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ソクラテスがSDGsに疑問を呈す
日に日にSDGsという言葉が浸透する
SDGsという言葉を見聞きしない日はないようになりつつあると感じる。
年末の紅白歌合戦では、開始後30分頃が、SDGsの宣伝のような内容だったとか。
何も知らない人は、コロッと洗脳されてしまうだろう。
これは由々しき事態だと考え、日々、どうしたら気づくだろうかと、方策を探っている。
私自身がSDGsについてどう考えているのかは、こちらの記事で書いたので、今回は繰り返さない。
賛成・反対の前に、まず前提を問う
今回は、別の方向から扱ってみたい。
( ´∀`)SDGsに賛成ですか、反対ですか?
こう尋ねられたら、何と答えるだろうか。
こうストレートに尋ねられることはないだろうが、想定問答として考えていただきたい。
( ´∀`)=SDGs賛成のS君(20代男性)
( ・∀・)=ソクラテス
( ・∀・)賛成か、反対の前に、「それが何であるか」を考えるのが先ではないだろうか?
(; ´∀`)え?
( ・∀・)それが何であるかがわからない内は、賛成か反対かを言えないのは、至極もっともなことだ。そうではないかね?
(; ´∀`)た、確かに。
( ・∀・)具体的に話そうか。目標1は、「貧困をなくそう」となっている。
これは一体どういうことか?全ての人に、平等に富が分配されるということか。
この目的が何を意味するにしても、今まで、これに取り組んできた個人・集団は数知れない。
部分的・局所的・一時的に実現できた事例はある。
だが、地球全体となると、一体全体、可能なのだろうか。
今まで誰も実現できた試しがないのに、なぜそれが可能だとか、それを目指そうということになるのだろうか。
ちょっと歴史を調べてみれば、むしろ逆の結論になるのが当然ではないか。
また、この目標1に限らず、全ての目標に言えるのだが、誇大なスローガンばかりで、実現可能性について、真剣に考えたものがどれだけあるのだろうか。
(中略)
こうして、様々なことを考えてみたが、目標1だけを見ても、これの実現は非常にむずかしいことがわかる。
それがあたかも簡単で、多くの人が目指すべき目標であるかのように思わせようというのは、詐術ではないだろうか。
( ・∀・)これが本当に実現可能だと考える人は、悟性が足りないか、誇大妄想狂か、夢見がちか、さもなくば中二病をこじらせたかのいずれかである。
(# ´∀`)おのれ!毒ニンジンを喰えや!!
( ・∀・)(またかよ)逃げるべ
ソクラテスの問答の仕方
途中で気づかれた方がいるかもしれないが、これはソクラテスの問答の仕方である。
例えば、徳について論じた『メノン』では、メノンという男が「徳は教えられるか?」とソクラテスに問うと、ソクラテスは「そもそも、徳とは何か。それが何であるかがわからなければ、教えられるかどうかも言えないではないか」と言って、以後、徳とは何であるかについての究明が始まる。
裁判を受け、毒ニンジンを飲むばかりとなって、弟子たちに向かって、「魂の不死性」について論じる『パイドン』でも、それは同様だ。
賛成・反対と問う質問の意図を考えよう
突然、誰かから、「賛成か反対」を尋ねられるというのは、質問者が特定の方向に誘導しようとしているか、あるいは、ひっかけ質問で相手の考えを知りたい時など、何らかの意図がある場合が多い。
もしどちらかの見解だと明らかにしてしまうと、自分にとって不利益になってしまうのが予見できるならば、このソクラテスのように、賛成・反対以前の前提を問うのは、一つの回避手段になり得る。
また、相手に多少とも理性が残っていれば――そう願いたいが――、無碍にはできまい。
さらに、質問者が真剣に、その主題・問題――ここではSDGs――に関心があるならば、「それは何であるか」という話に付き合うはずだ。
もしかすると、「しめしめ、興味を持ってくれた。これで、賛成になってくれたらそれでいい」と思っているかもしれない。
しかし、質問された人が、本当にソクラテスのように応答できるなら、話はそういう風には転がらない(笑)
説得せず、考えを変えようとせず、微笑を浮かべて、「真剣に問題の根源を探っていく」という姿勢が必要だ。
多少の演技力があるといいかもしれない。
例題1:仕事と私、どっちが大事?
余談だが、「仕事と私、どっちが大事なの?」と恋人から尋ねられて、いずれかを選ぶというのは、間違いである。
質問の形をした言葉の意図を汲み取って、必要な応答をしなくてはいけない。
それは、もしかしたら、ハグすることかもしれないし、「そんな風に言わせるほど心配かけて、ごめんね」という謝罪かもしれない。
しかし、これができるためには、常に、質問の意図や前提を問う考え方をしていなければ、むずかしい。
例題2:柿の種とポテトチップス
( ´∀`)柿の種とポテトチップス、どっちが好きなの?
( ・∀・)両方好きだよ。何、くれるの?早くちょーだい、ちょーだい
(; ´∀`)(しまった、これは予想してなかった)
選択肢を提示されたからといって、選ぶ必要があるとは限らない
選択肢を提示したような質問においては、選択肢のどれかを選ぶのが危険な場合がある。
場合によっては、全部危険だとか、特定の選択をすると、自分にとって不利になることもある。
だからこそ、前提を問うことは必要なのだ。
世の中には、こういう質問を悪意をもってする人もいる。
選択肢を与えられたからといって、選ぶ必要があるわけではない。
しかし、「選択肢を与えられたら、何かを選ばねばならない」と思い込んでいたり、そういうパターンができている人は、深く考えることなく、間違った行動をしてしまうかもしれない。
そういう危険は、存外、多い。
例題3:あなたは、憲法改正に賛成?反対?
