動画書き起こし:クリスマスの起源 // 古代ローマの悪魔崇拝とサタンのキリスト教会
教会の新しい一年が始まる時に
キリスト教の暦、教会暦では、2021/11/21(日)が終末主日であり、一年の最後の暦でした。
待降節が一年最初の暦です。
つまり、2021/11/28(日)が待降節第一主日となり、この日から、教会の新しい一年が始まります。
そんな時期に、以下の動画書き起こしを紹介することになって、いささか、心苦しい限りです。
以下にお見せするのは、Eden Mediaの動画「クリスマスの起源 // 古代ローマの悪魔崇拝とサタンのキリスト教会」の書き起こしです。
警告
クリスマスについて明るい・牧歌的な・暖かいイメージを抱いていたい人は、読まないことを推奨します。
しかし、本当に、クリスマスの起源を知った上で、これを続けるかどうかを判断したいならば、書き起こしを読み、あるいは動画を見て、さらに調べてみて、それからどうするかを御判断されることをお勧めします。
これは、前後編動画の前編に当たります。
個人的に指摘したい箇所はあるものの、まずは、書き起こしの文章を御覧ください。
数か所、注やコメントを入れました。
私が強調したい箇所は、太字にしました。
太陽神の画像は、動画にあるのとは別物です。
「クリスマスに潜入した悪魔」
もしあなたが信じてきた"クリスマス"が常識を覆す悪質な儀式だと知ったらどうする?
この動画で証明するよ。
"クリスマス"は、キリスト教に付け足された行事である。
目的はキリスト教の信者を惑わすと同時に、サタンを拝ませる事なんだ。
もしこの世のシステムが、あなたを自動的に"クリスマス"を祝うように仕向けており、サタンを崇拝する"クリスマス"という行事に参加させ、あなたは、悪魔に強固な力を貸していたとしたら?
無知のままに。
クレイジーだろ?
そうだ。
「事実は小説よりも奇なり」
問題は、あなたが何も疑問に思わない事だ。
流れに任せる。
だろ?皆と同じ行動を取るよう教わった。
プログラム通りの思考がプログラムされた。
例えばだ、一つ質問しよう。
何故あなたは、12月25日に、ツリーを家に持ち込むのでしょう?
そこにある意味は?理由は?
答えは、あなたは知らない。
もう一つ。理由もわからないまま家に持ち込んだツリーに、ゴールドやシルバーなど、様々なオーナメントを飾り付ける理由は?その意味は?
答えは、あなたは知らない。
ツリーの天辺に星を置く理由は?意味は?
あなたは知らない。
ヤドリギの下でキスする理由は?
あなたは知らない。
もう分かっただろ?
あなたがやるべき事は、聞く耳を少し持つ事だ。
これらの意味を理解し、起源を知る。そして、自ら考え、判断する。
クリスマスを続けるのか、廃止するのか。
なぜなら、あなたは無知のまま騙され、サタンを拝んでいるからだ。
今日は全てを説明するよ。
サタンがいかにクリスマスを利用し、キリスト教に潜入したのか?
「12月25日の起源(The origin of December 25)」
「古代ローマの祭典は無数に存在したものの、5つは具体的に挙げることが出来る。
すなわち、クリスマス、レディ・デイ、イースター、聖ヨハネの日、聖母の被昇天である。
各祭日の起源は、古代バビロンにあることが証明できる。
まずはキリストの誕生日を祝う行事であるクリスマス。
なぜこの行事は12月25日に行われるのだろうか?
