「自分の健康は自分で面倒を見る」になった理由
今年は、社会の嘘・欺瞞に気づき、社会から植え付けられてきた洗脳を取り除いていく日々でした。おそらく、来年もこれは継続するでしょう。
一口に「社会の嘘」といっても、個人的なことから、地域・国家・地球規模まで、いろいろあります。
今日の記事では、個人的なことの一つ、健康と医療についての考え方を取り上げていきます。
多くの人が持つ常識から、違った考えにシフトした
「体に不調を覚えたり、病気になったりしたら、医者・病院に行く」、これは、今でも、少なくない方々の常識・前提かもしれません。
あるいは、「体の調子が悪くなったら、健康や人体の専門家である医者のところに行けばよい」、そういう前提も併せてお持ちかもしれません。
また、「健康診断の数値に問題なければ、健康の問題は何もない」、そうお考えの人もいるでしょう。
私も、今年初め頃までは、このような考えを持っていました。
しかし、同時に、薬の害や医者への不信というのも、それまでの経験で、多少、持っていました。
多少なりとも、医者・病院への依存的発想からは抜けておりましたが、それでも、完全に決別するという方向には行っておりませんでした。
結論を先に申せば、今は、このような考えに落ち着いております。
・「自分の生命・健康を守るのは自分」という意志・気概を持つ
・医者・病院が病を治すのではなく、自分が「病は治る」という意志・気概を持って、出来る限りの自助努力をするのが大事
・体に不調を感じても、すぐに医者・病院に行かない
・体の不調・病気で薬(特に西洋医学系統の)を使うのは最終手段
「体の調子が悪くなったら、病院・医者に行くのは当たり前。回復のために薬を飲むのは当たり前」、そうお考えの人からすると、狂気の沙汰か非常識に映る考えかもしれません。
よって、どういう過程を経て、こういう考えに至ったのかを、これから、かいつまんで述べていきます。
2005年1月頃の神経性疾患と病院治療
2005年1月、その直前に受けた会社でのパワハラがきっかけとなり、首から下が動かなくなる神経性疾患を発病しました(その後、一週間ほどして、首から下は動くようにはなりました)。
しかし、大きな病院で精密検査をしたところ、身体には何も問題はありませんでした。
ただ、夜型だった生活サイクルを朝型に戻し、また様子を見るために、精神科に入院することとなりました。
私のいた場所は、精神科といっても、程度の浅い患者ばかりでした(私の観察した限りではですが)。
とはいえ、「医学でも、私の症状はどうにもならないのか」と途方に暮れたことは覚えています。
この時点では、医学への信頼は、維持されていました。
実際、そういうケースは、これまでにもあって、たまたま、私がそうだったというだけのことですから。
一ヶ月ほどの入院後、退院しました。
病気と病院生活で体力が格段に落ちたので、最初はちょっと歩くだけでも一苦労でした。
完治させる手段がない以上、様々な症状と、うまく付き合っていくしかないと医者から言われたものの、その具体的な方法は示されなかったので(示しようがなかったでしょう)、そこから、試行錯誤の日々が始まりました。
医療不信が自分事となった最初の出来事
途中、2006年に帯状疱疹になりました。部位は、首から背中にかけてです。
近所の病院に一週間入院しての、点滴治療となりました。
当初は、一週間ではなかったのですが、入院生活があまりに耐えがたいので、「早く退院したい」と医者に訴えたら、出られました。
ただ、その時、担当医から言われた脅しが、今も忘れられません。
「今、治療を止めたら、治らなくなるかもしれませんよ」と、怖い顔と声で言われました。
「体力もなく、耐えがたい入院生活に嫌気がさしている患者に、こんなことを言う医者ってどうなのよ」と思いはしたものの、黙って頷きました。
結局、何の問題もなく、帯状疱疹は治りました。
おそらくこれが、医者・医療への不信感が兆した最初の出来事だったと思われます。
医療不信が初めて、自分事となったということです。
断薬を決意