「あなたは、憲法改正に賛成ですか、反対ですか?」
「改正に賛成か反対かの前に、そもそも憲法とは何かを考えるのが先ではないだろうか。改正賛成・反対を言う人たちは、日本国憲法を隅から隅まで読んだのだろうか。それとも、読まずに、それが何であるかを知らずに、賛成・反対をしているのだろうか。およそ思慮のある人間なら、賛成・反対を述べるその当のものについて理解するのが前提となるはずだが、そうではないのだろうか」
安易な賛成・反対問答を警戒しよう。
改憲が選挙の話題になっても、候補者が全く言わないことの一つが、「憲法を読みましょう。皆さん、日本国憲法を読んでください」である。
ひょっとすると、読んでほしくないのかもしれない(笑)
人間は感情で決定する
人間は感情で決定する。
たとえそれを自覚していないとしても、である。
理屈や理論で人間の考えを変えることは、ほとんどできない。
それは、枠珍について、予防接種を打とうとしている人に資料やデータを渡すだけでは、考えを変えさせるまでにはいたらなかったことを経験した人なら、おわかりだろう。
「理性に基づいて、事実を積み重ねれば、わかってくれるはずだ」
だが、現実には、それは、考えを変えようと既に決めている人や違った見解に自分をオープンにしている人にしか、当てはまらない。
むしろ、理詰めで、事実を言えば言うほど、相手からすると、理屈でやり込められているような、強い抵抗を覚える。
相手の感情の揺れ動きへの配慮がなければ、言っていることが正しければ正しいほど、相手は強く反発する。
ソクラテスの問答のポイント
ソクラテスの問答でポイントなのは、彼は、相手の考えを変えようとは少しもしていないということだ。
それは、対話篇を読めばわかる。
質問者から問われたことの前提をソクラテスが問い、考え、それに質問者も付き合っている内に、最初の自分の考えが、徐々に不確かに感じられてくるのだ。
質問する時は、確かな考えだと思ったものが、実はかなりあやふやな前提や曖昧な根拠に拠って立っていたことがわかってくる。
見方によっては、ソクラテスは、相手を自爆させる名手と言えるかもしれない(笑)
これについては、去年、こちらでも書いた。
ソクラテスは、単に質問者の前提となっているものについて、「それは何であるか」を考えているに過ぎない。
この姿勢からは、今も学ぶことが大いにあると思う。
単に、自分の意見を言っても、相手の心を動かさない
SDGsを推進・賛成している人に向かって、「私は反対です」と言っても、多分、何も響かない。
単なる自己満足に終わる可能性すら、ある。
もしSDGsの実現を止めたいのであれば、まず目指すべきは、賛成者が考えを変えるように仕向けることである。
しかし、人間は感情で物事を決定するので、理性的にSDGsの瑕疵を指摘しても、却って反発を招く。
ならば、SDGsの目的一つ一つについて、じっくり調べていくという体裁をとって、本当に信頼に足るものか、実現可能なものかを一緒に調べていくやり方が、いいのではないだろうか。
さらに余力があれば、SDGsを掲げている国際連合という組織の成り立ちや歴史、働きについて考えるといいだろう。
国連は本当に信用できる組織なのだろうか。
これについては、最初にリンクを貼った記事に、藤井厳喜『国連の正体』のレビューを貼っておいたのだが、消えているので、こちらを御参照いただきたい。
結論を出そうとしない姿勢
ソクラテスの姿勢でもう一つポイントを挙げるなら、彼は結論を出そうとはしていない。
質問を受け、思索を始めた時点では、ソクラテス自身にもオチがどうなるかが、よくわかっていない。
だからこそなのか、最後は、問答に加わった誰もが満足するような結末となるのかもしれない。
プラトンの対話篇はオススメ
数多ある哲学書の内、ソクラテスの対話を記したプラトンの対話篇はオススメである。
他の哲学者を読まずとも、ソクラテスさえ、読んでいればいい。
薄い本がお好みなら『メノン』、少し厚めでも大丈夫なら『弁明』と『パイドン』がオススメである。
後者は、ソクラテス裁判と、裁判後、死を待つまでの間の弟子たちとの問答が記されている。
新潮文庫で一冊に収録されている。
もっと厚いのが平気な人は、『国家』を読むといい。
岩波文庫で上下巻で出ている。
人々にもっともらしいことを語って、その実、真理から程遠いことを語る人々を、ソフィストと古代ギリシャでは言った。今でいうインフルエンサーが相当するだろう。
彼らの過ちや今に通じる問題を考えるならば、『ゴルギアス』がお勧めだ。
ソクラテスは一人で、言葉を用いて、世の偽りと戦った
プラトンの対話篇を読むと、人類は、古代ギリシャの頃から、本質的に全く進歩していないのではないかと思う一方、ソクラテスがどれほどの愚かさと戦ったのかも見えてくる。
彼は徹頭徹尾、一人で、言論と思索でもって戦った。
軍隊経験のある人だったが、彼が人々との交わりで用いたのは、常に言葉であった。
そして、彼を問い続けることへと駆り立てたのは、真理への愛であった。
哲学、”philosophy”とは、元々、「真理に恋い焦がれる」ということを意味したのではなかったか。
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