相手本位の人が、これからは重宝される?!
コミュニケーションのセミナーを受講したことがある
数年前に、コミュニケーションについて学ぶ、数ヶ月のセミナーを受講しました。
講師は、岸正龍先生。
名古屋でメガネ屋を経営する傍ら、心理学に基づくセミナーや講師をされています。
自分自身の話:コミュニケーションが苦手な時期があった
ちょっと私自身の話をすると、中学でいじめにあって、感情の一部が欠落し、人間不信にもなりました。
大学に入った時、同性とは話ができましたが、異性と、どう接していいのか、最初、わかりませんでした。
中学まではできたのに、高校が男子校だったこともあって、完全に、わからなくなっていました。
それでも、いろいろ試行錯誤して、また人に揉まれながら、接し方を学んでいきました。
最初に勤めた会社と、その頃行っていた教会で、人と接することをしながら、徐々に、コミュニケーションの感覚を取り戻していきました。
初めて、女性とも付き合いました。
今から考えると、コミュニケーションの基本となる考え方や、基盤となる信頼が暴力で壊れてしまって、人との関係をどう作るかに混乱が生じていたのだと思われます。
コミュニケーションがうまくいかない、努力しているのに、それが実を結ばないのは、苦しいものです。
人生も困難になります。
今の所属教会では、コミュニケーションのむずかしい人たちがいて、難儀しました。
このように、岸先生のセミナーを受講する理由がありました。
今でも岸先生とは交流がありますが、この最初のセミナーには、どんなに感謝してもしきれません。
コミュニケーションの鉄則
テクニック的なことも教わりましたが、繰り返し言われたのは、コミュニケーションの鉄則です。
それは、「人に興味を持って見る」です。
コミュニケーションはこれに始まり、これに終わります。
ちょっと考えてみてください。
誰かが、自分のところに来ました。
相手が自分に興味をもって、話をいろいろ聞いてくれたら、自分も相手に、興味をもって、相手を知ろうとしませんか?
では、逆に、相手が一方的に話をするばかりで、自分に対して、何の興味も持っていないように感じられたら、居心地の悪さを感じるのではないでしょうか。
例えば、自分が誰かと、向き合って食事をしているとします。
自分は、場を和ませようといろいろ話をしているのに、相手は上の空で、スマホを見ているばかりだったら、「もう二度と、この人とは食事をしない!」と、感じませんか?
そうして、自分のコミュニケーションを振り返ると、うまくいかなかったコミュニケーションは、相手への興味・理解が不十分なまま、力押しでやろうとしていたことに気づかされました。
心のざわめき=心理的抵抗
また、他方、自分が、誰かから話しかけられた時、心がざわざわする理由も、セミナー受講でわかりました。
この心のざわつきを「心理的リアクタンス(抵抗)」と言います。
相手に敬意を抱いて、事実と証拠に基づいて、枠珍の危険性について述べたとします。
それに対して、相手が話を満足に聞きもしないで、「そんなのあり得ないよ」とか、嘲笑してきたら、心がざわざわしませんか?
それが、心理的リアクタンスです。
アリエン星人は、心理的リアクタンスを引き起こすような話し方をよくします。
ジャッジ、嘲笑、無理解、無視、マウント、暴言、怒鳴る、威圧、机や物を叩く、早口(相手のペースを考慮しないような)、これらをされて、心がざわつくのは、自然なことです。
岸先生がセミナーで伝えようとしたのは、「相手の心理的抵抗をいかにゼロにして、相手と信頼関係を築くか」ということです。
心理的抵抗が出た時点で、そのコミュニケーションは失敗です。
仕切り直しをしない限り、その関係が前進・発展することはありません。
相手との信頼関係――ラポールと言います――ができていないのに、テクニックを使っても、相手は「何かをやられている」と感じるばかりで、決してうまくいきません。
「最近どうですか?」ゲーム
まず、「相手を興味をもって見る」、そして、頷き、相槌、言葉のオウム返しをしつつ、相手の話を聞いていく。
岸先生が主宰しているコミュニケーションを学ぶ実践型の研究所では、二人一組になって、「最近どうですか?」と尋ねるゲームをします。
一方は話を聞き、一方は話をします。3分間。
聞く方は、相槌、頷き、オウム返しで、受ける。
大体、メンバーは慣れているので、話をする側はあっという間に3分が過ぎる感じがします。
3分過ぎると、相手の話をさらに盛り上げる質問をする。
これも、直前まで相手の話をしっかり聞いていないと、できません。
上の空になって、「何を言おうか」と考えて、相手への注意が薄れると、できない。
皆さんも、友人や家族とやってご覧になるといいと思います。
「お金の不安」が消えても、人類の問題は残る
ゲサラや金融リセットで、お金の不安はなくなると思われます。
ただ、そのことで、我々が抱えるすべての問題が解決するわけではないでしょう。
お金の不安がなくなることで、お金を使って、他人をコントロールすることはできなくなります。
仮にやっても、そういう人の下から、人が離れる結果になるだけです。