聖書は一切、キリストの正確な誕生日について触れていない。または、生まれた年も。
イエスがいつ生まれたのだとしても、聖書の記述から分かるのは、"12月25日には生まれていない"ということだ。」
「12月25日」は、キリスト以前に遡る。
文明の始まりである、古代バビロン。[注:正確には、バビロンは文明の始まりではない。]
冬至の時期、神話では、太陽が力を奪還し、夜を支配し始める時期に当たる。
冬至の時期は、一年で夜の時間が最も長い。
一方の日照時間は、一年で最も短い。
だから、神話的な戦いが行われる。「太陽」対「夜」の戦いが。
冬至の時期に、太陽は最も低い位置から徐々に高くなり、最高点を迎える夏至まで、徐々に高くなっていく。
当時の異教徒たちは、この現象を、「太陽が夜から力を奪還する象徴」として捉えた。
それを元に、神も生まれた。
例えば、古代エジプトの神"ホルス"は、冬至である12月25日に生まれた。
古代ギリシャの神"ヘリオス"、同じく、冬至の12月25日に生まれた。
ギリシャ・ローマの神"アポロ"、同じく、冬至の12月25日に生まれた。
ヒンドゥー教の神"ミトラ"、同じく、冬至の12月25日に生まれた。
そして、悪魔の中の悪魔、ニムロドの化身である"バアル"。
バアルはニムロドの死後、母セミラミスに神格化され、太陽神になったと宣言する。
バアルも、冬至の12月25日生まれだ。
「隠された真実」
学者たちは知っている。エリートたちも知っている。
12月25日は、元々、異教徒に利用され、悪魔にエネルギーを注ぐ日であったことを。
昔からだ。
次に奴らがやったことは、聖書に潜入することだった。
悪魔の儀式に、キリストの名を利用し、12月25日になると、世界中の人間に悪魔を拝ませるんだ。
キリストと一切関係ないのにな。
「ベツレヘムの羊飼いに、天使がキリストの誕生を告げた時、群れと一緒に、夜中の牧草にいました。
無論、パレスチナの気候は、この国の気候と比べると、さほど厳しいものではありません。
しかし、日中の天候は穏やかではあるものの、12月から2月にかけた夜の寒さは容赦のないものです。
そして、ユダヤの羊飼いにとって、10月下旬以降に群れを牧草地帯に連れていく慣習はありませんでした。」
(Hislop, Alexsander, "The Two Babylons" pg,85)
聖書が記すのは、キリストが誕生した頃、羊飼いは外で食べさせ、夜に放牧させていたことだ。
正常な人間なら、羊飼いが真冬の最中に、群れを放牧するなんて考えられないことが分かるはずだ。
極寒の中、聖書の記述は、冬の誕生を実証しない。
なぜなら、羊飼いが真冬の最中に、群れを放牧するなんて考えられないからね。
俺が住むフロリダの冬は温暖だ。
それでも、真冬の最中の真夜中に、羊の群れを放牧するなんて、考えられない。
夜に放牧するなんて、あり得ない。
朝まで待つよ。
「キリストが生まれた冬至、全ての女性と子どもは、居住地に税を課せられました。
しかし、長旅を要する税の徴収は、時期的に真冬は適していません。
特に、子を抱える女性には不向きです。
従って、キリストが真冬に生まれたとは考えられません。」
(同書、同ページ)
キリスト誕生時、マリアとヨセフは納税のために、街に出向いた。(注:ルカ福音書2:1-5の記述によれば、住民登録で、それは課税のためであった。)
ローマ帝国は、徴収人をイスラエル全体に配置し、イスラエル人は彼らに納税しに行く必要があった。
しかし、課税する時期として、ローマ人が真冬を選ぶなんて、絶対に考えられない。
当時は、ヒーター付きの車なんてないからな。
庶民の移動手段は徒歩。それに防寒装置もなかった。
そうした状況を考えると、納税の時期として、凍える厳冬期を選ぶことは理想的ではないし、現実的でもない。
聖書事典("COMPACT BIBLE DICTIONARY")を見てみよう。
「<クリスマス>:キリスト誕生の記念日として、プロテスタントとカトリック教会が12月25日に祝う日。
東方正教会は1月6日、アルメニア教会は1月19日。
初めて、12月25日が登場するのは、コンスタンティヌス治世の325年。キリスト誕生の日は不明である。」
("Zondervan Compact Bible Dictionary" Pg.108)
学者たちは、キリスト誕生の日が12月25日でないことを知っている。
学者の間では、常識だ。
しかし、権力者は、クリスマスの嘘を唱える宣教師を立てる。
無知な大衆を、悪魔の祭典に参加させ、真相を知る有識者は身構えて、その様子を眺めているだろう。
悪魔が祭られるのを見て、権力者は大衆をバカにし、エネルギーを蓄える。
コンスタンティヌス自身、12月25日はキリストが誕生した日ではないことを知っていた。
彼は知っていた、悪魔儀式であることを。
起源を遡れば、バビロンからエジプト、そして、ギリシャからローマ。
悪魔の祭典を、キリスト信奉の日に見せかけたんだ。
キリスト誕生と無関係であることを知った上でな。
現代の国家システムも、その事実を知っている。
彼らは本などには書くけれど、声を上げる事はない。
なぜなら、あなたはこの世を支配する悪魔に力を貸しているわけだからね。
「カトリック教会はどのような経緯で、クリスマスを12月25日に制定したのか?
