舎だった。駅前の温度計を見ると気温が15℃くらいで、上着を羽織ってちょうどいいくらいであった。そこから市街地中心にある六花亭の本店に行き、お土産をたくさん購入した。最後に、帯広から南千歳までの特急とかち号で帯広名物である豚丼の駅弁を食べた。箸袋には十勝地方では豚肉が食用され、ウナギの蒲焼きをイメージして考案されたと書かれていた。確かに甘辛いタレと山椒がかかった豚肉がご飯に乗った姿はウナギの蒲焼きに見えなくもない気がしてきた。

豚丼の駅弁

 今回の旅行では想定外の事態も起きたが、その中でも自分なりに楽しみを見つけようという心持ちの大切さが身に染みた。十勝地方には雄大な自然と開拓の歴史、文化、食べ物などさまざななものがある。それを感じられるのは有名な観光地だけでない。列車やバスの沿線の風景からもその街の産業、動植物、気候などあらゆるものを感じ取ることができる。知らない街を自分の足で歩くことでしか気づけないこともある。委員長の動画は10分から20分程度で見終わるものが多い。そして画面から目を離した後、自分も何かしてみたくなる。そんなところが彼女の動画の魅力であると僕はつくづく感じている。

 ずいぶんと遅くなってしまったが、9月24日は月ノ美兎委員長の誕生日である。お誕生日おめでとう!

追記 この旅行から帰ってきた後、数日間風邪をひいていたため記事を書くのが遅れました。乾燥したカラオケで夜を明かすのはお勧めしません。



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