多面的存在である人は、常に移り変わる
物事・人間は多層的・多面的なもの、そう私は考えております。
今回は、人間の第一印象を巡ることについて考察します。
自分に見えているのは、相手のごくわずか
ある人に出会う時、自分が見ているのは、今のその人の、非常に限られた一面に過ぎません。
初対面で、完全に自分自身を100%出さない人の方がほとんどでしょうし、多少、盛ったり、減らしたりもしています。
むしろ、それは当たり前のことでしょう。
また、互いに、初対面の人に会った緊張もあります。
第一印象は参考程度の情報
よく「第一印象が全て」と言う人がいますが、みんながみんなそれだけで人を見るわけではない。
私は、第一印象は参考程度の情報と考えています。
それは、相手についての印象は、その後の関係如何によって、いかようにも変わるからです。
また、どんな人もそこにいたる軌跡があります。
目の前のその人だけで、「この人はこうだ」と評価を下すのは、あまりに公正さを欠いています。
もちろん、清潔感や人としての最低限の礼儀は備えた上での話です。
清潔に、また服装や立ち振る舞いを整えていたとしても、たまたまその時は、何らかの理由で、顔が暗かったり、声が小さかったり、逆に必要以上に声が大きかったり、いろいろなことがあります。
そういう時、「今日はもしかしたら緊張していたのかもしれない」「何か御不幸があったのかもしれない」と考えられるかどうか。
それが、人を丁寧に見ていくということです。
その人がどういう人かを知ってから判断するのが理性的態度
私自身、第一印象だけでジャッジされて嫌な思いを何度かしているので、他人にやらないようにしています。
第一印象+学歴+経歴で即断する人は、あまりに爬虫類脳しか使っていないと言えます。言い換えれば、人間脳を使っていないのです。
それでは、持続的な調和的関係を築くのは、むずかしい。
一体、どこの世界に、簡単にジャッジする人と、仲良く付き合いたいという人がいるでしょうか。
それゆえ、私は、なるべく、多層的・多面的に、相手を見るようにしています。
なぜなら、初めて会った目の前のその人については、知らないことの方が多いからです。
全く何も知らないというのが正確です。
もし第一印象だけで、「この人はこういう人だ」と判断するとしたら、ソクラテスならこう問うてくるでしょう。
「君は、あの人の何を知っているというのか。あの人がこれまでどんな思い・世界観・人生観で過ごしてきたのかを知っているのか。あの人の涙を見たことがあるのか。
あの人が何に怒り、何を好み、何に最も関心を抱いているのか知っているのか。あの人の心や体にある傷を知っているのか。ほら、何も知らないではないか。もし何かを判断するなら、それが何であるか、その人がどんな人かを知ってから行うのが理性ある人間ではないか。」
ソクラテスは、何事も、伝聞や噂、最初の印象だけで判断せず、何度も「それは何であるか」を尋ね、本当にわかるまで、問い続けました。
こういう姿勢は何か、あるいは誰かを知っていく上でも、必要なものだろうと思われます。
印象は常に移り変わる
反対に、第一印象だけで、短絡的に「この人はこういう人間」と判断する人は、爬虫類脳的であるとも言えます。
短絡的で、雑です。
しかし、印象は移り変わるものです。
相手を見る、その時の自分の気分・体調によっても変わるものです。
それを、相手だけに原因があるかのように見るのは、おかしいのですが、相手本位で考える想像脳を鍛えていない爬虫類脳は、そのようにジャッジしがちです。
爬虫類脳と人間脳の対比については、以下のゆたかさんの記事を御参照ください。
第一印象だけで人を見るのは、あまりに雑
また、これをお読みの方の中には、第一印象だけで、「あなたはこういう人だ」と決めつけられ、勝手に期待されたり失望されたりという御経験をお持ちの方がおられるかもしれません。
その時、「ちょっと待ってくれ」「第一印象だけで判断せず、もっと私を知ってほしい」とお思いになったのではないでしょうか。
それは自然な反応です。
ゆたかさんが、的確な対比をしています。
教科書以上に内容豊富な人間を、たった一度の出会いだけで、充分に知ることができるものでしょうか。
この社会は、爬虫類脳的な構築物
それにしても、メラビアンの法則と初頭効果は、コミュニケーションを教えるところでは、必ず一回は見るものです。
これらは、「第一印象を良くしましょう」という文脈で言及されます。
コミュニケーション、恋愛、ナンパなどの情報商材・セミナー・コンテンツでよく見られます。
また、就職支援プログラムでも見かけます。