4世紀以前、キリスト教が生まれる遠い昔から、異教徒の祭典があった。
12月25日頃は、バビロンの女王である息子の誕生を祝う日であった。」
(Hislop, Alexsander, "The Two Babylons" pg,86)
古代ローマでは、同時期の12月に、「サートゥルナーリア祭」が行われていた。
プレゼントを交換したり、歌を歌い、乱交に耽るんだ。
[注:乱交がヤドリギの下でのキスになったのだろう。]
最初は2日間「12月17~19日」だったが、その後、一週間になった。
古代ローマ人は、その時期に既に、"クリスマス"を祝っていた。
しかし、崇拝対象は、バビロンの神ニムロドの生まれ変わりである"タンムーズ"だったんだ。
その後、名前を"サターン"に変えたけれど、同じ悪魔、同じ太陽神だった。[注:後述するが、古代の太陽とは、「黒き太陽」「古の太陽」と呼ばれた土星だが、この動画ではそれは知らないのか、言及していない。]
それが当時の崇拝対象さ。
キリストを知る前からな。
歴史を知れば、ローマが世界中に各宗派を広めたことがわかる。
ローマはキリスト教会の根源。
カトリック教会。プロテスタント。バプテスト教会。
全て異教徒ローマから。
クリスマスも同じだ。
キリストを知る前から"クリスマス"を祝っていた。
「既存の異教徒と増加するキリスト教徒、両方を満足させるフェスティバルを、カトリック教会が取り入れたことが推測できる。
キリストの名を利用する。キリスト教徒は早い段階で、異教徒の慣習に取り込まれたのだ。」
(Hislop, Alexsander, "The Two Babylons" pg,86)
コンスタンティヌス治世の頃、キリスト教は既にハイジャックされていた。
コンスタンティヌスには計画があった。
改宗者を治めるため、キリスト教の名の下に統治することだ。
しかし、ローマに住む当時の異教徒は、キリスト教の教義に抵抗があった。
そこで、コンスタンティヌス帝は提案する。
「サートゥルナーリア祭を続けたいなら、キリスト教と合体させ、"クリスマス"と呼ぶ。両方のいいとこ取りだ。
サターン崇拝を続けても良いが、表にはキリストの顔を利用する。」
異教徒は、その提案を聞き、賛同した。
"サートゥルナーリア祭"を続けられるなら、キリスト教徒とも仲良くしたんだ。
何故なら、"サートゥルナーリア祭"は、現代のクリスマスと同じくらいの規模だったからだ。
古代ローマ人の間で最も盛大な祭だったわけだ。
「クリスマスツリーの起源(The origin of The Chirstmas tree)」
クリスマスツリー、これも古代バビロンを起源とする異教徒の慣習だ。
同じ悪魔があらゆる姿を経て、キリスト教に潜りこんだ。
同じ悪神だ。
聖書にクリスマスツリーの記述があることを、"クリスチャン"は知らない。
クリスマスツリーは、神に対する侮辱なんだ。
聖書を読んでいれば、クリスマスツリー関わるべきではないことを知っているはずだ。
しかし、ほとんどが読んでいない。
読んでいれば、クリスマスツリーには関わらない。
ツリーの飾り付けやプレゼントを下に置く行為。
聖書を読んでいれば、こうした慣習が古代の異教徒を起源とする悪魔崇拝の教義に基づくことを知っているはずだ。
[注:よほど真面目な人でない限り、旧約聖書も含めて、全編通して読んでいる人は、非常に少ない印象を抱いている。新約聖書さえ、まともに原典(翻訳)に当たってないのではないかというクリスチャンも、時々いる。]
旧約聖書エレミヤ書10章1-4節(聖書協会共同訳)
