ダイアナ妃の歩みその3:綿密かつ詳細に計画された儀式殺人
「ダイアナ妃の歩みその2」の続きである。
結論を先に言ってしまえば、ダイアナ妃は「事故死」ではなく、詳細な計画と明確な意図をもって暗殺されたのであり、また悪魔崇拝儀式の生贄であったというのが、アイクの見解である。
警備責任者アル・ファイド
ダイアナの警備スタッフの責任者は、モハメド・アル・ファイドという人物である。
彼は一体、どんな人間か。
・ホテルリッツの企業主
・ハロッズの買収に資金が足りなかったので、ブルネイ国王に、その資金を出させた。
・アル・ファイドはブルネイ国王のために働いて、ロンドンの名門ホテル、サヴォイとドチェスターを購入した
・アル・ファイドはブルネイ国王の部下
・ブルネイ国王の友人は、イギリス女王。1998年9月16日から20日まで、女王はブルネイ国王を訪問している。
・防弾設備のメルセデスを何十台と揃えている
・350万ポンドのシコルスキー型ヘリコプター、1300万ポンドのガルフストリーム型ジェット機、1500万ポンドのヨット「ジョニカル号」を所有
・スコットランド、サリー、ロサンジェルスにいくつもの城と200平方キロ以上の土地を所有
・ネス湖の近くにあるスコットランドの城バルナガウンを所有
・アル・ファイドの義兄のアドナン・カショーギは、悪名高いサウジの武器商人でかつ、その黒幕でもあり、合法・非合法合わせて、数十億ドル分もの武器取引を扱ってきた
・武器取引の商談の多くは、アル・ファイドが所有するパリのホテルリッツで行われている
・アル・ファイドはホテルリッツに盗聴器を仕掛け、VIP客の話を盗み聞きさせている
・アドナン・カショーギはジョージ・ブッシュとごく近い関係にあり、1980年代に「イラン・コントラ」では、ブッシュの武器・麻薬取引に資金を一部提供していた
・アル・ファイドは、「ハロッズの数多くの若い女性職員に「性的嫌がらせ」をしたとして苦情が絶えないが、これまですべて起訴を免れてきていて、その数は今も増え続けている。」(p,369)
・アル・ファイドのセックス狂いは伝説的。「十七歳のサマンサ-ジェーン・ラムジーという少女の話では、身体を触られたと上司に言いに行ったところ、その上司は溜息をついて、「またか」と吐き捨てるように言った」(p,360)という。さらに、「サマンサ-ジェーンが地元のメリルボーン警察署へ苦情を持ち込んだところ、警官は、「ここへ来るのはあなたが初めてじゃありません。アル・ファイド氏に関する書類は山ほどあるのですが、証拠がないのです。訴えても、水かけ論にしかなりません」と言われたという」(p,361)。アイクはこれについて、「いろいろな女性が同じ一人の男に対して同じことを訴えて、その書類が山ほどになっているのなら、単に「証拠がない」では済まされないと思うのだが」(p,361)というもっともなコメントを記している。
(以上は『大いなる秘密 下』p,357-361を参照)
こうした事項を見て、アル・ファイドという人物を、信用できると感じるだろうか?
