『憂国のモリアーティ 14巻』を読んで
『憂国のモリアーティ』のアニメの新話と新刊コミック
昨日、アマゾンプライムを見ていたら、『憂国のモリアーティ』のアニメの続きが始まっていました。
昨年12月20日の11話で、一度終わっていて、続きが気になっていました。
「大英帝国の醜聞」編、遂にアイリーン・アドラーとマイクロフト・ホームズの登場です。
アニメの公式サイトはこちらです。
また、4/2発売のコミック最新刊、『憂国のモリアーティ 14巻』を読みました。
これで物語は終わるかと思ったら、また違う話が始まっているという。
ミュージカルや舞台の新作もできるようで、まだまだ楽しみは尽きません。
ミュージカルは一回、舞台は二回、見ました。
昨年は、チケットが取れず、行けませんでした。
『憂国のモリアーティ』の概要
なるべくネタバレは避けるようにしますが、どんな話なのかを、述べてみます。
この作品は、シャーロック・ホームズの敵(かたき)であるウィリアム・ジェームズ・モリアーティが主人公です。
もちろん、ホームズも、ウィリアムに匹敵する主役級のキャラクターです。
ほぼ全員が美形キャラです。
そういえば、初めてミュージカルに行った際、観客の95%が女性で、男性はほんのわずかでした。
その時は、私の隣に座っていた二人連れの女子大生と、休憩時間に話ができました。
コミックを読んでいるから、突っ込んだ話ができて、面白かったです。
舞台は19世紀末の大英帝国
本作品の舞台は、19世紀末の大英帝国で、貴族と庶民の間に、著しい序列のある階級社会です。
貧富の格差が著しいだけでなく、罪を犯しても、庶民が不利益を被る法システムでした。
明らかに貴族が悪いのに、貴族はおとがめなしとなるという話がたくさんありました。
善良な貴族もいますが、貴族の中には、庶民を家畜のように扱う人々もいました。
貧しい子を誘拐して、狩りの獲物にしたり、虐待したりといったことを、秘密裏に行っている貴族もいました。
何だか、どこかで聞いたような話ですね。
後者の悪魔のような貴族が、階級社会の歪みの体現者です。
主人公たちの理想・目的と手段としての犯罪
主人公たちは、人の心を歪ませ、社会を歪ませる、階級制度の打破を目論みます。
しかし、議会での議論・法改正をなそうとしても、貴族院の力が強い状況下では、それはほとんど不可能に映りました。
よって、主人公たちは、階級制度の歪みを体現したような貴族を、衆人の目の注ぐ状況下で殺害するという犯罪劇を上演します。
それを、探偵シャーロック・ホームズが解決することで、大英帝国の不平等を市民に知らしめます。
最終的には、庶民と貴族の手を取り合うように物事を動かし、合法的に国を良い方向に変えるように促します。
彼らにとって、犯罪はあくまでも手段であり、目的は、階級制度の打破です。
もちろん、主人公たちの手段は決して許されるものではなく、彼らも覚悟の上です。
計画が成就された暁には、全員が死をもって償うことを承知の上で、活動しています。
でも、理想は正しく、すばらしい。
「法で裁けない悪党を裁くには、自らも悪魔になるしかない」、それが主人公たちの出した結論です。
まず自分たちに注目が集まる状況を作る
モリアーティ三兄弟は自分たちを、犯罪卿と呼称します。
そうして、主人公たちは、最初は、「殺されても仕方ない」貴族を殺害して、庶民たちの支持を集めることをします。(もちろん、作中で、ホームズが指摘しますが、「殺されても仕方ない人間」だとしても、「殺されていい」ことにはなりません)
「犯罪卿は義賊だ」という評価が、メディアを通じて、庶民に広まります。
もちろん、法に照らせば犯罪者です。
しかし、自分たちに注目してもらい、無視できないようにするというのが、当初の目論見です。
人々の対立を団結に変える
それが実現した後は、庶民の代弁者のような議員を殺害して、「犯罪卿は義賊ではない。貴族も殺している。大英帝国の敵だ」と、人々が認識するように仕向けます。
犯罪卿という共通の敵が生まれたことで、「貴族と庶民が階級の垣根を超えて、手を取り合う」布石ができました。
それまで、分断されていた人々を、ウィリアムたちは団結させたのです。
ここまでが、1巻から12巻までの、大まかな内容です。
そして、13巻と14巻で、ロンドン自体を破壊することで、実際に、貴族と庶民の手を取り合うことが起きます。
それが、法改正や社会の変化へとつながります。
主人公たちの真意は、一部の人しか知らない
「劇場型犯罪を通しての階級制度の歪みの喧伝、そして、対立を団結に変えて、階級制度を打破する」というモリアーティプランの意図と詳細を知っているのは、作品内では、主人公たち以外では、ごく少数の人だけです。
