パーソナリティーを最速で変える方法――人間には自分自身を”愛す”能力がある
「自分はこうである」と思う自分と「本当の自分」
多くの人は、幼少期から今にいたるまでの、周りの人々との影響で、「自分はこうである」という何となくの理解を持っています。
しかし、それが本当の自己と一致していないと、緊張を感じたり、おかしな感じを抱いたりというのを、ご経験された方がおられるかもしれません。
「自分はこうである」と思っていることの大半は、幻想です。
他人が見る「あなたはこういう人である」も、ほとんどの場合、本来の自己と一致しない幻想です。
もしかすると、本当の自己とは、普段、「私はこういう人間である」と思っていることとは違っていて、もっと楽に人生を歩める状態かもしれません。
人間タマネギ=自分についての幻想
ゲリー・ボーネルの霊的教師であるイーライは、ゲリーの自伝二巻目のある個所で、そのことを、ゲリーに伝えています。
人間は内なる自己――自分は誰であるか――を変える能力は持っていません。
しかし、”内側の景色”、真の自己をより速く知るためのワークやテクニックはたくさんあります。
本来の自己の周りに、自分と他人が作り上げた、「これが自分」という幻想が、玉ねぎの皮のように覆いかぶさっています。
その玉ねぎの皮むきを容易にするためのテクニックは、古来より様々ありました。
瞑想、呼吸法、ヨガ、シュタイナーの神秘学、グルジェフのワークなどです。
人間には、自分自身を愛す能力がある
その中でも、イーライが「パーソナリティーの変化を、君の世界の賢者たちが教えてきたテクニックよりも、ずっと速やかに可能にしてくれる方法がある」と言って、ゲリーに教えたのが、次のことです。
“人間は確かに、自分自身を変える能力は持っていない。しかし同時に、人間には自分自身を”愛す”能力がある。これが、人間を動物とは違う存在にしている。真の自己愛の状態の中では、変化は常に発生している。この愛すなわち、自己に対する果てしない思いやりこそが、真の錬金術なのだよ。自分を愛することは変化すること、古いものから離れて、新しいものの中に移動すること
(中略)
我々が話しているこの愛は、人間の自己実現への旅を加速するために必要な、失われてきた極意なのだよ”
(ゲリー・ボーネル『アカシャ 光の叡智』徳間書店、p,149-150)
人によっては、これはあまりに当たり前に思えて、拍子抜けするかもしれません。
自分に対して、「果てしない思いやり」を常に持てているか?
しかし、ちょっと考えてみていただきたいのですが、皆さん、自分に対して、「果てしない思いやり」というものを常に抱いていると言えるでしょうか。
あるいは、それを、一年中、ずっと持てている人はいるでしょうか。
多くの人は、幼少期から、周りの大人たちによって、「自分を愛さない」ように躾けられてきています。
自分が本当に、心から望むことをやっている時でも、かすかな罪悪感を抱くことがあるかもしれません。
あるいは、必要以上に自分を追い込むことが、自分のためになると信じて、余計に疲れるということもあるかもしれません。
自分のやりたいことは後まわしにして、宿題ややるべきことを「先にやりなさい」と言われませんでしたか?
自分が、自分にとっての最も大事な他者だとしたら?
それでは、皆さん自身を、あなたにとって最も大事な他者だと思ってください。
その人の幸福が自分の幸福だとするならば、どうしてほしいと思いますか?
伸び伸びと、その人らしく、自由に、楽に、生きてほしいと思いますよね。
その人が疲れていたら、休養や温泉を勧めたり、ハーブティーやアロマオイルをプレゼントしたり、肩揉みをしたり、リラックスできるように、働きかけませんか?
弱っているその人を、さらに追い詰めることを言ったり、罵倒したり、怒鳴ったり、「なんでそんなになるまで放っておいたんだ」と叱ったりはしませんよね。
しかし、そこまでひどくはなくても、多くの人が自分に対してやってきたのは、後者ではなかったでしょうか。
自分に対して思いやりを持つことと、甘やかすことは全く別のことですが、育てる側は、意図的か、無意識的にか、それを混同して、子どもに教えてきました。
だから、自分に対して、「果てしない思いやり」をもって接するとは、簡単なようでいて、むずかしいかもしれません。
甘い物が好きだからといって、有害な物質で作られた食品をたくさん食べるのは、自分に対して思いやりがあると言えるでしょうか。
睡眠時間を削ってまで、やるべきことを優先して、疲れ果て、自分の本来やりたいことを後まわしにするのは、自分に対して愛情深いと言えるでしょうか。
これは、簡単な例ですが、多くの場合は、どちらなのか、判断がつかないこともあるでしょう。
皆さんの置かれた状況で、自分を、「自分の大事な人」に見立てて、どうするのが「思いやりをもって接することか」を、見ていくのもいいかもしれません。
それによって、自分についての気づきを得ることもあるでしょう。
自分を責めてしまいがちなら、責める回数をまずは減らしてみる
人によっては、何か失敗や困ったことがあると、自分を責めることをしがちの人がいるかもしれません。
自分を責めるのと、どこが間違っていたかを振り返って反省することは別のことです。
その自分を、大事な他人だとしたならば、困っている人を責めることは、思いやりのある行為でしょうか?
そんなことをしても、何にもなりませんよね。
自分を責めてしまいがちの人は、まずそれをするのを、やめてみてはいかがでしょうか。
一日10回自分を責めてしまうなら、9回に減らしてみる。
それを、少しずつやって、ゼロに近づけていく。
多くの人は、「自己に対する果てしない思いやり」を、一日維持することも、むずかしいかもしれません。
私は、自分を不必要に責めることはかなりなくなりましたが、「自己に対する果てしない思いやり」を一日中持っているかと言えば、疑問です。
ワーク:自分に「愛している」と言い続ける
何をどうしていいかがわからないなら、最初は、寝る前の10分とか、ちょっと休憩している時に、やってみてはいかがでしょうか。
その時、何をやっていいか、わからないという人には、一つ、ワークを御紹介します。
プラーナを摂取することで十数年間生きているジャスムヒーンのワークショップに、2019年に行きました。
そこで彼女は、自分の体に向かって、「愛している」と言い続けることを、何度も実演しました。
“あなたの身体に「愛している、愛している、愛している、愛している」と、身体がぞくぞくするまで何度も伝えてください。”
(ジャスムヒーン『神々の食べ物 聖なる栄養とは何か』ナチュラルスピリット、2007、p,76-77)
口に出して言ってもいいですし、心の中で唱えても構いません。
大事なのは、自分の身体に、心からの思いやりをもって、気持ちをこめて「愛している」と言うことです。
これは、身体全体でもいいし、例えば、心臓や腎臓など、特定部位に対して行うこともできます。
「心臓さん、私はあなたを愛しています、愛しています、愛しています」と言い続ける。
「愛している」の代わりに、「感謝」でもかまいません。
「心臓さん、あなたに感謝しています、感謝しています、ありがとう、ありがとう」でもいい。
こういうワークをきっかけとして、自分の行動を振り返って、「自己に対する果てしない思いやり」を持てるようにしていってみてください。
「自己に対する果てしない思いやり」を抱くことがいつでもできるようになれば、たとえ、周りからどれほど非難されたり、傷つけられたりしても、自分で自分を見捨てることはなくなります。