しかも、彼は、ブラザーフッドが命じることなら、文字通り、どんなことでもやった。
アイクは、こう述べて、アル・ファイドによるダイアナの警備体制を要約する。
“こんな背景を持つ、嘘つきで二枚舌の痴漢で、しかも悪魔主義者で、ブルネイ国王の手先を務める男が、ダイアナが死へと向かう日々刻々の警備を完全に握っていたのだ。”(p,361)
事前にこんな人間であるという確かな証拠に基づいて警告されていれば、良識と思慮を持ち合わせた人間なら、こんな男には近づかないか、少なくとも、自分の近くに来させないように警戒をするはずだ。
ダイアナはアル・ファイドの本性を知らなかったし、彼女に警告してくれるような人も周りにいなかった。
今から振り返れば、「とんでもない人間を、警備責任者にしたものだ」とは言えるが、当時の彼女の置かれた状況から、アル・ファイドの危険性に気づくのは極めてむずかしかったと思われる。
そして、ダイアナはアル・ファイドを信用していた。
なぜそうなったのかと言えば、「アル・ファイドがダイアナと近づきになることを仕事と考え、あらゆる手段を使った」(p,362)からである。
アル・ファイドがダイアナと近づきになっていく過程
・アル・ファイドは、ダイアナの父親「ジョニー」・スペンサー伯爵と(ダイアナの)継母レインを通じて、スペンサー一族と懇意になった
・アル・ファイドは、財政難の「ジョニー」を援助して、伯爵が兄弟のように思える、と言ったという
・ダイアナが耐えられないほど嫌っていたレインに、ハロッズの役員の椅子を与えた
・由緒ある王室行事のロイヤル・ウィンザー・ホース・ショーや競技会のスポンサーになった
・ダイアナが支援していた福祉や慈善活動には特に強力にバックアップをした
・1987年から1996年までハロッズの警備主任をボブ・ロフタスが務めていた。彼は、アル・ファイドから、ダイアナが店に現われたらすぐに知らせるように命令されていた。
“知らせを受けたアル・ファイドは、ダイアナが買い物をしている店へ行って「ばったりと」出会うというわけだ。”(p,362)
・”毎年クリスマスになると、ハロッズの緑色のバンがダイアナの住むケンジントン宮殿を訪ね、「モハメドおじさん」からのプレゼントを彼女と子供たちに届けた。”(p,362)
(以上はp,361-362を参照)
仮に、アル・ファイドに何か、別の意図があったと感じたとしても、数年にわたって、定期的に、このような形の援助をされれば、無下にはできまい。
アル・ファイドは、本当の意図を気づかれることのないまま、ダイアナに働きかけ、彼女の壁は崩れ去った。
さて、運命の1997年がやってきた。
以下の記述は、ダイアナとアル・ファイドの懇意な関係を前提にしなければ、理解しにくい。
簡単な「事故」の経緯
アル・ファイドは、息子のドディ・ファイドがダイアナと恋愛関係になるように仕組んだ。
また、ホテルリッツの警備主任であるアンリ・ポールに、ドディとダイアナの乗るメルセデスを運転するように、ドディ経由で命じた。
“アンリ・ポールには運転手としての資格はなかったし、レンタカーを運転する許可証もなかった。”(p,372)
にもかかわらず、法よりも上位にあったのがアル・ファイドの指図・命令である。
車には、ダイアナとドディが後部座席に、前にドディのボディーガードであるトレヴァー・リース-ジョーンズが乗り込んでいた(p,377)。
そして、アンリ・ポールの運転するメルセデスは、ホテルリッツからドディのアパルトマンに戻る途中、なぜか、通る必要のないアルマ橋トンネルに行き、そこにある十三番めの柱に激突した。
アンリ・ポールとドディ・ファイドは即死。
検死報告によれば、ダイアナは医学的には二十分以内に死亡、つまり病院へ運ばれるかなり前に死んでいたことになる。
トレヴァー・リース-ジョーンズは、しっかりと「シートベルトをしていた」ので、助かった(p,378)。
ホテルリッツを出た時点では、リース-ジョーンズはシートベルトをしていなかったが(これは通常のボディガードの習慣である)、柱に激突する直前にはつけていた。
また、彼が危険を感じて、シートベルトを締めたのであれば、どうして、ダイアナとドディにも、大きな声で「シートベルトを締めろ」と言わなかったのだろうか。
これも重要なことだが、もっと根本的な大問題がある。
“それは、「アルマ橋トンネルは、ドディのアパルトマンへ向かう道筋にはない。アルマ橋トンネルは、アパルトマンとまったく逆の方向にあるものだ」ということである。”(p,379)
個人の意志を超えた大きな力によって、筋書きは決められた
さて、もう少し、詳しく、「事故」にいたるまでの経緯を見ていこう。
ドディ・ファイドとダイアナの恋愛も、ドディの死も、すべて暗殺計画に組み込まれていた。
アル・ファイドがドディに対して愛情を持っていたかどうかは定かではないが、ドディにとって父親は遠い存在だったようだ。
父親の金で好き放題に生き、父親の言うことは何でもやった「使い走り」の人生を歩んだ、哀れな男だが、一体、こんな風に殺されねばならないどんな理由があるのか、私にはわからない。
アル・ファイドやドディ、ダイアナの意志を超えた、あるいは無視できる、もっと大きな計画と冷たい意志が、すべてを支配していた。
