機械から人間になるには?
グルジェフの言葉
アルメニア生まれの神秘家であるゲオルギィ・イワノヴィチ・グルジェフ(1866―1949)は、「人間は機械だ」と言った。
それは、人間が、幼少期からの躾・トレーニングによるプログラムや、繰り返し聞かされる常識・情報による条件付けを生きていて、その時々の状況に、機械的に反応していることを述べている。
条件反射的に怒る人は、主体的意志があるのだろうか。
黙っているべき状況で、不安からおしゃべりをしてしまう人は、自由なのだろうか。
むしろ、不安という動力に動かされていると言えないだろうか。
グルジェフはいずれも、「機械」と断じたことだろう。
機械には、責任もなければ、主体的決断もない。
当然、善行も悪行も行えない。
多分、グルジェフは、ふつう、考えられている「善行」や「悪行」を、善行や悪行とみなしていなかっただろう。
世の中にあるのは、催眠状態の人間――機械――が作りだす混乱だけだと見ていたのではなかったか。
機械でなくなるには?
プログラムや条件付けを超えるには、内側に深く潜るワークをやるか、グルジェフがやったように、過酷な労働をして、肉体に強い負荷をかけるか、である。
あるいは、周りが何をどう言おうと、一切無視して、自分と世界の真実を、自分で探求するという困難な歩みをするか、である。
宗教団体に加わっても、経典を必死に読んでも、むずかしい神学知識で頭を一杯にしても、機械のままだ。
これらの行為は、催眠状態を強めることはあっても、なくすことは決してない。
そのことは、クリシュナムルティや和尚が繰り返し言っている。
加えて、催眠状態は強固で、我々は、常にこれを受けている。
教育によって、マスメディアによって、そして宗教によって。
できる限りショックや混乱の少ないやり方で、しかし、世界観や常識の転換を経験する。
あるいは、世界の破れ目を見るというような、大きな混乱を体験する。
そういうことでもしない限り、人はおそらく目覚めないだろう。
真実と目覚め
映画「マトリックス」で、主人公のNEOが、プラグを抜かれ、歩けるようになってから、世界の真の姿を目の当たりに見た時、しばらく呆然としていた。
それぐらい、真実というのは、自分の見ている世界を鋭い刃で切り裂く。
だが、ヨハネ福音書でイエスが言うように、「真実はあなた方を自由にする」(8章32節)。
目覚めた時、つまり、機械でなくなった時、人は真に自由を手にするのではあるまいか。