リンカーンとJFKの共時性――象徴主義にこだわるDS
DSの象徴主義への異常なこだわり
レプティリアン血族、イルミナティ血族、Deep State(DS)の象徴主義や数秘術へのこだわりは、常識的な見方からすると、異常とも言えるほどのものだ。
彼らの仕組んだと思われる事件・事故・災害は、場所や人だけでなく、数字にも徹底的にこだわって、入念に組み立てられている。
それゆえ、それは数日や数週間で立案した計画ではなく、デーヴィッド・アイクが示唆するところでは、何十年単位の計画だという。
まさに、DSは、「秘教犯罪」とも言うべきものを、立案、演出、実行、あるいは上演してきた。
だから、ふつうにニュースメディアを見ていても、その意図や背景の理解は表面的にならざるを得ない。
日本で有名な例を挙げるならば、「日本航空123便墜落事故」だろう。
この「事故」と、不可解な点については、ネットや書籍で様々な情報が出ているので、ご興味のある方はお調べいただきたい。
他には、東日本大震災の起きた14:46という時間。
数と名前の「偶然の一致」はどうして起こるのか?
アイクによれば、数と名前の「偶然の一致」は、その多くが意図的に引き起こされたものだが、それ以外にも、単にエネルギー場によるものもあるという。
すなわち、
”個人または集団の意識自体が霊力の場と親和して、そこから生み出すエネルギーと同調するのだ。こうしてわれわれは、自分自身のリアリティを作り出している。われわれの内なる自己、すなわち霊力を持つ意識の場は、人の集団、場所、生き方、経験といった他の「場」と親和し、それが、われわれの生み出すエネルギーと同調する。”
(デーヴィッド・アイク『大いなる秘密 下』三交社、2000[原書1999]、p,338)
これを、「エネルギー場同士による霊的親和力」(p,338)と、アイクは呼んでいる。
したがって、「われわれの外部での肉体的な経験は、内部で起こっていることの反映に過ぎない」(p,338-339)。
“われわれが霊的に投影している姿勢や感情は、人の集団や場所、生き方や経験という形に親和して返ってくる。それが、われわれが投影したり送り出したりしている周波数に同調するのだ。(中略)この「磁力」のような親和力が好ましい霊力どうしのあいだに働くことで、ある名前の道に人が住み、ある名前の人と関係が成立するということになる。それは、あらゆるものが独自の霊力の暗号を持っているからであり、それに音や数、言葉、色、名前などが含まれているからだ。魔術の儀式で正確な音、言葉、呪文、色などが使われるのは、すべて、求めるエネルギー場ないし霊力場を顕現させるためなのだ。”(p,339)
つまり、正確な音、言葉、呪文、色を用いて儀式を行うことで、自分たちの求めるエネルギー場や霊力場を顕現させること、それが、DSが「秘教犯罪」を行う理由である。
彼らが求めるエネルギーとは、恐怖、悲しみ、怒りといった、低い周波数のエネルギーである。
愛、喜び、感謝といった高い周波数のエネルギーは、彼らにとって苦痛でしかないからだ。
事件・事故・災害によって、多くの人に苦痛、悲しみ、苦悩、恐怖を呼び起こさせることによって、彼らはそのエネルギーを吸収している。
最も注目しやすい「数字の共時性」に絞って、DSの象徴主義を取り上げる。
なお、『大いなる秘密』では、アイクは、DSのことを、「超秘密結社(ブラザーフッド)」と呼称しているが、これは後の著作の「イルミナティ血族」「レプティリアン血族」と同じものである。
これから取り上げるのは、ジョン・F・ケネディ第35代アメリカ大統領の暗殺と、JFKとリンカーンの共時性である。
JFK暗殺をめぐる以下の記述はすべて『大いなる秘密 下』(p,340-341)からの引用である。
読みやすいように、整えて、提示する。
数字に注目して、お読みいただきたい。
ジョン・F・ケネディ第35代アメリカ大統領の暗殺に見られる象徴主義
1963年11月22日 JFK暗殺。
11月22日は、教皇クレメンス五世の大勅令が出て、テンプル騎士団がドミニコ派の異端審問で拷問にかけられるようになった記念日。
その大勅令が出されたのは、1307年11月22日。
月を表わす「11」に日を表わす「22」を足せば、やはり「33」になる。
ジョンとジャッキーのケネディ夫妻がフォートワース空港を出たのが1963年11月22日の午前。
飛行機はダラスのラヴフィールド空港の28番ゲートに到着。
