Apple vs. Apple 2つのAppleの争いー Apple(アップル・コンピューター)とApple Corps.(アップル・コア)の長い戦い note-8回目の投稿
今回は僕のnoteでの初のオリジナル記事投稿という「テイ」ですが、実はやはり以前Quoraに投稿した過去の回答を加筆訂正したものです。
Quora での元の質問文自体が次のようなものでした。
質問「スティーブ・ジョブズはどうやって、iPhoneの名前を使えるようにシスコを説得したのか?」
僕が回答作成した時点では、この質問への明確な回答が既にあり、僕の作成した回答は質問とはあまり関係ないものになっているので、
今回のnote投稿では改めて、一つの記事としてのタイトルをつけました。
僕の回答は以下の通りです。
『質問ありがとうございます。
この質問に対する直接的な回答は、John Heyer(Quora英語版ユーザー)さんの回答をMihara R (Quoraユーザー)さんが翻訳したものを参照してください。
またAppleの「名前」に関しては、他にもいくつか興味深い経緯があります。
例えば最近人気の『iPad』ですが実は、
富士通アメリカ法人が、2003年にiPADという綴りで商標出願しています。
詳細は下のリンクを参照。
AppleのiPad第1世代は、2010年発表。
富士通のiPADは7年前の2003年3月に商標の出願を行ったが、登録されていなかった。その後、アップルに商標を譲渡することで合意しました。
また、Apple Watchが「iWatch」ではない理由については、
※これは記事を書いた池田純一さんの考えです。
それともう一つ、『Apple』という会社名ですが、音楽好きなら誰もが思い浮かべる別の会社があります。
Apple Corps.(アップル・コア) ー ビートルズメンバーが設立したいわば「エンタメ会社」1968年設立。
アップル・レコードは、Appleコアの中のレコードレーベルのことです。(1968年設立当時はビートルズ自体の版権は、イギリスではEMI傘下のパーロフォン、アメリカではキャピトル)
ここで特筆すべきは、アップル・コアには設立当初、
エレクトロニクス ー「家電業界に革命を起こす事を目標にデザイン性の高い家電の製造販売」部門があったこと。
1976年、スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック、ロナルド・ウェインが、
Apple Computer,Inc.を創設。
ウォズニアックは、このApple Computer incと言う社名はジョブズが不意に提案してきたもので真意は不明だとした上で、
「彼は音楽好きであったので、アップル・レコード(ビートルズのレコードレーベル)から思いついたのかもしれない」と語っている。
この二つのAppleは商標をめぐって、1978~2006にかけて何度か法的に係争しています。
俗に言う"Apple Corps v Apple Computer"『アップル対アップル訴訟』です。
以後この回答では便宜上、
アップル・コアを「英Apple」
アップル・コンピューターを「米Apple」
と呼びます。
第1次係争 1978~1981
主に Appleの社名と事業内容を巡っての係争。
このときは英Appleが勝訴。米Appleの支払い金額は8万米ドル。(約845万円)
和解の条件として、「米アップルは音楽事業へ参入しないことに同意し、英アップルはコンピュータ事業へ参入しないことに同意した」
以後第二、第三の係争は主に、米Appleが「音楽事業に参入しないことに同意」に抵触するような新製品を巡っての係争。
第2次係争 1986~1989
1986年 米アップルはそのコンピュータに MIDI 機能と自動録音機能を追加し、さらに有名なシンセサイザーメーカーであるエンソニック の特製 5503 型サウンドチップを Apple IIGS シリーズに組み込んだ。
1989年 英アップルは1981年の合意に違反しているとして再び訴訟を起こした。
この第2次係争は結果的に、
Apple ⅡGS
・非常に利益が見込めた Apple II シリーズのそれ以上の開発。
Commodore International AMIGA
・Amiga(当時コモドールが発売していたパーソナルコンピューター) の競争相手としてマルチメディア分野へ進出するというその時点でのもくろみ。