イスラエルの家よ、主があなたがたに語られた言葉を聞け。主はこう言われる。/諸国民の道に倣ってはならない。/天のしるしにおののいてはならない。/諸国民がそれらにおののくのだ。もろもろの民の習わしは空しい。/それは、森から切り出された木/木工の手によって斧で造られたもの。銀と金で飾られ/釘と槌で固定され、動くこともない。
[注:この箇所を根拠として、クリスマスツリーを「聖書に基づいていない」と言うのは、ちょっと無理があると思う。]
「現代において知られるクリスマスツリーは、異教徒の古代ローマや古代エジプトでも普及していた。
エジプトではヤシの木、ローマではモミの木。
ヤシの木は異教徒の救世主"バアル・タマール"、モミの木は"バアル・ベリス"。
バアル・ベリスは、優れた神の仲裁者であり、太陽神であった。しかし、神話では木に変えられたという。」
(Hislop, Alexsander, "The Two Babylons" pg,89)
古代文明では、ヤシの木を"バアル・タマール"、モミの木を"バアル・ベリス"と言った。
宗教的な起源を調べると、これら全てが古代バビロンとつながることがわかるはずだ。
ニムロドの生まれ変わりを拝んでいるんだ。
母セミラミスに神格化された後、"バアル"という名で知られる。
そこから、"バアルゼブブ"または"ベルゼブル"になる。
聖書を読めば、これらが悪魔の君主であることは明らかだ。
ルカによる福音書11章15節(聖書協会共同訳)
しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や
ベルゼブルこそ、悪霊群の頭なんだ。
だから、クリスマスツリーを家に置けば、高度な悪魔崇拝に加担することになる。
事実を知っていようが関係ない。
あなたは何も知らぬまま、サタン主催の恒例の儀式に参加し、奴と直接交信することになる。
あなたは、悪霊を呼び込む。
あなたはサタンのポータルであるクリスマスツリーを通して、悪霊を呼び込むんだ。ベルゼブルを。
あなたは悪魔儀式を行うが、その理由を全く理解していない。
社会的なプログラムに取り込まれ、悪の慣習に参加を強いられる。
しかし、その理由を一切知らない。
催眠は11月下旬から始まる。
その頃になると、世間はクリスマス一色だ。
クリスマスキャロル、クリスマス映画、色とりどりのライトイルミネーション。
クリスマスがキリストの誕生と、全く関係がないのは明らかだ。
この時期に買い物に行けば、店頭で流れてくるのは"赤鼻のトナカイ"。キリストとは関係ない。
他には"サンタクロースがやってくる"、キリストとどう関係があるんだ?
そして、ごくわずかな宗教的要素を取り入れる。
仮面を被せ、人々を混乱させ、キリストに関係すると、思い込ませるんだ。
しかし、実際は全てが幻想であり、正体を隠す手段に過ぎない。
儀式のクライマックスである12月25日に向けて、11月から催眠が始まり、あなたは歩くゾンビ―と化し、脳に電気信号が送られ、マインドに植え付けられ、あなたは洗脳されてしまうんだ。クリスマスという儀式に参加するように。
そして人々は盛り上がり、喜んで行う。
大衆は何も知らないうちに、高等な悪魔儀式に加担してしまっているんだ。
そして、クリスチャンは、「クリスマスに再びキリストを注入する」と言う。
元々キリストは関係ないのだから、それは不可能だろ!
それは、自分達の行動を正当化する材料に過ぎない。
クリスマスを祝う正当な理由を、頭の中で作り上げるんだ。
「キリストを拝んでいるんだ、良いだろう?」
違う!キリストとは無縁であり、見渡せば明らかだ。
テレビをつければ、サンタクロース、赤鼻のトナカイ、スノーマン、どうキリストと関係あるんだ?