アル・ファイドの息子ドディ・ファイドとダイアナの関係は、以下のような過程を経て、作られた。
仕組まれたドディ・ファイドとダイアナの関係
・1997年6月3日、アル・ファイドはダイアナに招待状を送り、南フランスのサントロペにある海辺の別荘で夏休みを共に過ごすように誘った。
・同年6月11日、ダイアナは招待を受け入れた。
・翌日アル・ファイドは、バミューダ企業のモハファ・シッピングを通じて1500万ポンドのヨット「ジョニカル号」の購入手続きを終えた。この船上で間もなく、アルの息子のドディ・ファイドとダイアナのロマンスが花開くこととなる。
・6月11日、ダイアナは息子ウィリアムとハリーを連れてサントロペに到着。滞在した別荘は寝室が八部屋もある豪華なものだった。アル・ファイド邸の敷地内にあり、ここは関係者以外の立ち入りは禁じられていた。
・このとき、ドディ・ファイドはまだパリのアパルトマンに、婚約者のケリー・フィッシャー(アメリカ人モデル)と一緒にいた。
・41歳のドディは父親の「使い走り」が仕事のメインで(ちなみに、父親はブラザーフッドの「使い走り」だった)、父親の金で生活していた。プレーボーイの評判もあり、大変な浪費家だった。アメックスカードからの請求書が二か月で10万ドルに達したこともあった。
・”ドディは父親の言いなりで、(中略)何を決めるにもアル・ファイドの承認を必要としていた。そして、当然のように、父に言われたことはなんでもやった。”(p,363)
・ケリー・フィッシャーとは8か月前に婚約していて、彼女とジョニカル号で休日を過ごすつもりだった。だが、6月14日の夜、ドディは父親からの電話で、すぐサントロペへ来てダイアナと合流するように言われた。
・ドディは南フランスのサントロペに向かった。その夜、フィッシャーはドディに電話をかけて、『どこにいるの?』と尋ねると、最初は『ロンドン』と答えたので、『アパートのほうへかけ直す』と彼女が言うと、『だめ。だめだよ、かけ直しちゃ』と強く言って思いとどまらせた。そして、しぶしぶ、南フランスにいることを白状した。しかも、父親から言われ、フィッシャーを連れて来るなと釘を刺されたことを告げた。それで、彼女は事情を飲み込んだ
・7月31日、「ダイアナは二度目の休日をドディと過ごすためにサントロペに戻った。このときは一人だった。」(p,363)
・ケリー・フィッシャーによれば、ドディとの結婚式は8月9日の予定だった。だが、その2日前になって、ドディとダイアナのロマンスが世界中のマスコミを駆け巡った。ケリーはそれを、新聞で写真を見たという友人から聞いた。そして、ケリーは、ドディの秘書に電話して、ドディに取り次いでくれるように頼んだが、断られた。それから、父親のモハメドが電話をかけてきて、恐ろしい言葉で脅迫しながら、もう二度と電話をするなと、彼女に言った。彼女はとても恐ろしく感じたという。
(以上はp,362-364を参照)
しかも、サントロペのアル・ファイドの別荘には、盗聴器が仕掛けられていた。アル・ファイドの所有する建物はすべてそうである。だから、ダイアナの話していたことはすべて聞かれていた可能性がある。
“ハロッズの元警備主任ボブ・ロフタスによれば、盗聴は「きわめて広範に行われて」いて、しかも、常にアル・ファイドの指揮下にあった。”(p,364)
こんな話もある。
“雑誌『ヴァニティ・フェア』のロンドン編集長であるヘンリー・ポーターが二年にわたってアル・ファイドを調査して偶然わかったことだが、アル・ファイドはほとんど強迫観念と言えるほどに盗聴器具を使っていて、電話での会話を録音したり、部屋の会話を盗み聞きしたり、さらには人物をビデオ撮影までしていた。” (p,364)
そこで、「ポーターは、共通の友人を通じてダイアナに、アル・ファイドの背景と行動について警告した」(p,364)が、これは至極もっともなことだった。
なぜなら、「彼女が相当危険だと思える明確な理由があったから」(p,364-365)である。
だが、ダイアナは、そんなことは対処できると感じていたようだ。彼女は、アル・ファイドが「ときどきいたずらっ子になる」のは知っていたが、危険はないと考えていたのである。
しかし、「アル・ファイドは「いたずらっ子で済ませられる男ではなかったし、「ときどき」などという程度どころではなかった」(p,365)のである。
本当のところ、「ダイアナは、アル・ファイドの警備機関に「守られて」、その実、ごくごく私的な会話までもチェックされていた」(p,365)のである。
パパラッチがダイアナの乗った車を追い回して、事故に遭ったというような話が言われているが、これはひどく疑わしい。
なぜなら、ダイアナの行動を、ジャーナリストやカメラマンに前もって教えていたのは、警備責任者のアル・ファイドだったのだから。
“そのうえ、アル・ファイドは盗聴設備を使って二人の居所を漏らし、できるだけ情報が広がるようにした。”(p,365)
「二人の事故のあとアル・ファイドは、カメラマンやジャーナリストがダイアナをそっとしておいてやらなかったからだ」(p,365)と言っていたが、この状況を見て、そんな言葉を信用する人がどこにいるだろうか。
ダイアナとドディのロマンスの裏にはマインドコントロールがあった?!
