國技館と五・一五事件
照ノ富士、四場所振りの優勝おめでとう!!
というわけで、横浜中華街に続き、東京旅行レポート二日目はうって代わって両国界隈です。
両国駅及び國技館を散策してきました。
なぜ、國技館なのか?それは…
1932年、初来日した喜劇王チャーリー・チャップリンが訪れた場所
だからです。
更には、どうしてチャップリンなのか?それは、
来日直後発生した五・一五事件で狙われていたもう一人の人物
であったからです。
チャップリンが来日したのは、1932年の5月14日の事。
翌日の新聞は、彼の来日を大々的に伝えました。
しかし、その同じ日の午後5時30分頃、海軍将校たちの手によって首相官邸が襲撃され、ときの首相、犬養毅は凶弾に倒れました。
世に言う『五・一五事件』です。
犬飼首相の「話せばわかる」は、大変有名ですね。
五・一五事件が発生した1932年は、イラストの国際キャラメルのパッケージに見られるように、前年に満州事変が起こり、傀儡国家成立直前、そしてイギリスとの海軍軍縮条約を結び、海軍は圧倒的不利に立たされていました。
そんな時期に総理大臣として赴任した犬飼毅は暗殺されて然るべき人物でした、そしてこの暗殺のもう一人のターゲットとされたのが、前日に来日したばかりのチャーリー・チャップリンだったのです!!
『五・一五』当日は、日曜日でした。ゆえに『日曜日の襲撃』と言われます。チャップリンはこの日、首相官邸で会食に参加する予定でした。しかし、何の気まぐれか、興行中の相撲を見たくなった、といって会食の予定をキャンセル、一路、國技館に向かいました。
つまり、チャップリンは、相撲見物をする事によって、難を逃れたのです。
そんな歴史背景を思いつつ、両国駅へ行き、國技館を見てきました。
当時と同じく、夏場所興行真っ最中で、賑わいを見せていました。
両国は、モダンな駅舎。
国技館から戻る力士たちに記念撮影を求める外国人観光客もいました。
チャップリンもこんな気分だったのでしょうか。
国技館内は、チケットがないので、周遊だけでしたが、駅構内にあるギャラリーは見どころがありました。
国技館も戦後は、進駐軍のメモリアルホールとして接収された歴史があります。
五・一五事件当時の軍部は、チャップリンをも暗殺する事によって、対米
開戦を目論んでいたようです、これがもし実現していたとしたら…
今とは違う歴史を歩んでいた事にかわりありません。