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告白 ~私が社会福祉士を目指した不純な動機~

前回の記事からの続きです。いまの仕事や職場や働き方に疑問を感じている場合の対処法についてです。異動と転職に続いて、今回は起業の話です。

ネガティブな状況を変えるさいごの選択肢が独立起業です。ある意味、読者のみなさんへのスペシャルオファーです。でもその前に、少し私自身の経験をお話したいと思います。ワンランク上のステージを目指すみなさんの、意識づけの一助になるかもしれません。

外資系のコンピューター会社で15年間を過ごし、バブル崩壊の流れのなかで早期退職優遇制度を利用したのが37歳のときでした。ちょうど介護保険スタート前夜のことです。

私が社会人デビューしたのはバブル景気の真っ只中で、同期入社がなんと1500人もいました。それはそれはハッピーな数年間を過ごしましたが、90年代に入るとバブルが崩壊します。そもそも、日進月歩の技術革新に伴い製品価格は下がるのに、それと反比例してノルマは倍々に増えていくのがコンピューター業界の特性です。

一方、クライアント企業も簡単には契約をくれなくなります。当然、業績は下降する。そこで、企業側は固定人件費を下げるため、「定年を待たずに早く辞めればそれだけ退職金を上積みするからさ。早いとこ辞めてくんなぁ~い」というメッセージを連打するようになりました。これを使えば住宅ローンを完済できるとわかり、そそくさと手続きをした私は、日比谷図書館に籠って、次の仕事をどうするか、ひとり作戦会議を始めたわけです。

その過程で各業界のトップ企業の動向を徹底的に調べてみると、多くの企業が「少子高齢化による市場構造の変化」とか「地域高齢社会への貢献」とかを謳っており、特に大手総合商社が医療福祉分野に戦略投資をするようなことが記されていることが確認できました。それで私の心の中で、『進むべきはシニアビジネス』という基本方針が固まったわけです。

もうひとつ、環境ビジネスも候補に挙げたのですが、生粋の文科系である私にはとっつきにくかった…。で、医者の友人も多かったので、彼らからおカネを戴くことも視野に入れつつ、シニアビジネスにターゲットを絞ることにしました。

学生時代の仲間の医者たち何人かに会って話してみると、話題は専ら「介護保険」でした。医療保険に続いて約40年ぶりに創設されることになった新しい国民皆保険について、医者も情報武装しなければならない時期だったのです。そんないきさつで、さらに情報収集していくうちに、「社会福祉士」という、当時の私には得体の知れない資格に出くわしたのです。

「医療界のトップが医師ならば、福祉界の最高峰が社会福祉士」と、ある参考書には記載されていました。「医師が実際には一職人であるのに対して、社会福祉士は、わが国の縦割り行政の結果もたらされた、利用者にとって使い勝手の悪い保健・医療・福祉を有機的に結びつけて……」等という、私の自尊心をくすぐるくだりもあり、この国家資格を取得することを決意しました。
 
大学時代に福祉系を出ていない私でも、通信教育で2年あれば取得できるのです。仮に医学部に入ったとしても6年を拘束されるわけだし、さらには、友人に医者が多い中で「俺は医者だ」と言ってみたところで、さしたる価値もないであろう。それに比べると、社会福祉士って結構魅力的だよなぁ~等と思い込んでしまったわけです。 

もっと言えば、医者連中もその時点では知らない介護保険なんぞを指導してやる側に回れるチャンスがあるのではないかと閃いたのです。そして、当時は大ブームだった介護保険ビジネスで「宝の山」を妄想した私は、実に不純な動機で社会福祉士の国家試験を受験するための通信教育課程に進むことになったのです。信じがたいまでの超ポジティブです(爆笑)。

1999年12月から翌年2月までの3ヶ月間は、転職活動および社会福祉士養成校の入学試験が重なり、実に充実した時間を過ごしました。いまでは信じられませんが、介護保険ブームの中で福祉系の資格が大人気となり、な、な、何と、通信教育を受講するために論文による足切りがあったのですよ。私が通った学校もその年から定員を倍の600名にしたにも関わらず、500名余りの人が論文審査で門前払いとなっています。アンビリーバボ~ッ!

2年間で約70万円の学費を納めた私は、50本のレポート提出、2ヵ月間の夏期スクーリング、1ヶ月間の現場実習を経て、国家試験に臨みます。社会福祉士の国家試験は例年1月の最終日曜に行われるのですが、私の場合は、単語帳と記憶カードによる短期集中学習法で、満点ではなく6割を獲りにいきました。年明け元旦からの25日間で、どうにかボーダーラインの60点(全150問中90問の正解)をクリアすることができました。もちろん、通常の勤務を続けながらです。

ちなみに転職先は、NTTグループの戦略系コンサルティングファームでした。まずは、医療福祉ビジネスのコンサルティングを手がけたいという主旨で、シンクタンクやコンサルファーム等、25社に企画提案書を一方的に送付しました。各社のサイト上では「現在、キャリア採用は致しておりません」等と記載されていてもお構いなしです。「ここで働きたい」と思えるターゲットに片っ端からラブレターを出しまくりました。「唐突にも不躾なお便りをさしあげる無礼をまずはお詫び申し上げます……」とやったわけです。潜在需要アプローチ型の就職活動です。このときに、企画提案書を作るために医療福祉系の文献を読み漁ったのですが、これが国家試験対策には実に役立ちました。

結果的に、面接のチャンスをもらったのが8社。最終的に残ったのが3社でし。(ただし、うち一社は保険的位置づけのソフトメーカーであり、福祉とはまるで関係ありません)。今にして思えば、就職活動と入学試験(論文)のタイミングが重なったのは一石二鳥であり、決して冗談ではなく、このふたつが同時並行で走っていなかったら、おそらく現在の自分はなかっただろうと思います。

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