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爬虫類脳クリスチャン

マウント気質にもやもやした一日


こちらの記事で、公務員を勧めてきた人(Yさん)について書きました。

  今日、仕事中、彼からもらったメールと、そこに含まれるマウント気質なトーンが、時々、浮上してきて、気分が滅入りそうになりました。

  呼吸法とマントラで対処しました。

相手の背景や事情を考えないのは爬虫類脳

 彼は、私がどうして最初の会社から二社目までにブランクが4年あったのかとか、最初の会社をなぜ辞めざるを得なかったのかとか、プロセスで見ず、表層の結果(履歴書の記述)しか、見ていませんでした。

 ゆたかさんの「爬虫類脳と人間脳の違い」を再読していて、Yさんの見方は爬虫類脳の発想そのものだと気づきました。

 爬虫類脳は、「脊髄反射でインスタント否定」だと、述べられています。

 爬虫類脳多用者は、「相手の気持ちに寄り添って、相手の目線で考える人間的優しさと思いやり」が欠如しています。

 だから、私の経歴について、人事の人から見たら、「当人に何らかの資質上問題があった(例えばメンタル的な問題で辞めたなど)と推察します。」などと言えるのでしょう。

 この言い方は、「人事の人なら、多分こう思うだろう」という仮定で述べてはいても、Yさん自身が暗に「あなたは精神が弱い」と示唆しているも同然の言い方です。

 非常に、まずいことを言っている自覚が、多分、この人にはない。

 相手の事情を想像できる人間脳の人なら、少なくとも、もっと配慮した言い方をします。

 「メンタルの問題があった」という言い方はしないはずです。

 今はそれを克服していたとしても、言われた方は、かなり胸にグサッと来るのが、人間脳の人ならわかるからです。

毒=相手の気持ちや、言い分や、立場を無視したもの

 ゆたかさんは、別の記事で、「相手の気持ちや、言い分や、立場を無視したものが毒」と述べています。

 まさに、Yさんが私に送ってきたメールの内容は、「毒」です。

 私の気持ちや言い分、立場、事情を全部無視して、一方的に、「あなたの公務員についての見方は一般に比べて少しズレている」と言ってくるのが、毒でなくて何でしょう。

自分以外の家族は公務員

 若干説明しますと、私の両親と兄夫婦は公務員です。

 567前からですが、公務員というのが、ひどく自由から程遠い職業だという漠然とした印象を抱いていました。

 567騒動で、それが顕在化しました。

 元々、興味はそんなになかったものの、今ほど、敬遠したい職業だったわけではありません。

 でも、母と兄夫婦が枠珍打ってしまって(父は5~6年前に他界しています)、しかも、私の言うことは全否定でしたから、「公務員って、やばいんじゃないの?」という思いが強まってしまいました。

 自分の体内に、初めての製法で作った薬を、医者・政府・マスコミが「打て」と言うから打ってしまう人たちが、国家や自治体で働いているこの国に、心底、恐ろしさを感じました。

 しかし、これをYさんに話しても、余計に頭おかしい認定されたでしょうから、これは言えませんでした。

 そうでなくても、「何か理由があって、jacobさんはこう考えているのかもしれない。そこには触れないでおこう。触れるとしても、慎重に行こう」というのが、人間脳が使える人の発想です。

 そうではなくて、「あなたには、公務員以外の道がないのだから、何とかそこに行けるように頑張れ」と言ってくる。

 私の気持ち・事情は全無視です。

 むしろ、「あなたの事情なんて知ったこっちゃない。事情をどうこう言える立場なのか?甘ったれたことを言うな」、というのが爬虫類脳の発想です。

 宇宙の法からすると、この方があり得ませんが(笑)

深い交わりがないのに、兄・姉と呼ぶ気持ち悪さ

 Yさんと私は同じ教会のメンバーです。

 クリスチャンは互いを兄弟姉妹とみなします。神の家族のメンバーということです。

 ただ、元々赤の他人ですから、血縁の兄弟姉妹のような間柄ではないわけです(ここでは、仲のいい兄弟姉妹を御想像ください)。

 私の所属教会は、互いに「木村兄」とか「小野寺姉」という風に呼び交わします。

 でも、こういう呼称をいくら使っても、その実体としての交わりがなければ、上っ面に過ぎません。

 もし、誰かを「兄」とか「姉」と呼ぶなら、最低限の敬意があってしかるべきです。

 Yさんは、私より年上で、それでも教会の便宜上、私に「○○兄」とつけて呼びますが、本音の部分で敬意がなかったことが今回の件で、わかりました。

 人間脳からすると理解に苦しみますが、爬虫類脳多用者だと、わからないのでしょう。

 私はこういう偽善が大嫌いなので、教会では、全員ほぼ一律で「さん」で通しています。

 少なくとも、サイコパスや、爬虫類脳多用者など、兄弟姉妹でも何でもないと思っています(笑)