帯状疱疹になる前、メンタルクリニックに通っていましたが、ここも、症状の回復よりも、精神を安定させる薬や睡眠薬の処方をしてもらうだけの場でした。
根本的な治療は、やりようがなかったので、やらなかったのです。
ある日、「薬をまず止めよう。そうでないと、ダメだ」と感じて、薬の量をちょっとずつ減らして、断薬していきました。
メンタルクリニックに行くのもやめました。
それから、2007年から2020年までは、小さな風邪を何度か引いて、その度に、近所の病院に行くということが、一年に二回ぐらい、ありました。
帯状疱疹の時の担当医の対応は怖かったけれど、それでも、約13年ぐらいは、医者と医療への素朴な信用はありました。
医者と製薬企業の癒着というのは、ごく一部の、どこか遠い世界の話だと思っていました。
2020年になって、本当のことを知ろうとし始める
そして、2020年にコロナ騒動が始まりました(少なくとも、コロナ「禍」とは、私は思っておりません。敢えて「禍」という言葉を使うなら、コロナ「対策禍」でしょう)。
実は、去年は、自分の休養と充電をメインにしていたので、コロナ自体は怖がっていませんでしたが、そんなに世の中の動きを知りませんでした。
ただ、宮中祭祀を伝承する白川神道の講座に出た際、歴史においても、メディアの情報においても、自分が相当な歪曲を受けていることを知って、そこから、ちょっとずつ、「本当のことは何か」を知ろうとするようになりました。
2020年時点では、病院には行っていなかったものの、医療・医者への信用はありました。
医者と製薬企業との癒着を、目の当たりにする日々
2021年に入って、ちょっとずつ、いろんな嘘や欺瞞・歪曲の背景、メディアで使われている洗脳手法に通じるようになっていきました。
マネーデータベースを知って、テレビや新聞等で、枠珍を推奨している医者、567対策を頑張っている病院の医者が出る度に、調べるようになりました。
金額は違いましたが、ほとんどの人が、どこかの製薬企業から謝礼を受け取っていました。
謝礼を受け取っている人については、メディアで本当のことを言っているとは思えなくなり、むしろ、どこに視聴者・読者を誘導しようとしているのか、その意図を見るようになりました。
薬や予防接種の害をはっきり知る
また、医者と製薬企業の癒着を知った頃、デーヴィッド・アイクの『ハイジャックされた地球を99%の人は知らない』を2021年3月頃に読んで、薬や予防接種が、人間の免疫力をいかに減殺するものかを知って、慄然としました。
それまでも、友人から、断片的に、予防接種や枠珍の毒性、薬が不要であることは聞いていました。
567枠珍については、医者・医療への不信とは別に、調べた上で、接種が非常にリスキーな行動だと判断し、今も不接種を貫いています。
最後のダメ押し:医者は人体の基本構造を知らない
最後のダメ押しが、デーヴィッド・アイク『今知っておくべき重大なはかりごと 1』(ヒカルランド、2019)で、医者は人体の基本構造について知らないと指摘されていたことでした。
こちらで触れています。
ここから一つだけ、引用と私のコメントを紹介します。
“腰を据えて考えてみてほしい――世界のほぼどこにでも専門の医師がいて、体の不調の治療にあたっているのに、彼らは肉体や現実の本質はどんなものか、まったく知らない。わたしは、主流派の医学がこの地球という惑星で最大の殺人者ではないかと思うときがある。いわば、わたしに車の修理を頼むようなもので、車は二度と動かなくなってしまうだろう。違いは、わたしなら、自分が知りもしないエンジンをいじくりまわそうとは夢にも思わないが、医師連中は毎日、人体の基本構造すらわかっていないのに、人の体を弄んでいることだ。” (p,135-136)
この引用に、このようにコメントをしました。
[ラジオの構造や仕組みを知らない人にラジオの修理を任せるだろうか。自動車の修理は、その仕組みがわかっている人に依頼するはずだ。にもかかわらず、多くの人は、人体や現実の本質を全く知らない、自分と生活を共にしておらず、自分の人生さえ知らない医師に、問題の解決を「信頼して」委ねている。冷静に考えると、狂気の沙汰だが、これが「正常」「ノーマル」として受け入れられている。