・Macintosh シリーズにさらに高度な音楽用ハードウェアを将来内蔵させるという計画。
それらはこの訴訟の結果、事実上無に帰した。
第3次係争 1991
米アップルの従業員ジム・リークスは Macintosh の OS に Chimes (チャイム)という名前のサンプリングされたシステム用サウンドを搭載しようとしたが、同社の法務部は英アップルとの合意を引き合いに出してそれを禁じた。
リークスはサウンドの名前を sosumi に変え、これは音楽とは無関係の日本語だと言い張ったが、実際のところそれは発音上 "so sue me"(さあ訴えてみろよ)と読めるものだった。
米アップルは物理的な音楽素材を「製品化・販売・頒布しない」ことに合意していた。
そして第4次係争 2003~2006年
今回は米アップルの iTunes Music Store の構築と運用における Apple ロゴの使用に関して契約違反があった。
英アップルが主張するところでは、前回の合意を侵犯しているというものだった。
2006年5月8日、法廷は米アップルの主張を認める採決を下した。
マン裁判官は「商標についての合意に対する違反は結局立証されなかった」と述べた。
英Appleのマネージャーであるニール・アスピノールは、この判決を受け入れないとした上で、控訴院へ上訴。
翌2007年1月 初代iPhoneのプレゼンテーション
iPhone 2007 Presentation Steve Jobs(HD)
初代iPhoneのプレゼンで、ビートルズのサージェント・ペパーズから数曲を実際に流しています。
このプレゼンで使用されたビートルズの曲
With A Little Help From My Friends.
Lovely Rita.
このプレゼンでの一番の話題はもちろんiPhone登場だけど、
『iTunes発足以来配信がなかった、ビートルズの楽曲がついに解禁か?』
と言う期待も膨らんだ。
それから1ヶ月後、
2007年2月5日、米アップルと英アップルは、その商標をめぐる係争が決着したと発表した。
それからさらに3年経過。
2010年11月16日、米アップル、EMI、英アップルの3社は、iTunes Store にて『ビートルズ』の楽曲を音楽配信するとプレスリリースで発表し、即日音楽配信が開始された。
ビートルズの楽曲がiTunesで配信されるまでには、以上のような歴史と背景がありました。
Apple iPod + iTunes AD Paul McCartney 2007/06/15
ビートルズの元メンバーであるポール・マッカートニーがAppleのiPod + iTunes CMに出演したのは2007年6月。
この時点でビートルズ楽曲のiTunesでの配信はまだだったけど、ポール他3人の元メンバーのソロ曲は既に配信されていた。
タイミング的には、同じ2007年に、
・1月 ー 初代iPhoneプレゼン
・2月 ー 米Appleと英Appleの商標をめぐる係争の和解合意発表
・6月 ー ポール・マッカートニーのiTunes CM出演
となります。
Making of Dance Tonight iTunes TV Spot.Paul McCartney
Dance Tonight.Paul McCartney ft.Natalie Portman
※本文とは関係ないけど、ポールのiTunes + iPod CM曲のオリジナルPV。ナタリー・ポートマンも出演してます。
初めは社名が同じだったことから始まり、
以降はコンピューター業界が「音楽コンテンツ」を扱うとこについての音楽レーベルとの軋轢と言っていいと思います。
2003年、ついに登場したiTunes + iPod(主にiTunes Music Store)をめぐっての係争は単にビートルズの楽曲の版権問題にとどまらず、
音楽業界とコンピューター業界の新しい音楽販売、配信と言う形態に絡んでの係争の縮図です。
注目すべきはやはり、ビートルズのiTunesでの配信が始まって(2010年11月)から現在までは、10年しか経っていないということ。
Apple Music CM 2019
その間に時代は音楽ダウンロード配信から、ストリーミング配信へとすでに移行しています。
その他、設立当時Apple Computer inc.だった社名がAppleと言うシンプルな社名に変わった理由などもあるのですが、長くなってしまうので、
別の機会にしようと思います。』