ある種の正義をなしても、多くの人々に、犯罪卿は恨まれて、記憶されます。
その正義は、国の今と将来を憂えるところから生まれます。
それが、タイトルに「憂国の」とつく理由なのでしょう。
読者としては、そこに、一抹の悲しみを感じざるを得ません。
自らも悪魔となり、法に触れることをすることでしか、正義を実行できない、それほどに歪んでいる社会に生きながら、なお正義と理想を主人公たちは貫こうとしました。
そこに、決して表に出ることのない悲哀と高潔さを、私は感じました。
おそらく、探そうとしてみれば、「多くの人に誤解されているが、一部の人だけは、ある人の真実・正義・理想を知っている」、そういう人がたくさんいるはずです。
メディア王にして脅迫王のミルヴァートン
異色のキャラクターが、「メディア王」とされるミルヴァートンです。
すべてのメディアを掌握しているだけでなく、大英帝国中の人々の秘密も握っていて、それを利用して脅迫もするので、「脅迫王」という異名も持っています。
ウィリアムたちは、必要悪ですが、ミルヴァートンは、掛け値なしの悪党です。
極悪貴族たちに優るとも劣らないキャラクターですが、とてもインパクトのある人です。
ただ、どことなく小物臭もしますので、それが笑えます。
とても質の高い作品
人物造形はもちろん、物語の展開、キャラクターのやり取り、すべてが緻密に組まれていて、質の高い作品に仕上がっています。
若干、頭を使う箇所はありますが、全体としては読みやすい。
それでいて、「正義とは何か」を正面切って問うている作品でもあります。
特に、「法で裁けない悪を裁くのに、自らも法を犯してまで、悪を裁くのは正しいのか」というのが、本書を流れている一つの大きな問いだと思われます。
正しいか否かで言えば、私は間違っていると思います。
それは、実は主人公たちもわかっています。
だから、罪を償うことが、計画の中に織り込み済みなのです。
それは、実際に死ぬことだけでなく、生きて汚名を雪ぐ人生を歩むという辛い形もあります。
「法で裁けない悪を、自らも法を犯してまでも裁く」、これは口で言うほど、なまやさしくはありません。
目的とする理想が高ければ高いほど、とてつもなくむずかしい。
しかし、これよりももっとむずかしく、しかし、成功したら、誰もが賞賛せずにはいられない営みがあります。
それが、「法で裁けない悪魔を、法で裁けるように、悪行を白日の下にさらして、正当な裁きと報いを受けさせる」というものです。
トランプ陣営がやってきて、今もやっているのは、まさにこれなのです。
この作品を読むことで、トランプ陣営がいかにものすごいことをやっているのかが、改めてよくわかりました。
映画・劇を上演して、悪党の不正や悪行を白日の下にさらすという点は、とても似ています。
ただ、「自らも悪魔となって、法で裁けない悪を、違法に裁く」のか、あるいは「あくまでも、法と良心と道理に照らして、適切な方法で裁く」のか、そういう違いがあります。
何度読んでも楽しめる作品
新刊が出る度に、既刊を読み返すことを何度もしてきました。
何度読んでも、発見があり、面白さのある作品です。
アニメは、基本、原作を踏襲していますが、原作を知っている人も充分楽しめるような話の展開と演出になっています。
原作を知っている人からすると、「ああ、この話をこう出してきたか」とか、「この話はどこで絡ませてくるのかな」と、予測する楽しさがあります。
逆に、アニメを見て、原作を読む人も、また発見があることでしょう。
絵を描いている三好輝氏は、『PSYCHO-PASS』の絵も描かれているので、ウィリアムは、何となく、槙島聖護を髣髴させるところがあります。
ただ、槙島ほど、シニカルではありませんし、古典の引用もしません。
ネタバレになるので詳しくは言いませんが、14巻の途中で、ウィリアムがホームズに、あるお願いをします。
それを読むと、ウィリアムは、どんなに社会が良くなっても、小さな人たちの助けを求める声はなくならないことをわかっていたのがわかります。
小さくされた人、声をあげられない人、弱くされている人の状況と気持ちに、どこまで寄り添えるか。
そして、往々にして、それは、子供です。
助けを求める小さな声に耳を傾けるのを忘れない、容易なことではないですが、非常に大事な視座だと、再認識しました。
この作品に出会って、本当に良かった。
第1クールOP"DYING WISH"
第1クールED"ALPHA"
第2クールOP"TWISTED HEARTS"
第2クールED"OMEGA"
4曲とも、名曲です!