前述した通り、コンスタンティヌスは混同させた。異教(悪魔教)にキリスト教を。
最終的に、異教徒はキリスト教の教義を完璧に乗っ取った。
教義を支配し、キリストを原点とする教義は失われてしまったんだ。
それが真相さ。
巧妙な手口を使い、サタンは人々を悪魔崇拝に導くんだ。
奴は巧みにキリスト教に潜入する。しかし、誰も検証することはなかった。
奴の居場所を誰も知らない。
サタンの本拠地は、現代のキリスト教にあるわけだからな。
そして、大衆を欺いている。
黙示録12章9節(聖書協会共同訳)
この巨大な竜、いにしえの蛇、悪魔ともサタンとも呼ばれる者、全人類を惑わす者は、地上に投げ落とされた。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。
サタンの本部はキリスト教だ。
何でもあり。
奴は人々に祝わせる。
クリスマス、感謝祭、イースター、バレンタイン、全てバビロンの慣習。
悪魔崇拝、高等な悪魔儀式だ。
しかし、これらを語っても、ほとんどの人は、クリスマスという儀式に参加し続けるだろう。
全てを明かしても、そうした人々は「家族のためだ」とか正当性を主張するだろう。
それは違う。
本当の理由は、社会のプログラミングが脳波を操り、参加しなくてはならないと思わせるからだ。
そうでなければ、"クレイジー"。
クリスマスの時期に入ると、温和な雰囲気が漂い、皆いつもとは違う。
みんな"与える"ムードだ。
優しくなり、愛を振る舞う。
何故なら、心理的にあなたをプログラミングしているからだ。
"与えよ、与えよ、与えよ"
彼らは、徐々に、クリスマスの儀式に向けて、大衆を準備させているんだ。
だから、人々の参加は必須となる。
12月25日。
家族と一緒にプレゼントを交換し、"クリスマス"という名を装ったサタンに仕えることとなる。
または全く関係ない、キリストの誕生日として、だ。
皆、クリスマスが近づくと、人が良くなる。
なぜ他の時期とここまで違う?
それは、クリスマスは高等な儀式だからだ。
エリートはそれを知り、大衆に参加を促す。
それでも、人々は続けるだろう。
構わない。
それでも、まだクリスマスを祝いたいと言うなら、是非勝手にサタンを拝んでやってください。
それは、あなたの権利だ。
俺は構わない。
しかし、最高神は問題とみなすだろう。
あなたは、やりたい放題やって、たくさんプレゼントを交換し、楽しむだろう。
クリスマスツリーをきらびやかなオーナメントで飾り、ヤドリギの下でキスしまくってくれ。
俺には関係ない。
しかし、一度墓に入り、あなたの靈が最高神に出会った時、一人で弁明しなければならない。
その時あなたは、悪魔を拝んでいた事実を、神様に伝えなくてはならない。
ヘブライ人への手紙10章31節(聖書協会共同訳)
生ける神の手に落ちるのは、恐ろしいことです。
答えなくてはならない。
全ての行動に対して、説明しなければならない。
答えるのはあなた。俺は自分のことで精一杯だ。
コリントの信徒への手紙二 5章10節(聖書協会共同訳)
私たちは皆、キリストの裁きの座に出てすべてが明らかにされ、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行った仕業に応じて、報いを受けなければならないからです。
この言葉を踏まえた上で、クリスマスに参加し続けたいなら、どうぞ。
しかし、聞く耳を持つ人間は聞くべきだ。
そうすれば、システムの束縛から解放されるだろう。
"マトリックス"から脱出する。
言いたいことは言った。
これであなたも、クリスマスの起源を知り、儀式の意味が理解できたはずだ。
そして、いかにサタンがクリスマスを利用して、キリスト教に潜入したのかを。
書き起こしを終えて
以上が動画の書き起こしです。
動画を読む時間が作れない方でも、何となく意味はわかるかと思われます。
クリスマスの起源に関する話については、概ね、異論はありません。
ここからは、私の感想を記します。
クリスマスに、恋人たちが集うのは、起源に沿っているのかも?
