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「叱る」と「怒る」――相手の成長を願っているか
Twitterの検索窓に「アカウント名 任意の単語」を入れると、該当するものが並べられます。
「Uさんのアカウント+相手の成長」で検索したら、「叱る」と「怒る」の違いについて、興味深いtweetが出てきたので、シェアします。
タイトルは、私がつけました。
いまの日本で「叱る、叱られる」は、完全に秘儀になりつつある
叱るのも、叱られるのも、とても難しく、奥が深い。
— U (@wayofthewind) September 18, 2021
人が成長するのに欠かせず、もっとも役立ってくれる領域だから、この世界では簡単にいかないようにできているのだろう。
いまの日本で「叱る、叱られる」は、完全に秘儀になりつつある。
そうなるように社会工学で誘導してきたからでもある。
叱られて反省して成長できるという、当たり前のことができる殊勝な人間は滅多にいない
叱られて、すぐに変われる人間は、二十歳くらいまでに叱られない人間になっている。
— U (@wayofthewind) September 18, 2021
アンドロイドみたいなところがあって、決してよいことでもなかったり。
完璧人間同士で、無味乾燥な人生を送っているので、関わってもよいことはない。
東京は、そんな家族が結構いるね。https://t.co/8xud241HAb
「叱る叱られる」が有効な状況・前提
「叱る叱られる」が有効な状況というのは、現代の日本では限られてくる。
— U (@wayofthewind) September 18, 2021
・相手の成長を願っていて
・自らも成長したいと願っている
これが前提になる。
その上でおたがいに尊敬の念があると、深い部分まで伝え合うことができる。
叱る側も尊敬を忘れると、感情で怒っているのと変わらなくなる。
素晴らしいところがあるのに、ここだけは惜しい……と思えばこそ、助言せずにはいられないんだよ。
— U (@wayofthewind) September 18, 2021
誰かを叱るときのわたしは「とても哀しそうな眼をしている」と、生徒によく指摘される。
「自分を活かしてない人間が多いからだよ」
そう微笑んで、わたしは答える。
いつかわかってくれるだろう。
誰にも言われたくないと思うのは、自然だが・・・
学生と先生の関係なら、叱る叱られるも、そこまで難しくはない。
— U (@wayofthewind) September 18, 2021
社会人になると、そうもいかなくなる。
ただでさえ上司や顧客に叱責されることが増えるので、私生活では誰にも何も言われたくないというときが頻繁に訪れる。
わたしも勤め人時代は、そうだった。
だから独りでいる癖が身についた。
叱り方にも作法がある
いまは仕事で生徒を叱るので、それが私生活でも出てしまって、結局ひとりでいるしかなかったり(微苦笑)
— U (@wayofthewind) September 18, 2021
叱り方にも作法がある。
くどくど言うのは逆効果。
わたしは、訥々と語りかけることが多い
それを数度やって、わかってもらえなければ、がみがみ言うこともある(笑)
難しいな、ほんとに。
誰かを変えようと思っても、それは無駄である
誰かを変えようとなどと思っても、それは無駄なことだったりする。
— U (@wayofthewind) September 18, 2021
変わらざるを得ない理由がなければ、人は変われないからね。
変わるときに少しでもよい方向へ進めるように、思いを伝えておくだけでよいのかもしれない。
荒野のような時代に、躓いて道を踏み外すことなどないように。
言葉の向こうにあるもの、画面の向こうにも人がいる
ウェブ時代になって、言葉のやりとりも手軽にできるように変化した。
— U (@wayofthewind) September 28, 2021
匿名で人を罵倒するようなのは論外だが、つい言い過ぎてしまうことは誰にでもあるだろう。
言葉の向こうに、人の笑顔や泣き顔があることを、どんなときも忘れずにいたい。https://t.co/XKu8uMz3dL
Twitterが、コミュニケーションにもたらす一悪影響
Twitterも、人間のコミュニケーション能力を骨抜きにしようとしている一面がある。
— U (@wayofthewind) September 28, 2021
思ったことを呟く。
いいねがつく……。
思いついたことを消化もせずに、言葉を放つ時代になってしまった。
何か伝えたいことを、ぐっとこらえて……言葉を選んで相手に伝える。
昔の人も、そうしてきたはず。
スピードが上がることで、奥ゆかしさを我々は失ったのかも
メール文化もそうだね。
— U (@wayofthewind) September 28, 2021
世の中が大きく変わるから、スピードが求められているというのもあるだろう。
その最前線で、失ったものも。
恋文をしたためて、結局送れない……というような奥ゆかしさも、人としては大切なことなのに。
便利な世の中になる反面、気をつけて生きていかなければ。
「叱る」と「怒る」の違い――相手を見るか、自分の感情か
叱ることは時に必要ですが、怒ることは滅多に必要ではありません。
— U (@wayofthewind) September 8, 2021
叱る=相手の成長のため
怒る=自分の感情だけ
この違いがわからないうちは、自分自身もふくめて誰も育てることが叶いません。
叱るときに怒ったふりをしなければならないことは、結構ありますけどね。https://t.co/pYYqV7ROpL
叱る言葉にこそ、相手の成長を願う含蓄がある
叱る言葉にこそ、相手の成長を願う含蓄があったりしますね。
— U (@wayofthewind) September 5, 2021
そこが日本語の奥深いところ。
他の、Uさんのtweetまとめ
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