改めて、腰を据えて考えてみてほしい、これは本当に、正常なことだろうか。
信頼できる医者とは、人体について自分が知らないことを正直に、謙虚に認め、かつ、充分な技術を備えた人かもしれない。]
アイクの指摘は決定的でした。
彼の指摘から、自分の体を、自分自身や人体の構造を知らない人に任せる危険を、はっきりと悟りました。
まして、その人が、患者の健康よりも、自分の名声やお金を重視しているとなれば、その危険はさらに高まります。
多くの人が抱く常識の危険に気づく
さらに、
a.「体に不調を覚えたり、病気になったりしたら、健康や人体の専門家である医者のところに行けばよい」
b.「病院・医者のところに行けば、病気を治してもらえる」
c.「何らかの病気になっても、医者の言うことを聞いて、薬を飲むなり、手術をするなりすればいい」
d.「健康診断や病院の検査数値に何の問題もなかったら、健康の問題はないと考える」
こういう考えが、とても危険であることにも気づきました。
依存的な発想で健康に向き合っていないか?
前述したように、医者は人体や健康の専門家ではありません。
また、自分の免疫系を信頼せず、外部の、自分のことをよく知らない人に、自分の体を任せ、その意見を鵜呑みにするのは、依存心理です。
人生で困難が起こる度に、自分で向き合わず、グルや牧師や教祖のところに行く人を思わせます。
それは、自分の健康にプラスになるどころか、マイナスになり得る発想だと、思いました。
“a”と”b”について言えば、まず自分が、「治す」「治る」「治りたい」と決めるから、治療過程は始まるのであって、自分の普段の生活を知らず、人体の構造も知らず、機械だけを見ている人に、自分の体を任せるのは、自立したあり方と言えるのか、非常に疑問です。
“c”について言えば、薬は免疫力を高めるよりも、その働きを阻害することがありますが、西洋医学の対症療法的発想では、そのことが見落とされがちのように感じます。
また、薬には副作用があり、実際、私自身も経験したことがあります。
ある症状は治すけれど、別の問題を発生させるのは、果して「治療」と言えるのか、疑問です。
自分の体験だけではないですが、今では、「服薬は最終手段」と考えるようになっています。
まして、劇薬指定のものを「最後の頼みの綱」と思うなど、相当、追い詰められていなければ、そうは考えないでしょう。
適切な知識と自分の免疫系への信頼を絶えず深め、冷静に物事を見ていく態度を、常に鍛えていくことが必要だと思われます。
また、歯も含め、問題のある臓器を減らしたり、なくしたりすることは、他の臓器・器官とのバランスを損なうものです。
自然は、不必要なものを作っていないので、全体との関連を見ずに、特定器官に問題の原因を見る発想は、実は、注意が必要ではないかと、今は考えています。
歯を削ったり、抜いたりする行為が、逆に、体全体や臓器を痛めているという研究に基づき、歯を削らない・抜かない治療をしている歯科医もいます。
“d”のように、病院での検査数値に問題がなかったから、何の問題もないと考える人がいます。
しかし、例えば血液検査では、マグネシウムの摂取量が充分なのか、あるいは欠乏しているのかは出ません。
こちらのまとめ記事にありますように、マグネシウムは、健康維持に不可欠な栄養素です。
この一点を取っても、病院の検査を過信するのが、危ういことがおわかりになるはずです。
何より、人体全体の構造や関連をよく知らない西洋医学に携わる人が行う検査が、本当に、自分の健康にとって重要なことを教えてくれると考える方が、無理があるのではないでしょうか。
検査でわからないことが、足もみでわかる人もいる
検査ではわからないのに、足をもむことで、病の根本や関連臓器の問題を見抜ける人のいることが、『官足法 足の汚れが万病の原因だった』(官有謀、文化創作出版、1986)に書かれています。