また、自分のコミュニケーション方法が暴力的な人、例えば、相手の話を理解する意欲がなかったり、すぐに「あり得ない」と断定する人、バカにする人は、それらを改めないと、これから苦労するでしょう。
そんな人とは、誰も仲良くなりたいとは、思わないからです。
567でも、マスコミ・政府の嘘でも、何らかの「真実」を、身近な人に伝えようとしてきた人たちは、うまく伝わらなかった人たちに出会っているはずです。
そして、「どうしたら伝わるだろうか」を試行錯誤されたはずです。
私もずっとそれを考えています。
そういう経験は、これから、とても生きてきます。
相手本位のコミュニケーションができるか
相手に敬意を抱いて、相手が、政府やマスコミの嘘に気づけるような話し方をする、情報の出し方をする。
自分の意見は述べるが、相手の自主性を尊重して、押しつけない。
「私はこの情報を調べて、この判断に落ち着いた。あなたはどう?」
そういうコミュニケーションができて、真面目・等身大・親切な人が、これから重宝されていくのではないかと思われます。
反対に、これまで、相手に興味を持つこと少なく、相手をバカにしたり、情報を一部だけ出すとか嘘を吐くことで他者をコントロール・操作しようとしてきた人、権威や伝統で自分の意見をゴリ押ししてきた人、自分の常識ですぐにジャッジする人、自分の言う通りにしない人に対して暴力・暴言でもってコントロールをしようとしてきた人、相手のペースを考慮しない一方的な早口で他人を圧倒してきた人は、呆れられ、人が離れていくのではないでしょうか。
後者のタイプのコミュニケーション方法は、「泥棒コミュニケーション」と言ってもよい。
泥棒コミュニケーションは新時代では通用しない
“Com-“という接頭辞は、「共に」という意味があるので、厳密には「泥棒コミュニケーション」という表現は、いささか矛盾しています。
これは、相手に何も与えず、相手から奪うだけのコミュニケーションを言います。
コミュニケーションとは価値の交換です。
にもかかわらず、相手が自分から一方的に時間・お金・エネルギー・物を取っていくだけで、自分に何も返してこないなら、それは、泥棒です。
私が見るところ、男性はこれをやりがちです。
こんな例はいかがでしょうか。
家事も育児も奥さん任せで、旦那はほとんどそれらにタッチせず、遊んでばかりいる。
それに対して、感謝の言葉をかけるでもなく、労わることもない。
洗濯がなされて服が綺麗なのも、食事が出てくるのも当たり前。
自分の思い通りに物事が動いていないと、癇癪を起こしたり、怒鳴ったり、舌打ちしたり、バカにしたりする(これを日常的にやっていれば、ほぼDVだと、思います)。
奥さんがいい状態でない時も、遊んでいる。
時間とエネルギーの量が不均衡で、交換になっていないのが、わかりますよね。
もしベーシックインカムが創設されて、お金の不安や生活の不安がなくなるなら、こういう関係性では、いずれ、離婚してもおかしくない。
「お金の不安」がなくなったら、「俺が稼いでやっているんだ」「誰のおかげで生活できていると思うんだ」というマウントは通用しない。
とても恥ずかしい人とみなされるでしょう。
泥棒コミュニケーションをする人とは、誰も仲良くなりません。
途中で、「あ、この人、泥棒コミュニケーションだな」と気づいたら、自分が損なわれたくないので、大抵、人は離れます。
「我慢は美徳」は洗脳
既にと申しましょうか、これからは「我慢の時代」ではありません。
マウントする、暴力をふるう、机をバンと叩く、怒鳴る、ジャッジする、全部、他人に心理的リアクタンスを起こさせる行動です。
今はまだむずかしくても、「お金の不安」が消えれば、こういう人たちに我慢をする必要はなくなります。
コミュニケーションの鉄則を弁えていたおかげで、何とかなった実体験
大勢の前で話ができなくても、あるいは、一対一で、話がたくさんできなくても、「相手に興味をもって見る」、この鉄則を弁えていれば、コミュニケーションはうまくいきます(明らかに、おかしな人は除く)。
岸先生のセミナーの受講中、月一回リアルのセミナーがありました。
それ以外の日は、オンライン講義を視聴して、課題をやるという日々でした。
4月のリアルセミナーの日、父が亡くなりました。
その約10日後に、葬儀がありました。
私も遺族として、弔問客に挨拶をせねばなりませんでした。
ほとんどの人は全く知らない人でしたから、最初は「何を話せばいいのか」と不安になりました。
その時、岸先生のセミナーで繰り返し言われた鉄則「相手に興味をもって見る」を、思い出しました。
そして、休憩室に行き、10人ぐらい座っているテーブルに行き、「今日はありがとうございました」と挨拶すると、口々にいろんな方が、父への思いを語られました。
私はそれを頷き、相槌しつつ、ひたすら、聞きました。
それで、問題なく、対応できました。
うまく伝わらなかった経験も実になる
「お金の不安」がなくなり、嘘が吐けなくなった時、それまで、真心で人と接することをしてきた人たちにとって、これからはすばらしい時代になると思います。
「真実」を伝える過程での苦労や試行錯誤は、その時代において、とても有用になると思われます。