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【百寿コンシェルジュ・神崎眞のエピソードファイル】認知症介護の迷宮(7)
義母の入院から1ヶ月が経過した。この間、様子を見に行ったのは数回だが、基本的には病棟の看護師や相談員に頼んで、タオルや衣類、ちょっとしたお菓子などを預けてきただけだ。悠子ひとりで面会に出向き、もしかして義母が「家に帰りたい」などと言い出した場合を考えてのことだった。神崎のアドバイスもあって、面会に行く場合には、夫婦そろっていくことにしようとあらかじめ決めておいたのだ。
「奥様はとても気心のやさしい方です。仮にお母さまにすがられでもしたら、ご自分を犠牲にしてでもお母さまの意向を汲み取ろうとしてしまうようなところがあります。そういう方が介護に疲れ果ててしまった場合に、世の中で起きている悲惨な事件に発展してしまう場合が多いのです。奥様を守ってあげられるのはご主人しかいないんです。そのことは忘れずにいてあげてください」
和彦は神崎の言葉をしっかりと受けとめ、以前のように、悠子だけに負担をかけることがないよう自分に言い聞かせたのだった。
ふたりで面会に行くと、義母は大体がうつ状態であったが、そんな時でも食べ物だけはねだってきた。悠子のことをお母さんと呼ぶのは相変わらずだ。
「おかあさん、お昼はまだなのぉ」
たまに差し入れを持っていくと、それこそムシャムシャと頬張ってみせる。正直、この光景を見ずに済む今の生活がありがたいと、悠子は思っていた。和彦も、日々刻々と壊れていく母親を憐れに思いつつも、これしかなかったのだと自分に言い聞かせようとしていた。別れ際に声を荒げることもあったが、義母の入院生活は想像以上に無難で落ち着いたものだった。これが現代医療の、というか、薬の威力なのだろうか。こうして少しずつ少しずつ最期の瞬間に向かっていくものなのかもしれない。そしていつも、ふたりは異口同音に確認し合うのだった。子どもたちのためにも、自分たちがああならないように気をつけなくてはと。
神崎の勧めもあり、気分転換および勉強の意味も兼ねて、終のすみかの見学に出向くことになった。あれこれ検討した結果、京王線の橋本駅に程近いグループホームと老人ホームをひとつずつ訪ねることにした。段取りはすべて神崎が仕切ってくれていた。
グループホームでは、認知症と思われる入所者たちが居間に揃ってお菓子を食べながらテレビを眺めたり、紙細工をいじったり、職員がタオルをたたむのを手伝ったり。神崎が言うように、まさしく共同生活といった感じで、入所者たちにも施設に入れられているという感覚はまずないのだろうと思える光景だった。買物や掃除、それに食事の支度まで、みんなで分担しながら作業するのだという。もちろん、職員がそばで見守っているそうだが、ひとりひとりの残存能力を発揮してもらいながら、主体的に生きるという意識を持たせようとしているのだと、施設長なる女性が話してくれた。
ちなみに、月額費用は家賃と食事代等を併せて18万円。医療と介護の実費を入れて20数万円といったところか。神崎が見学物件としてここを選んだのは、グループホームの経営母体がクリニックだからだそうだ。義母が足腰に不安を抱えていること、血圧と糖尿の薬を欠かせないことに配慮して、何かあったときに24時間対応してくれる医療機関がそばにあったほうがいいだろうというのが理由だった。
続いて訪れた老人ホームでは、昼食後の食堂で10数名の入所者がテレビの前に座っていた。そう。ただ、座っていた。少し離れたテーブルで、職員が数名、ミーティングか何かを行っているようだ。中には時折、奇声を発する高齢者もいて、グループホームと比べるといかにも「施設」という感じがした。案内をしてくれた相談員が言うには、全18居室中12室が埋まっており、明日からでも住まうことができるとのことだった。
神崎が緊急時対応の流れや費用の内訳を確認している間、悠子と和彦は入所者が集っている方向に近づいた。言葉を交わしてみたいと思ったからだ。
「こんにちは~」
和彦が第一声を放つのと、相談員がすたすたと駆け寄ってくるのがほぼ同時だった。
「申し訳ありません。みなさん、余計な刺激やストレスを避けるという理由で、面識のない方とのお話は控えていただくことになってるものですからぁ~」と言うや、ふたりは入所者たちから引き離され、神崎ともども応接室のほうへと誘導された。
それから30分ほど、相談員が説明をしてくれたようだが、そちらは神崎に任せ、悠子と和彦は手元のパンフレットをいたずらにパラパラさせて時間を潰すのだった。