富海の歴史 壱
幕末維新のイメージが強い「富海」ですが…
脇古墳があることから、かなり古い時代から人々が住んでたようです。
山間の小さな村ですが港もあり、時代時代の要となってきました。
源平合戦で逃げてきた落武者が隠れてたとか…
いろいろあります。
末田・堀越と富海の間に茶臼山があり、そこに旧山陽道が
通っています。
橘坂を上って少し進むと手掛岩があり、この岩で手を掛けて休んだとか、岩をなでると足が軽くなったとか言われています。
さらに進むと開けた場所に着きます
この辺りが茶臼山古戦場跡で、陶晴賢に滅ぼされた大内氏は
大友氏のもとに逃れていたが、大友宗麟と毛利元就が北九州覇権を巡り
戦っていた隙に大内輝弘は大内氏再興しようと山口に攻め込むが
失敗に終わり、富海で毛利氏の軍勢に囲まれ茶臼山で自刃。
大内輝弘の霊を祀った石祠があります。
ここから先はまだ行ったことはないのですが…浮野峠があり牟礼に出られるようです。
富海の西の端の様子はこんな感じです。
こんなふうに富海の風景と共に歴史をご紹介して多くの方に知っていただけたら本当に幸せます。
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