 観察力があれば、「この人は、この教会の大多数がやっている振る舞いを敢えてしてないんだな」とわかるはずですが、多分、そこまでの人はいないように見受けられます。

相手をバカにしているから言えること

 「公務員にやりがいが感じられないなら、普通は山ほどある公務員志望動機のやりがいを集めてみては?」という言い方は、相手をバカにしていなければ言えない。

 なぜ私が公務員に興味がないのかという理由や背景を考えようとせず、一方的に、「やりがいを集めてみては?」とよく言えると思います。

Yさんへの違和感の正体が露になった

  今回の一件で、以前から薄々感じていた、Yさんへの違和感の正体が見えてきました。

  567前から、「ちょっと、それは、クリスチャンとしてどうなの?」という発想は見え隠れしていました。

  つまり、見えているもので判断して、背景・事情・理由を想像しようとか、また自分の前提を問い直そうという姿勢に乏しいのです。

  「見えるものではなく、見えないものに目を向けよ」と、教会で言っているにもかかわらず(笑)

 こういうクリスチャンはかなりいます。

 「見えないものに目を注げ」と言いながら、経歴・学歴・権威という見えるものでしか、物事を判断できない人が。

 もっとも、だから、洗脳・操作され続けるわけですが(笑)

理解し続けようという姿勢を培ってきた歩み

 思えば、私のクリスチャン人生は、爬虫類脳多用者のクリスチャンの一方的な決めつけ・悪意・想像力のなさとの絶え間ない戦いだったように思います。

 こういう人々に出会ったからこそ、相手の事情や背景を知ろうと努め、心理学を学んで集団心理の力学や洗脳について学ぼうと思ったのです。

 人智学者のセルゲイ・O・プロコフィエフ『赦しの隠された意味』という本で、「どういうことなら赦せますか?」という質問への、シュタイナーの答えが最初に出てきます。

 シュタイナーは「私が理解できることなら何でも」と答えました。

 これを読んで、「理解しよう」という態度を持ち続ける大切さを学びました。

 でも、Yさんのような人は、そもそも「相手はどうしてこう考えるようになったのだろう」という理解しよう、想像しようという姿勢が皆無です。

 一方的に自分の考えを押しつけ、ジャッジするだけ。

 私は、イエス・キリストもまた、無限とも思える理解力を持っていた方だったと考えています。

 クリスチャンというのが、イエスに倣おうとする者であるなら、どこまでも理解しようという態度を持ち続けてこそ、クリスチャンなのではないか、今ではこう考えています。

 理解し、自分には見えていなかった一面に気付かされるからこそ、その人のかけがえのなさがわかるのではないでしょうか。

 辛いこともたくさんありましたが、今、こう思える人間になったことは、ありがたいと思います。

爬虫類脳に前提のズレを指摘しても、理解できない

 Yさんは無自覚ですが、私をバカにしていたので、彼の一方的な前提の押し付けや、冷たい言い方を指摘することは、返事に書きませんでした。

 書いても、「こいつ、やっぱり、バカだな。全然わかってない」と、彼の認識を強化することにしかなりません。

 よって、返事は、彼の分析・見通しへの感謝のみを記しました。

 私と似たような御経験をした方は、何とか言い返したいという思いを抱かれたことがあるかもしれません。

 でも、それは賢明ではありません。

 出来る限り穏便に、爬虫類脳の人に返事をして、静かにフェードアウトすることをお勧めします。

 彼らは、自分がバカにしている人間からの指摘などは認めませんし、ますますいきり立って、「心配」という形を取った攻撃・毒を発してくるだけです。

ゆたかさんの人間脳と爬虫類脳についての記事

 ゆたかさんの以下の記事は、今回の件を考える上で、とても参考になりました。

 記して、感謝といたします。


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