そして、ダイアナとドディのロマンスは一気に進行した。
“アル・ファイドは息子に、二人の関係をさらに深めるよう命じた。そして、ドディは父親に言われたとおりのことをした。そうだ、偶然にまかされたものは何もなかったのだ。ダイアナの好きな音楽(映画『イングリッシュ・ペイシェント』の主題曲)が繰り返し、二人が巡航するジョニカル号で流されていた。”(p,366)
確かにダイアナとドディには共通点が多かった。
・どちらも裕福な家庭に生まれた
・父親は遠い存在だった
・どちらも両親の結婚生活が破綻し、母親が家を去っている
(以上はp,366参照)
だが、アイクは二人に、マインドコントロールの手法が使われた可能性を見ている。
ダイアナとドディ、二人が確実に結びつくことが計画に入っているのだから、この可能性は高いと思われる。
アイクは、「マインドコントロールされ、狂ったように誰かに恋をするよう入力操作(プログラム)されていた奴隷状態から、奇跡的に生還した人に数多く会っている。」(p,366)
“通常ならば好きにもならないような相手でも、黒魔術師が考えた「恋の呪文」というのが数限りなくあって、狂ったように恋に落ちてしまうのだという。” (p,366)
アイクが友人で科学者のブライアン・デズボローに教わったところによれば、「恋をしているという感覚は、脳で作られる「フェニルチルアミン」という物質に左右されるという。(p,366)
“同時に、この化学物質は判断力を大きく減少させる。まさに、「恋は盲目」という言葉のとおりだ。この化学物質を作る働きを支えているのが、エンドルフィンの分泌だ。エンドルフィンは、記憶、学習、苦痛の抑圧、性衝動、ホルモン抑制などと連携して自然に分泌される化学物質だ。” (p,366)
「ドディとダイアナの逢瀬のとき、こういった化学物質の分泌が活発になっていたとすれば、二人は即座に恋に落ちてしまうはずだ」(p,366)と、アイクは推測している。
警護サービスの要請を断り続けさせられたドディ
ダイアナクラスの人間なら、フランス警察からの警護がついていたのではないかと思った人がいるかもしれない。
実際、そういう要請はあったが、ドディが断ったのである。
フランス警察による高度警護サーヴィス(SPHP)というものがあり、これはVIPのパリ訪問を警護するためのものである。
ここは、三度か四度、ダイアナの警護を申し出たが、そのつど、ドディは断ったという。
彼は、父親の意のままに動く人間だから、事前にアル・ファイドから「こういう申し入れがあったら、断固として断れ」と厳命されていたはずだ。
多数のパパラッチが、「ダイアナ情報」の事前漏洩で集められたのは、前述した通りである。
しかし、「パパラッチから逃げようとして事故を起こした」というのは事実と全く異なる。
アルマ橋トンネルに寄る必要はなかったはずなのに・・・
もう一度、この地図を見てもらいたい。
ダイアナとドディが乗車したメルセデスを運転するアンリ・ポールのとったルートである。
“コンコルド広場へ出てそこを半周する。そして、右に折れてシャンゼリゼ通りに入る。あとは凱旋門のすぐ近くにあるドディのアパルトマンまで一直線だ。夜のあの時間帯なら二、三分ほどだろう。だが、アンリ・ポールはそうはしなかった。
ポールはなぜか、シャンゼリゼ通りへの曲がり角を通り過ぎた。そして、赤信号を無視して高速道路へ入り、アルマ橋トンネルへと向かっている。これではドディのアパルトマンからどんどん離れていってしまう! ポールは回り道を避けようとしたのだという話も聞いたが、仮に振り切ったとしても、どのみちアパルトマンへ着くころには、カメラマンは先回りして待ち構えている。”(p,379)
先ほども述べたが、ホテルリッツからドディのアパートまでは、一直線で、アルマ橋トンネルは、ドディのアパルトマンへ向かう道筋にはない。アルマ橋トンネルは、アパルトマンとはまったく逆の方向にあるものだ。
だから、敢えて寄ろうとしない限り、アルマ橋トンネルには行きつかず、パパラッチを避けるためという「公式見解」は疑わしいのだ。