著者は東洋医学をベースに、のべ1万回以上(本刊行当時)、足もみをして病の治療に当たってきた人です。
こちらでまとめたUさんのtweetスレッドで知りました。
健康についての、私の現在の考え方
こうして、先に述べましたように、以下のような考えを持つに至りました。
・「自分の生命・健康を守るのは自分」という意志・気概を持つ
・医者・病院が病を治すのではなく、自分が「病は治る」という意志・気概を持って、出来る限りの自助努力をするのが大事
・体に不調を感じても、すぐに医者・病院に行かない
・体の不調・病気で薬(特に西洋医学系統の)を使うのは最終手段
また、何より、病院に行くと、お金と時間が取られてしまうというのも、医者・病院への不信感とは別に、病院に極力行きたくない理由です。
予防医学への関心を持つ
そうなると、自己治癒・予防医学への関心を持たざるを得ません。
普段から、病の原因となり得るものをできる限り除去し、体のメンテナンスを行っていく必要があります。
要するに、「自分の健康は自分で面倒を見る」、これに尽きます。
もちろん、添加物入りの食品を食べない、電子レンジで温めたものを食べない、注射や食品経由で入ってきた毒物を解毒するなど、やることはたくさんあります。
基本的には、「毒を入れない・解毒する・体が必要とする栄養を摂取する」をやっていくことになります。
しかし、この三点について、学べば学ぶほど、私たちがいかに正確に健康について教えられてこなかったか、おかしなことを正しいと信じ込まされてきたかに気づいて、愕然とするばかりです。
これは、他の社会の嘘・欺瞞・教育・歴史等々と同様です。
健康については、日々学ぶ
健康については、日々、様々な関わりを通して学んでいる毎日です。
Uさんの足ツボtweetをまとめて以来、グリグリ棒と指で、足もみも始めるようになりました。
Twitterはそういう意味では、情報の宝庫だと感じます。
病気になって、薬や医療・健康情報に疑問を持って、自分で調べて、世の中の嘘・欺瞞に気づいたという人も少なくありません。
保留しながら見ていけば、そういう方々の体験に基づく情報の中には、宝がたくさんあると感じます。
サイト:健康技
また、最近、Uさんの過去tweetで、こんなサイトを知りました。
例えば、視力回復、快適な寝起きにする方法、危険察知の方法などが、画像と丁寧な説明で、しかも無料で述べられています。
予防医学といっても、いきなり何から始めればよいのか、わからないでしょうから、自分が抱えている問題について、このサイトで取り上げられている対処法を見つけて、そこから少しずつ、学んでいくのが一つのやり方かもしれません。
医者・医療を全否定しているわけではない
とはいえ、自己治癒・予防医学への関心を持つことが重要とはいっても、医療・医者を全否定しているわけではありません。
なぜなら、製薬企業からお金をもらわず、真面目に、良心的に治療にあたっている真っ当な医者もいるからです。
「薬を出さない、注射をしない」自然流の子育てを提唱した真弓定夫医師のように、本当に、患者の健康を願った治療をしている医者は、世界中にいます。
この中村篤史医師もそうです。
運よくそういう人々に出会えたならば、医者の力を借りざるを得ない状況下においてのみ、力を借りたいとは思います。
ただ、現時点の基本の考えは、「自分の健康は自分で面倒を見る」「不調は出来る限り、自分で対処できるようにする」というもの、ということです。
これをちょっとずつでも行っていけば、依存的な発想から抜けられますし、究極的には自立を高めることになります。
どうするのかを、自分で見て、聞いて、調べて、考える。
これができず、「専門家」の言葉を聞いている間は、「盲人が盲人の手を引く」愚から抜けることは、至難でしょう。
私は、あらゆる分野でのそういう状況から、出来る限り、早く、抜けたい。そう考えています。
( ´∀`)サポート本当にありがとうございます!!😭😭😭🥰🥰🥰 ( ・ ∀ ・)ご恩返しするためにも、今後も一生懸命頑張ります!!😊😊😊