どうしてカリーニングラードはロシア領なのか?という疑問に答えます
こんにちは。こんばんは。
RAPSCALLI😊N です。
突然ですが、こちらの地図をご覧ください。
こちらは、世界最大の国家、ロシア連邦の地図です。
ユーラシア大陸の3分の1近くを占めるこの巨大国家ですが、その領土が一部分だけ切り離された飛び地になっていることに気付くでしょうか?
もう少しズームしてみてみましょう。
ズームして見たところでかなり見えづらいくらい小さいですが、赤い矢印が指しているのがカリーニングラードという地域です。
モスクワから1000kmも離れており、ポーランドやバルト三国に囲まれているこの場所が、なぜかロシア領なのです。
今回はカリーニングラードがロシア領である理由を分かりやすく解説していきます。
カリーニングラードの歴史
カリーニングラードがどうしてロシア領になったのかを考えるために、13世紀まで話を巻き戻してみましょう。
この地域はその時代プロイセン人が住んでいた土地で、彼らの主要な都市であったケーニヒスベルク(王の山という意味)は、1255年にドイツ騎士団によって建設されました。もともとは砦として建てられましたが、その周りに街が発展していきました。ケーニヒスベルクは、中世を通じて東ヨーロッパにおける重要な交易拠点となり、その後、プロイセン公国の首都としてドイツ文化と影響力が強まっていきました。
18世紀には、プロイセン王国の一部となり、プロイセンとドイツ帝国の重要な都市として発展を遂げました。特に18世紀の啓蒙主義時代には、哲学者イマヌエル・カントの出身地として知られるようになり、ケーニヒスベルクは学問と文化の中心地となりました。
第一次世界大戦でドイツ帝国が敗北するとケーニヒスベルクはその後を継いだワイマール共和国の一部となりましたが、新たにポーランドが独立を果たしたため、ケーニヒスベルクはポーランドの土地に隔てられたドイツの飛び地となってしまいました。
ケーニヒスベルクはドイツ帝国の原点となったプロイセン公国の首都だったこともあり、重要な交易都市であるだけなくドイツの精神的、文化的に重要な地域でした。
そのため、それが他国の領土によってドイツ本土から切り離されていることはドイツ国民に多くの不満を抱かせ、第二次世界大戦の遠因にもなりました。実際、ヒトラーがポーランドに侵攻したのもこの飛び地をドイツに再びくっつけることも理由の一つだったのです。
しかし、ご存知の通りヒトラー率いるナチス・ドイツは最終的に戦争に敗北します。
その過程で、ケーニヒスベルクはソ連軍に占領され、もともと住んでいた多くのドイツ市民は逃げ出したり、ソ連軍に追い出されたりしました。
戦争終了後、ケーニヒスベルクはソビエト連邦の一部となり、名前もドイツ語のケーニヒスベルクからロシア語のカリーニングラードに変えられ、多くのロシアやベラルーシからの移住者が代わりに移り住みました。
1991年にソビエト連邦が崩壊するまでは、カリーニングラードだけでなく、周りのバルト三国やポーランドもソビエト連邦の一部かあるいは強い影響下にあったため、飛び地ではありませんでした。
しかし1991年までに世界の社会主義国家のほとんどが崩壊すると、東ヨーロッパもEU加盟国が急増したり、ロシアのヨーロッパにおける影響力は次第に縮小していきました。
そのため、当初は旧ソ連や親ロシア国家に囲まれていたカリーニングラードも、今ではロシア本土から切り離された「飛び地」となってしまっています。
なぜロシアはカリーニングラードを手放さないのか
こんなに飛び地となっており、今では孤立した状態のカリーニングラードを、どうしてロシアは第二次世界大戦以降ずっと保持しているのでしょうか?
一つの理由はその戦略的重要性です。カリーニングラードはバルト海に面しているため、いわゆる不凍港(1年中凍らない港)があります。そのためロシアのバルチック艦隊はここに配備され、また貿易をする上でも非常に重要な都市です。
さらには核を搭載できるミサイル「イスカンダル」がカリーニングラードに配備されており、西ヨーロッパを牽制する上で大切な場所です。
もう一つの理由は単純に他の国がカリーニングラードを欲しがらなかったからです。元々はドイツの領土だったため、1989年にドイツが再統合され、2年後にソ連が崩壊するとカリーニングラードをドイツに返還するという話も出てきましたが、東西ドイツが再統合したばかりの状況ではカリーニングラードに目を向ける余裕もありませんでした。
他にも隣接するリトアニアに割譲する案もありましたが、こちらもロシア人居住者が大半を占めるカリーニングラードを併合することには消極的でした。
その上ロシアからすればカリーニングラードは重要な拠点であり、ロシアの領土として不可欠な存在であったため、飛び地となっても変わらずロシア連邦の一部として存在し続けています。
最後に
いかがだったでしょうか?
ここまでなぜカリーニングラードがロシア領であるのかについて話してきましたが、このカリーニングラードは最近ウクライナ侵攻によってふたたび重要なトピックになっています。
ウクライナ侵攻がカリーニングラードの立場に与えている影響については近いうちまた別の記事で話そうと思っているので、お楽しみに!
では、また。
参考文献
https://www2.jiia.or.jp/pdf/newsletter/shiten/0211_kasai.pdf
本記事で使用した写真の帰属先
ロシア連邦の地図(国際連合のページより)
https://www.un.org/geospatial/content/russian-federation
ワイマール共和国の地図
元タイトル: Weimar Republic blank map
作成者:Milenioscuro
URL:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Weimar_Republic_blank_map.svg
ライセンス:https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.en