動画を見ながら思ったのですが、クリスマスに恋人たちがホテルや自分たちの家で、セックスに励むのも、起源からすれば、自然なことなのかもしれません。
しかし、それもまた、操作・コントロールされたものだとすれば、果して、それは自分の自由意志による行動なのか、非常に疑問です。
「クリスマスは、恋人たちの日ではない」と目くじらを立てる人がクリスチャンの中にいますが、動画で指摘されていたように、クリスマスにいたる全ての行動が、催眠・誘導だとすれば、この批判は、ピントを外していると言えます。
動画における主要な問い
「理由も意味も起源も知らぬまま、元は異教の儀式であり、悪魔崇拝であるものが、良いものと思わされ、今日まで続いてきたし、今も行われている。果たして、それでよいのか?」というのが、動画の主の主要な問いと言えるでしょう。
デーヴィッド・アイクの著書で多少とも、クリスマスの起源については触れられていましたが、この動画で述べられていた詳細は知りませんでした。
土星は古代の太陽
古代、土星は地球に最も近い太陽でした。
アイクによれば、古代世界の太陽神のテーマの大多数は、土星の太陽神で、バビロニアのニムロド、エジプトのラー、ローマやペルシャのミトラ、そして「イエス」も、土星の神だと指摘しています(『今知っておくべき重大なはかりごと1』ヒカルランド、p,302)。
「イエス」は太陽神とみなされることがありますが、アイクによれば、本当は土星神となるわけです。
土星の話は、またいつか書きたいと思いますが(うまくまとまらないのです)、クリスマスの起源に関するアイクの記述を引用しましょう。
“土星はローマの主神であり、ローマではサトゥルナリアと呼ばれる祭りが毎年行われていた。本格的な冬に備えるこの祭りでは、プレゼントを交換し、木を飾り付け、ヒイラギをつるした。現在、わたしたちはその祭りを「クリスマス」と呼び、人類のほとんどが、まったく自覚することなしに土星を信仰し、悪魔(Satan)のアナグラムであるサンタ(Santa)を祝福している。” (同書同頁)
ポイントは、「まったく自覚することなしに」という表現です。
私たちは、「クリスマス」の起源や本質、目指すところを、本当に知り、自覚していると言えるのでしょうか?
「知らなかった」は許されるのか?
動画の最後について、注目したいことがあります。
「クリスマスを続けたければ、勝手にやってくれ、あなたの権利だ」と言いつつ、死んだ後、最高神に会った際、自分を弁明しなければならないと告げるのは、果して、フェアと言えるのでしょうか。
多分に脅迫めいた響きも感じます。
他方で、重要な問いも提起していると言えます。
「知らなかった。誰も教えてくれませんでした」という弁明が、神(それが何を意味するのであれ)に、通じるか、ということです。
これは、クリスマスに限らず、およそ、社会の嘘や欺瞞、陰謀と言われていること全般にも当てはまります。
意欲さえあれば、調べるツールはたくさんあるにもかかわらず、また「調べるように」と言う人たちや警告を発する人がいたにもかかわらず、耳を閉ざし、自分の見方を検討しようとしなかったことは、果して、「止むを得ない」とみなされるのか、私は非常に疑問です。
全く完全に、その事柄についての疑問を抱くことすらできないほどに、コントロールや洗脳が強く、オルタナティブな考えが許されない場で生きてきたのならともかく、きっかけやサインが無数にあったのに、注意を払わなかったという点は、許されないのではないかと思いますが、正確なところはわかりません。
この記事の意図と私の見解
この書き起こしをした意図は、クリスマスの起源について、まとまったことを述べられている情報を紹介することです。
ネットを探せば、また本でも、同種の情報は見つかるでしょう。
これを知って、クリスマスをどう祝うか、あるいは廃止するのかの判断は、一人一人がすることです。
私自身は、教会のクリスマスを祝うことすら、むずかしいと感じています。
多少なりとも、意識とエネルギーの関係、儀式や象徴がエネルギーを集める装置であることを知っている今となっては、悪魔崇拝儀礼に参加することは、より危険になったと言えるでしょう。
それらの仕組みを知らない時は、無自覚の内にエネルギーが奪われ、知った今となっては、知らないふりをすることはむずかしい。
もう教会の礼拝に行く気はありませんが、キリスト教の文脈で、クリスマスを祝うことも、クリスマスカードを送ることも、私にはできそうにありません。
それが、神聖さとは真逆の方向に、エネルギーを注ぐ行為につながっているならば、むずかしい。
他のクリスチャンが祝うことについては、それはそれぞれの選択ですから、尊重します。
ただ、前述したような理由で、クリスマスを祝わない私に向かって、「クリスチャンとしてどうなのだ?」と詰問されても、どうもしないとお応えするだけです。
本当に聖書が読めていれば、そういう質問の仕方はしないはずです。
理由も起源も知らないままで良いのか?
理由も意味も起源も知らぬまま、良いことだと思わされて、実は良くないことが、いつの間にか、慣習・常識となっている、こういうことが数限りなくあります。
地球温暖化とCO2排出削減、SDGs、様々な儀礼・宗教儀式、納税、保険料の納付、奴隷労働。
ウサギの穴は、見ようとすれば、どこにでもある。
だが、その源は、とてつもなく深く、調べて、考え続けることをしていかなければ、見えてこない。
「真実はあなた方を自由にする」