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本当の自分に出会う旅インド【2010年】その3

その2の続きです。

話は前後するんですが、そんなこんなで大学卒業して東京に就職が決まりました。就職先を探すのももう仕事でやりたいことなんてさっぱり検討つかず、いろいろ受けて不動産会社に内定が出ました。大阪で受けて大阪勤務だと思っていたのに、今年から女性の建築営業を採用する!とのことで大阪採用の中から一人東京に決まってしまったのです。
 
今思えば東京に行くようになってたんでしょうね、そのときは「東京なんて恐ろしい。すべてビルでスーパーとかないんじゃないか?」って本気で思ってましたからびびりました。
 
東京で会社に入ってみれば、そこは本社の中にある営業部で女性営業部隊として10数名が採用されていました。地方出身者も多くすぐ仲良くなりましたが営業はきつく4ヶ月でダウン、社長からなぜかかわいがられていたので、役員秘書業務に移動となりました。

そこで多くの同期の仲間ができて東京生活は楽しかったです。温泉にスキーに飲み会に、海、次々とイベントを考えて遊んでいました。当時の上司発ちにもかわいがられてしょっちゅう飲みに連れて行ってもらっていました。そのときの同期や上司とは良好な関係が続きました。
 
ただ、そんな生活も1年が過ぎ、みな違う部署へどんどんと移動していきました。この会社にいても将来がないと思い、とにかくやめることにしました。在職期間は2年半です。
これから自分のやりたいことも特にないし、どうしよう・・・。悩みました。
 
でも昔から海外に一度は住んでみたい、語学ができるようになりたいという気持ちがあって、仕事をしながら中国語教室に通っていたこともあり、中国へ3ヶ月だけ短期留学することに決めました。

25歳の時です。3ヶ月たったらおとなしく東京に帰ってきて就職先を探そうと思っていました。
 
そのときはまさか中国にこんなに長くいることになるなんて夢にもおもってませんし、相当びびってました。中国は旅行でいったことはあるとしても
自分の選択は正しいのか、こんなことやって帰ってきてお金もなくなって就職先もなかったら私どうしたらいいのでしょう?なんて・・・
 
結局雲南省の大学付属の語学学校に行って、最初の3ヶ月は中級クラスに入っていたのですがまったく授業についていけません。それもそのこと、日本で大学時代に第二外国語で勉強して、その後語学学校に週二回行っていたといったって、きちんと勉強していません。基礎ががたがただったのに、その上から積み上げようとしても積みあがらないのはあたりまえです。
 
中国に来てはみたものの、ぜんぜん中国語も上達しないし、どうしよう・・・と行き詰っている時に、一人でいった観光地でドイツからの旅行者に出会いました。

「僕明日から大理にいくんだけど、いっしょにいかない?」と言われ、授業をやすんで気晴らしに旅行に行くことにしました。結局大理でその人とは別れ、大理から麗江、麗江からシャングリラと韓国人グループと旅行しました。

少し気分が晴れて、昆明に戻りその学期が終わり冬休み。タイ人のクラスメートの帰省にくっついてタイに行くことになりました。タイの北部には中国語が分かる人もいます。自分の下手な中国語でも簡単な交流は十分できました。日本人の写真家の人に出会い、いっしょに少数民族の村を訪れました。彼は私がいると中国語で彼らと交流できるし、皆心を開いてくれるから助かる、勉強をつつけるのを迷っているなら、もうすこし続けてみたらどうか、と言われ、雲南に帰ってもう少し勉強してみよう・・・という気持ちになりました。
 
昆明に帰って素晴らしい先生と出会います。この先生がいなければ今の私はありません。先生は教えるプロ、私のレベルを見抜き、私は初級からもう一度先生について勉強しなおしました。先生について4ヶ月足らずでHSKの7級に受かり、先生の孟特訓のおかげで8級も受かりました。
 
今では思いますが、必要な出会いって準備されているものだと思います。自分が心から強く願えばそしてそれが必要なものであれば必ず叶うのです。


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