この社会が、いかに爬虫類脳的な見方で構築されているかを物語っていると、言えるのではないでしょうか。
瞬間的な他者の第一印象と履歴書という紙切れ一枚だけを見て、その人の現在にいたる軌跡や多面性を見ないのが、就職面接で行われることです。
それだけで、一体、何がわかるというのでしょうか。
もっと言えば、これだけで、人がわかると思うこと、判断できるというのは、あまりに傲慢で、無知で、雑で、不誠実です。
これでは、本当に人間らしい、多様性豊かな人間・会社になりようがありません。
私は、こういう風に人をジャッジするような就職の仕組みも、それをよしとする社会にも、日に日に、疑問が増すばかりです。
ちなみに、まず私という人間を知って、その後で、履歴書を提出した職場が、過去2件あります。
そこが、今迄の職業人生で、働いていて最も良かったところです。
メッキはすぐに剥がれる
あるナンパの情報商材では、こんなことを、提供者は述べていました。
「女性が最初にあなたを知るのは、目・顔と声である。
特に、声が大事。だから、声をかける時のトーンとタイミングをしっかり学んでほしい。
性格がどんなに良くても、それは付き合って、ある程度、時間が経たないと、わからない。
だから、見た目と声が大事。それ以外はゴミである。」
私は、最初は、もっともだと思いました。
が、よくよく考えると、これは、あまりに短絡的であると思いました。
どれほどナンパにふさわしい声かけの仕方を学び、身だしなみを整えたとしても、その人の歩みや性格というのは、何かしらの形で出ます。
たとえ声かけ時にはあまり表面に出なくとも、カフェに行って、ちょっと話せば、メッキはすぐに剥がれます。
第一印象や見た目を過剰に重視する発想は、ともすれば、中身のなさをメッキで誤魔化すような、詐欺師の手法ととてつもなく近いようにも思います。
印象を良くしようとするのはいいと思います。
しかし、中身を整えずに、外側を整えるのは、相手を騙すことになりますし、「他人は第一印象で、お前を判断する」というのも、随分、人間を馬鹿にした発想ではないでしょうか。
まあ、こういうところが、ナンパスクールや商材提供者からすると、非モテとみなされる態度のなのでしょうが(笑)
人生は容易に言葉にならないものでできている
さて、そもそも、紙切れ一枚に、私たちの人生は収まるものでしょうか。
人生の大部分は、容易に言葉にならないものであり、自分でもうまく理解できないもので彩られているのではないでしょうか。
履歴書というのは、簡単に言葉にできて、誰でも理解できる情報だけをまとめたものです。
それで、自分という人間の全部をジャッジされるというのは、大抵の人にとっては耐えがたいことと思われます。
自分で調べ、自分で考え、自分で判断する自立・自律的な人であればあるほど、耐えがたさは強まることでしょう。
「私という人間の歩みは、そのA4かA3一枚で収まるようなものではない。もっともっといろんなことがあって、今日の私がある。そんな紙切れの情報よりも、もっと豊かな存在だ」
そのように思うのではないでしょうか。
本記事の範囲を超えるので、詳しくは論じませんが、履歴書というものもまた、狭い箱に人を閉じ込め、自分が無力で小さいもので、何かに依存しなければ生きていけないと思わせる、支配の手管の一ユニットのように思います。
自分は相手を丁寧に見ていく
第一印象だけで、「この人はこう」と決めつけて反省しない人からどう思われてもいいと、今では思います。
友人でもパートナーでも、第一印象ではなく、本質を見る人と友達になりたいものです。
この私の投稿を引用リツイートして、ゆたかさんはこう述べています。
ゆたかさんに同感です。
もちろん、現実にはまだまだ、短絡的で、雑な見方をする人が多く、また、コミュニケーションの本やセミナーで「第一印象がいかに大事か」を教え込まれた人が多いですから、初対面で、第一印象のみで人を見る人には出会うでしょう。
でも、自分がそのようにせず、丁寧に人を見ていくならば、やはり同じように、丁寧に人を見る人に出会えるものです。
あなたを、第一印象だけで即断する人に出会っても、気落ちしないでください。
あなたは、そんなものでは測れないほど、もっともっと多面的で、豊かな存在です。
また、人間の多面性、事柄の多層性に目を開かれ、丁寧かつ慎重に見極めていこうという姿勢が、人間脳の能力を育成していくことになります。
これらは、それを使おうとしない限り、機能しないままです。
そうやって、他人を慮り、意識の範囲を広げていける人は、爬虫類脳的社会における「地の塩」「世の光」のような存在です。
だから、どうか、自信をもってください。