「28」という数は、ソロモンのカバラ数秘術では「ビール」という名を与えられている。
ビールという言葉は、ベル(エル)⇒バール⇒ビ・アル⇒ビールという具合に派生してきたもの。
これらはすべて、太陽神と関係している。
テンプル騎士団の第二十八位階は「太陽王の位階」。
JFKは、マサチューセッツ州ブルークラインの「ビール」ストリート83番地に、1917年5月29日に誕生した。
ダラスへの運命の遊説の際に大統領の「護衛」を組織したのはCIAのニューオリンズ支局だが、同支局は、フリーメーソンの神殿の建物内にある。
(ちなみに、JFKは、CIAの解体を目論んでいたが、これはCIAとその後ろにいるイエズス会にとっては目障り極まりないことだった。他にも、ケネディは政府による無利子資金の供給を施行しようとしていたが、これも、イエズス会にとっては邪魔な政策であった。ケネディのやろうとしたことは、後にドナルド・トランプ第45代大統領によって引き継がれる。)
ダラスは北緯33度線からわずか16キロのところにある。
フリーメーソン・スコティッシュ・ライトの創建時のロッジがチャールストンにあって、こちらは正確に北緯33度。
最初の原子爆弾が爆発した「トリニティ」実験場も北緯33度線上にある。
ケネディのパレードが通ったエルムストリート(ニレの樹通り)は、かつてブルー・フロント・タヴァンというフリーメーソンの集会所のあったところ。
パレードは12時22分にディーリー・プラザに到着した。
このエルムストリートは「ブラディ(血まみれ)・エルムストリート」と呼ばれていて、銃撃や刺殺事件、その他の暴力行為が数えきれないほど起こっていた。
[コメント]
『エルム街の悪夢』の「エルム」はここから取られているのかもしれないと、ふと思った。
この映画に出て来る「怪人フレディ」は、生前、幼稚園の住み込みの用務員で、園児たちに性的暴力を振るった容疑で、証拠もないまま火あぶりにされたフレッド・クルーガーという男だった。
フレディが怖すぎて、私はまともに見てはいないのだが、これも、DSの「予測プログラミング」の一環だろうと思われる。
話を戻す。
ディーリー・プラザのすぐそばはトリニティ川。
この古代ブラザーフッドの野外神殿にやってきたジャッキー・ケネディは、女神=「愛と美の女王」を表わし、ジョン・F・ケネディは、その生贄である「太陽王」になぞらえられる。JFKは、古代儀式<太陽王の死>における生贄だった。
ゲール語で「ケネデック(Ceanaideach)」は「傷ついた頭」という意味。ケネディはもちろん、頭を撃たれている。
アイクが信頼できる筋から聞いたところによれば、JFKは翌年の春までは死ななかったという。
“その人物によれば、検死写真に写った「ケネディ」はJ・D・ティペットという警官だったそうだ。しかも、ケネディそっくりのこの男がオズワルドに撃たれたことになっているが、なんとオズワルドの銃は不発だった(!)のだという。”(p,341)
コメント:JFK生存説について
JFKは暗殺から生き延びて、最近――2021年1月末――まで、生きていたという噂が、トランプ支持者の一部にはある。
ドナルド・トランプ大統領がJFKとされる老人に暖かく接している動画や写真が出回り、この老人がJFKだと言う人もいれば、別の人だと言う人もいる。
真偽は不明だ。
そもそも、JFKの暗殺自体、いろいろな憶測を生む不透明極まりないものなので(ここに象徴主義が加わるので、余計に複雑になっている)、暗殺の成否だけでなく、生存の有無についても、一般人には確かなことを述べるのはむずかしい。
高レベルQアノンの人たちは、JFKに限らず、この「死人が生きていた」という話に全く言及していない。
一般人の感覚からすれば、ドン引きするネタでしかないからだ。
私自身は、JFKに限らず、「死んだ人が実は生きていた話」は保留である。
一連の「死者」たちの生存話がどこから出たのかは不明であり、またこの話が流布することで誰が得するのか、どんな意図があるのかが、いまだに全く見えない。
希望ポルノだとしても、もう少しマシな話題があると思うが、なぜ「死者の復活」なのだろうか。
仮に、JFKが生きていたとしよう。
そうすると、儀式は失敗なので、その影響は儀式を行った側に跳ね返ったはずだ。
「JFKは生きていて、メドベッドで治癒され、儀式は失敗に終わって、DSの実行者に影響が跳ね返った」という話がもし本当だったら、これはなかなかに痛快だ。
JFKを暗殺したのは、妻のジャッキーだった?
