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【世界史】大王の後継者たち~ディアドコイ戦争~第18章 コプラテス川の戦い

こんにちは!
こんばんは!

RAPSCALLI😊N です。

皆さまお元気でしょうか?
だいぶ涼しくなってきましたね
体調にお気を付けてお過ごしください

なお、この記事は連載記事の一つです。ここまでの記事をまだ読んでいないよという方は是非下のマガジンにアクセスして読んでいただくこと強くおすすめします!

1記事1000-1500字程度と読みやすい長さになっているので、これまでの記事に目を通してから本記事を読むと大変分かりやすくなるかな思います。

ちなみに、このペースで行けば40~50記事で完結するかなと考えています。まだまだ道のりは長いですが、私も最後まで頑張って書きますので、今後ともよろしくお願いいたします。読んでくれる、スキしてくれる人が一人でも多いほど私のモチベーションも高まるので、これからも読んでくれると嬉しいです!

それでは、今日の本題にさっそく入っていきましょう!

スーサに迫るアンティゴノス

セレウコスやペイトンらと合流し、戦力を増強したアンティゴノスは、スーサを制圧することを目指します。

スーサはアケメネス朝ペルシアの王都として栄えた都市で、銀楯隊を率いるアンティゲネスの本拠でもありました。

ここを速やかに制圧し、エウメネス派に決定的な打撃を与えることをアンティゴノスは試みたのでしょう。

アンティゴノスはセレウコスにスーサの砦の包囲を任せ、自身はスーサの東にいたエウメネスの軍を追いかけます。

両者はスーサの10キロほど東に位置するコプラテス川をはさんで対峙します。

なお、コプラテス川はギリシア人が名付けて名称で、現在はデズ川と名付けられています。


スーサ(青枠)とデズ川(コプラテス川)の位置関係

コプラテス川の戦い

エウメネスを追いかけるアンティゴノスはコプラテス川を渡るため、船で川を渡るよう軍に指示します。

しかし、エウメネスの偵察隊が早急にアンティゴノス軍の動きを察知し、エウメネスは急襲を仕掛けます。

アンティゴノス軍のうち、およそ6千人ほどが川を渡り切ったところをエウメネス軍が包囲し、敗走させます。

川の流れが速いこともあり対岸に上陸した兵をアンティゴノスは助けることができず、約2千人がなくなり、残りの約4千人がエウメネスの捕虜となってしまいます。

こうしてアンティゴノスの対岸への上陸は阻止され、大きな損害も出るなど、コプラテス川の戦いはエウメネスの勝利に終わりました。

アンティゴノスの方針転換

エウメネス相手に手痛い敗北を負ったアンティゴノスはスーサを奪うことを諦め、北にあるザグロス山脈を越えて迂回し、エウメネスの背後に回ろうと試みます。

夏の過酷な暑さでアンティゴノスは多くの兵を失いながら進軍し、エウメネスもこれに対応して軍を率いてアンティゴノスを迎え撃ちに行きます。

二人は近いうちにイラン中部のパラエタケネで再び交えます。

パラエタケネの戦いの結末はいかに?!

次回の記事をお楽しみに!

参考文献


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