アンリ・ポールは必ず、ダイアナとドディを乗せたメルセデスを運転して、アルマ橋トンネルに行かねばならなかったし、トンネルの十三番めの柱に激突してもらわねばならなかった(ここでは詳しく述べないが、アンリ・ポールには、そのように行動するように、マインドコントロールのプログラミングが施されていた)。
周到かつ綿密に組まれた計画だった
この後も、アイクは様々な証拠を挙げて、あの事件が「事故」などではなく、明白な意図をもって仕組まれたものだったことを述べている。
“ブラザーフッドのネットワークは多くの人間と機関を使って、確実にあの夜にダイアナがパリにいるように仕向けた。根本的な問題として、あの計画は特殊な悪魔教儀式を行うためのものであり、時間も状況下も、そして死に場所も、細部の複雑な部分にいたるまで守られねばならなかった”(p,388)
誰がダイアナと恋に落ちるか、誰がドディとダイアナの乗るメルセデスを運転するか、誰が警備の責任を負うか、どういうルートを通ってアルマ橋に行くか、誰がいつ、どこで、どういう形で死亡することになっていたか、すべて配役とスケジュールは細かく決まっていた。
計画にない人間――フランス警察による警護の申し出など――が入ってくることなど、ブラザーフッドは望んでいなかったし、そういう兆候は完全に摘み取られている。
悪魔教の儀式だから、ラ・ピティ-サルペトリエ病院にて行われた「救急活動」も茶番劇でしかない。
今では病院到着時点で、ダイアナが死亡してから1時間15分も経っていたことがわかっている。
アルマ橋の来歴と、ダイアナの儀式殺人の象徴的意味
“ブラザーフッドの悪魔教儀式に従えば、ダイアナは、古代の生贄儀式の場だったあの地下礼拝堂(アルマ橋トンネル)で死なねばならなかった。それもあの夜の、女神の月である八月の月の下で。”(p,414)
アルマ橋トンネルは、女神ディアナ(=ダイアナ)のための、バビロニアン・ブラザーフッドの最高の聖地の一つだった。(p,379-380)
「アルマ橋」の来歴について、アイクの説明を引用しよう。
“「橋」もしくは「通り道」にあたるフランス語「pont」は、ローマの司祭長ポンティフェクス(Pontifex)につながる。「アルマ」の語源は「アル・マー」という中東の言葉で、その意味はなんと「月の女神」だ! したがってアルマ橋(Pont de L’Alma)は「月の女神の橋」ということになり、近くにあるアルマ広場は「月の女神の広場」となる。そして、月の女神といえばディアーナ(ダイアナ)だ。さらに「”Pont de L’Alma」は「魂の架け橋」と訳すこともでき、「乙女」である女神ディアーナは「アル・マー」と呼ばれている。”(p,414)
ダイアナの儀式殺人の象徴的意味はこうである。
“古代の月の女神にちなんで名づけられた「ダイアナ」が、リッツから車に乗ってコンコルド広場を通る。そこにはルクソールからパリへと運ばれてきた三千二百年前のエジプトの方尖塔(オベリスク)があり、その頂点ないしピラミッドは黄金に輝き、オシリスの陰茎(ペニス)を象徴している。そして、ダイアナが死の一分前に通ったまさにこの地点こそは、ブラザーフッドの画策したフランス革命によって女王マリー・アントワネットがギロチンで首を刎ねられた場所だ。マリー・アントワネットも、女性エネルギーの血の生贄を象徴していた。ダイアナの乗った車は猛スピードでアルマ橋トンネル、すなわち月の女神の橋(広場)へと向かい、十三番めの柱に激突した。
(中略)ダイアナが寝かされていたのは女神ディアーナに生贄を捧げた地下礼拝堂のあったまさにその場所で、そこに悪魔教の儀式に従って、出血多量で死ぬまで放置された。ダイアナの死んだ場所は、地下の道と地表の道が交差する十字路だ。そして十字路は、「ディアーナ」エネルギーの別の側面である悪魔教の神ヘカテのための神聖な場所だ。しかも、すべては、ヘカテに生贄を捧げる八月三十一日に起こった。”(p,417)
ここに書いてきたことは、アイクの本にあることのほんの一部でしかない。
もっと詳しく知りたい方は、『大いなる秘密 下』第7章をお読みいただきたい。
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