また、これは知っている人は知っているだろうが、JFKを暗殺したのは、妻のジャッキーだったらしい。
アイクはそう明言してはいないが、こういうことを書いている。
“夫の死後、ジャッキー・ケネディはエーゲ海のデロス島へ旅立った。ここは伝説によれば、女神ディアーナとギリシャの太陽神アポロンが生まれた地と考えられている。ディアーナ(月)とアポロン(太陽)は、ブラザーフッドの象徴主義では一つに合わせることが多い。また、デロス島は死神の島としても知られている。これは、女神ディアーナの別バージョンであるヘカテが、「地獄の業」の後援者と言われているからだ。ジャッキーは、ギリシャのデルフォイにあるアポロン神殿に足をのばし、そこにあるギリシャ劇場の廃墟で、「太陽の挨拶」と呼ばれる古代儀式を行っている。”
(『大いなる秘密 下』p343-344)
“(アメリカの研究家)ジェームズ・シェルビー・ダウンノードによれば、ジャッキーはこれを、「アレイスター・クロウリーのような人物に教わって」行ったという。ほかにも彼女は、吸血鬼で名高いサントリーナ島に立ち寄っている。吸血鬼の話の起源は、ブラザーフッドの飲血や吸血の儀式だ。”(p,344)
なぜジャッキーは、夫の死後、エーゲ海のデロス島に行ったのか?
喪に服するとしても、もっとふさわしい場があるように思うが。
なぜジャッキーは、悪魔主義者のアレイスター・クロウリーのような人間に教わった儀式を、夫の死後に行ったのか?
ジャッキーが一人で儀式を行ったとは考えにくく、また、彼女はJFKと結婚する前から、秘教の訓練を受けていたと思われる。
ジャッキーによる「太陽の挨拶」という儀式までが、JFKの暗殺計画だったのかもしれない。
Qmapによれば、アレイスター・クロウリーの娘の一人が、ブッシュJrの母親である。
真ん中辺りに「第四密度のネガティブな存在」と書かれた三角形がある。
そこから少し左に「日米欧三極委員会」とあり、そのすぐ下に「バーバラ・ブッシュ」とあって、「アレイスター・クロウリーの娘」と書かれているのが、見えるだろう。
象徴主義を加味すると見えてくる風景
以上のように、JFK暗殺をめぐる事柄は、象徴主義を学ぶことで、より見えてくるものが多々あるのではないだろうか。
なお、この事件の解決とは、誰が、何の意図で、この計画を立案・実行したかが公に明らかとなり、関係者全員が、法と道徳に基づいて、しかるべき裁きを受け、適切な刑に服することだ。
選挙によって選ばれた一国の大統領が、在任中に、暗殺されるという非道がただされることこそ、正義に適っている。
仮に、JFKが最近まで生きていたとしても、それは喜ぶべきことではあるが、事件の解決とは言えない。
過ちは正されねばならない。
JFKとリンカーンに見られる共時性
名前と数の科学における(これが数秘術である)共時性に目を向けるなら、JFKとエイブラハム・リンカーンの暗殺にも驚くほど一致点が多い。
1846年 リンカーン 連邦議員に選出
1946年 ケネディ 連邦議員に選出
1860年 リンカーン 大統領に当選
1960年 ケネディ 大統領に当選
両大統領は、共に黒人の人権のために尽力した。
両大統領共に、大統領在任中、子供を一人亡くしている。
両大統領の跡を引き継いだのは、いずれも「ジョンソン」だった。
1808年 リンカーンの跡を継いだアンドリュー・ジョンソン誕生
1908年 JFKの跡を継いだリンドン・ジョンソン誕生
