2人の天才・ガードとジョン~タイ起業10年記⑧
そんな採用活動で入社してくれたタイ人たちの中でも最も忘れられない存在、それがガードとジョンだ。
ガードとジョンは最も最初に入社したメンバーだ。前回記事の通り、たくさん面接した中の「当たり」人材だったが、今思い返してみてもよくこんな人材が取れたな、と思う。
とはいえ、創業初期の会社の採用にはアドバンテージがある。「これから始まる新しい船に乗組員になりませんか?」というメッセージが打ち出せるのだ。
特に弊社はビジョンとして「欧米のモノマネではない、新しいコンサルティングファームをアジアで始めましょう」という挑戦的なメッセージを出していた。もしかしたらそういうところに響いてくれたのかもしれない。
ガードとジョンは、タイの優秀人材の姿を僕に教えてくれた。2人とも20代中盤で、キャリアらしいキャリアは無かったが、ある面においては既に僕よりはるかに優秀であった。
ガードとの仕事で最も印象に残っているのは、KIRIN社からの依頼で実現した、ミャンマーブルワリー(ビール会社)のフィロソフィ設計だ。(※開示して問題のない案件)
KIRIN社PMI(組織統合施策)の一環で、1000人以上の従業員を巻き込みながら、「ミャンマーの誇りとなる会社」というビジョンをみんなで作り上げた。その後も作ったビジョンをみんなで愛してくれ、組織統合は見事に完成した。選抜されたミャンマー人リーダーたちはとにかく優秀で、ミャンマーのトップクラスの人材の能力の高さにも驚かされた。
この仕事はガード無しでは実現できなかった。彼は圧倒的なコミュニケーションスキルがあり、誰に足してもインパクトを残せた。それでいて柔軟性があって、僕のやり方をどんどん吸収してくれた。多少制御が難しい暴れ馬的なところはあったが(笑)、走らない馬のお尻を叩くよりは100倍良い。彼の推進力で、高度な案件をどんどん納品することが出来た。
もう一人のジョンは、エンジニア出身の人材だ。
ロジカルさとクリエイティブなバランス感覚に優れていた彼も唯一無二の存在だった。比較的長く在籍してくれた彼は、その後マネージャーとなって会社を支えてくれた。
彼は僕に「タイ人と働くとはどういうことか」を教えてくれた。僕が何か言って、それが日本的な見方に偏っていると、明確に「Jack、その考え方は間違っている」とNoを突き付けた。何でもハイハイ言うことを聞いてくれるマネージャーでは決してなかったが、それが結果としてはとても良かった。
彼とのエピソードは自分の本にも書いたが、とにかくたくさんぶつかった。その中で僕は、外国人と働く上でのマインドセットを徹底的に学んだ。それは、相手の持つ前提を理解する大切さ、そして、着地点を見つけ方、自分のバイアスに気づくこと、などだ。一般的によく言われることばかりだが、体感を持って理解させてもらえたことに感謝している。
2人ともそれぞれ数年働いて次の場所に旅立って行った。二人ともタイをけん引していく人材になるんじゃないかと思ってとても楽しみにしている。
「なんだ、辞めちゃったじゃないか」と思うかもしれないが、タイで10年以上勤めてくれることはとても稀だ。逆に、若い間にあまり長期間働く人材は良くないとすら僕は思っているので、離職については「5年いてくれれば成功」と割り切って考えている。(もちろんそれ以上長くいる人もいる)
この「人が辞めること」についての向き合い方は、僕がタイで学んだ最も大きなことだ。次回はそれについて書いてみることにしたい。
(つづく)