病に倒れた父から受け継ぐ島の宝
2024年12月16日、神戸に住んでいる妹から一通のLINEが入った。
「お兄ちゃん~、なんかパパが腰が痛いみたいで、結構しんどい感じなの。とりあえず、今病院に来てて、レントゲン撮ってるよー。」
この日から、家族の戦いが始まった。
本noteを書いている2025年2月2日、その戦いは現在進行系である。
贅沢な不便さがあるロッジ
私の父は、鹿児島県最南端の離島「与論島(ヨロン島)」で、創業50年のロッジタイプの宿を営んでいる。
当時にしては珍しい独立した客室ということで、時代の最先端を走っていたと、父を知っている同業者の方からよく言われたものだ。
宿の名前は「ビーチランドロッジ」なんともリゾート感のある名前である。息子の私が言うのもなんだが…。
ロッジからローカルなビーチまで徒歩1分という立地の良さもウリだ。
ヨロン島では昨今、宿不足に悩んでいる。
観光客の方が泊まれる宿が本当に少ない。
その中でも、地元に根付いた食事を提供する安めの民宿がどんどん減っている。
高齢化に伴い、体力的な限界で食事を作ることができないのだ。
そんな中、父は食事を作ることを生きがいにしてきた。
「ワシのご飯おいしいやろ?」
ヨロン島在住50年の奈良県人は、ニヤニヤしながら嬉しそうに、いつも観光客に褒めてもらうことを求めていた。
息子の私は、幼少期からそれが嫌で嫌で仕方がなかった。
なんか「美味しい」の押し売りをしている感じが、どうしても無理だったのである。
「美味しかったら、自発的に美味しいって言うわ!」と常日頃思っていた。
だが、"今のところ" その美味しいの押し売りを見ることはできない。
神戸で倒れ、歩けなくなってしまったから…。
今となっては「美味しい」の押し売りをしてもいいから、元気な姿でいてほしかったかな。
鹿児島県最南端の離島「ヨロン島」
ヨロン島のシーズンオフは12月くらい。
4月後半~11月初旬くらいまで、ヨロンブルーと呼ばれる綺麗な海に水着で入ることができる。
11月まで安定して温かい海、これはあまり知られていない。
私はヨロン島の観光大使をしているが、一番多い質問は「ヨロン島に行くべきおすすめの時期はいつですか?」だ。
結論としては、10月中旬~11月初旬。
台風リスクが減り、真夏のシーズンもすぎて旅費も若干ではあるが、安くなる、でも昼間は真夏の暑さが維持されている。
ぜひ一度来て、ヨロン島の良さを体感していただきたい。
父の病状:2025年2月2日現在
父はヨロン島のシーズンオフに、妹家族が住んでいる神戸に立ち寄る。
その最中に倒れ、動けなくなった。
病名が多岐に渡りすぎるので、伏せるが、原因はどう考えても「日常の不摂生」。
完全にメタボ体型な上に、弁当と菓子パンをほぼ毎日食べる生活。
運動なんて皆無。
散歩はおろか、ロッジの敷地以外を歩いている姿すら見たことがない。
さらに自転車も乗らないし、電車が通っていないヨロン島では常に車に乗る毎日。
70代の体はようやく悲鳴をあげた。
息子が運動して、やせて、と言っても何一つ聞かない。
病気になるべくしてなった感覚は、本人が一番感じていることだろう。
神様が「お前、ちゃんとした食生活と運動をしなさい」と言ってくれたのだと息子の私は解釈している。
とはいえ、リアルに父の体は大変な状況。
とにかく歩けない原因を特定できなければ、治しようがない。
症状から原因がすぐに分かるのではないか?と思っていた私たち家族の見立てが甘かった。
倒れた日から約1ヶ月間、病院をたらい回しにされる日々が始まる。
とはいえ、私は神戸に住んでいないため、私自身が父と一緒に病院をたらい回しにされることはなかったが、神戸で父の対応をしている妹の疲弊している状況はLINE上から感じ取れた。
結果、頼っていた総合病院ではなく、地元のクリニックで "サクッ" と、病名がついた。
これは結果論だし、総合病院を否定するわけじゃないけど、何も考えずに大きな病気をした際「とりあえず総合病院に行けば何とかなる」と思っていた浅はかな自分を叱りたい。
総合病院、地域密着型のクリニック、色々な選択肢をもつことの重要性を教えてもらった気がする。
2025年2月2日現在、悪いところがある4つのうち、2つの治療方針は固まり、追加検査やリハビリを始めた。
当初はベッドから一歩も動けなかったが、リハビリを開始したことと、病名がついたことで、少しだけ、ほんの少しだけ歩く気になったようだ。
「親は老いると子ども化する」
よく聞いていたことだが、まさにその通りになっている。
リハビリが痛いのは分かる、分かるが、その痛みを超えた先にこそ「歩ける体」が待っていることを本人は理解しようとしない。
「痛いんや~!お前は分からへんのやろ!勝手なこと言うなや!」
口癖のように愚痴をこぼす日々となっている。
でもこればっかりは、根気強く、応援していくしかない。
リハビリをがんばることも大事だが、残り2つの治療方針が決まり、本人だけじゃなく、家族としても1日でも早く前を向いて歩きたいと思っている。
ヨロン島にある宿の運営問題が勃発
もう一つの問題は、父が営んでいる宿「ビーチランドロッジ」をどう運営するか、だ。
父は神戸で療養しており、動けない状況。
仮にヨロン島に帰れたとしても、宿の運営はできない。
私も仕事の関係で東京におり、妹は子どもが3人もいるため、神戸を動けない。
家族的には、そんな状況である。
父の右腕にセッキーさんという50代の男性がいる。
セッキーさんと父、この2人だけで約15年もの間、宿の運営をしていた。
よくよく考えたら、すごい事というか、セッキーさん頼みの運営としかいいようがない状況って、事業継続性もクソもない。
「セッキーだけで十分やろー!」
「人増やさないの?」と、シンプルな疑問をぶつけた私に、父が少し声を荒げて言っていた。
そんなにお客さまも増えない状況で、人を雇えなかったのか、スタッフを追加して教育するのが面倒になったのかは分からないが、会話はそこで途切れた記憶がある。
そう、そのセッキーさんしか今時点でヨロン島にはいないのだ。
まずい。これはセッキーさんのサポートをしなければ、宿がまわらなくなる。
危機感しかなかった。
私はセッキーさんを中心とした宿運営の設計を考えることにした。
ポイントは1つだけ。
『セッキーさん一人でまわる宿運営』
何もごとも不可能なことはない、できないことはできないのだ。
こうして父の生きがいである宿を守る「実家宿運営プロジェクト」がはじまった。