リンカーンの秘書は「ケネディ」という名で、ケネディの秘書は「リンカーン」という名前だった。
1839年 リンカーンを暗殺したジョン・ウィルクス・ブース誕生
1939年 JFK暗殺犯と言われるリー・ハーヴェイ・オズワルド誕生
リンカーンが暗殺されたのはフォード劇場、ケネディが暗殺されたのはフォード社のリンカーンという車の中だった。
リンカーンを暗殺したジョン・ブースは劇場で撃ち、倉庫で捕まって、愛国者に殺された。
JFKを暗殺したオズワルドは倉庫から撃ち、劇場で捕まって、愛国者に殺された。
両大統領とも金曜日に、そして妻のいる所で、頭を撃ち抜かれて殺された。
リンカーンには二人の息子がいて、一人は政治家となり、もう一人は政治家になる前に暗殺された。
JFKにも二人の息子がいたが、一人は政治家になり、もう一人は政治家となる前に飛行機事故で亡くなった。
後者は、1999年の飛行機事故で亡くなったとされたJFK Jr。
(参考:超常戦士ケルマデック『超常戦士ケルマデック あらゆる人生に奇跡を起こす不思議な物語』p,28、デーヴィッド・アイク『大いなる秘密 下』p,342)
JFK Jr.は生きているの?
JFK Jr.が生きているのかどうか、1999年の飛行機事故が偽装事故だったのかどうか、正確なところは知らない。
まだ、確証に足るものは出ていない。
ただ、彼は、生存していると、直感で感じる。
テレグラムの彼のアカウントは、おそらく偽アカウントだろう。
本当に、彼が生きていて、重要な任務に就いているなら、あれほど頻繁に発信をしている暇などあるわけがないからだ。
こんな頻繁な「偶然」はあり得るのか?
さて、このケネディとリンカーンの共時性を初めて目にしたのは、超常戦士ケルマデックさんの著書『超常戦士ケルマデック あらゆる人生に奇跡を起こす不思議な物語』においてだった。
ケルマさんは、形態形成場(ルパート・シェルドレイク)や、同じことを繰り返すことで出来事を超克する「修正反復」という概念で、これらの事象を語っている。
大抵の人は、これらの共時性(シンクロニシティ)を、「偶然」と片付けるだろう。
だが、本当に、こんな頻繁な「偶然」があるだろうか。
こういう”Q”の言葉がある。
“How many coincidences before mathematically impossible.
(いくつ偶然が起こったら、(ただの偶然であることが)数学的に不可能になるだろうか?)”
デーヴィッド・アイクのような著作家が書いていること、「世界の裏側の事情」を知らなければ、ケルマさんのように形態形成場や修正反復という概念・説明になるのは無理からぬことだ。
これだけ、多くの一致、頻繁な「偶然」は、むしろ、「計画的になされた」と見る方が、論理的ではないだろうか。
ここで、シャーロック・ホームズの言葉を引用したい。
“不可能を除外した時、それがどんなにありえなさそうであっても、残ったものは真実なのだ”
(『シャーロック・ホームズの冒険』所収の短編「緑柱石の宝冠」より)
もしこれが計画的なものだとすれば、誰が、いつ、どんな意図をもって、立案したのか、それをこそ、問わねばならない。
だが、これは、象徴主義をほとんど知らない私には全く手に余る。
今は、デーヴィッド・アイクの論述を辿ることで、満足する以外にない。
皆さんは、リンカーンとケネディの一致を、「偶然」と思いますか?
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