母子家庭で育った彼は、物心ついたときから、大好きな母に感謝し、その母に決して苦労をかけまいという意識が知らず知らずのうちに染み付いていました。

小学校時代のこと。ある時、母が庭で洗濯物を干していると、友達と鬼ごっこをして遊んでいる彼が見えました。さりげなく様子を見ていると、あっという間に彼は鬼に捕まってしまいます。鬼が数を数えているうちに、みんなは少しでも遠くに逃げようと庭から外へ一目散。花壇の花を踏みにじりながら駆けていきました。でも彼は、花を前に躊躇し、遠回りをしようとしたところで鬼に捕まってしまったのです。

夕方家に帰った彼に、母が言いました。

「母さんもおまえも、弟や妹たちも、父さんいなくても一生懸命生きてる。庭の花だって生きてる。一生懸命生きてきれいに咲いて、私たちを励ましてくれてる。お前はそれがわかってんだな。花の気持ちが、お前にはわかるんだな。母さん、うれしいなぁ」

また、ある夏の朝。その日うさぎのエサ当番だった彼は、始業前に用務員のおじさんからエサの入ったボールを受け取りうさぎ小屋へ。が、よく見るとえさに泥がまじっているのを発見します。始業時間は迫っていましたが、彼は校庭の隅にある水道でエサを丁寧に洗い、それからうさぎ小屋に戻っていきました。ですが、一時間目の授業には遅刻してしまい、先生に叱られ、廊下に立たされてしまうのでした。

この話を聞いた母は、こう言いました。

「ホントおまえは几帳面で優しい子だな。泥のついた葉っぱなんて、うさぎさんに食わせたら大変だもんな。かわいそうだもんな。用務員のおっさんも忙しくって気づかなかったんだな。今度の当番の日はな、10分くれぇ早く行け。またそんなことあると大変だからな。念には念をじゃ」

そう言っていつものように彼を抱き上げると、その頭を何度も何度も撫でるのでした。

さらに別の、ある日の学校帰り。午後から急に振り出した大雨にも、気を利かせた母が持たせてくれた傘のおかげで、「さっすが、お母さんだ」と家路についた彼。ふと先を見ると、よそ様の家の軒下でずぶ濡れになって泣いている少女がいるではないですか。

彼はそっと近づいて、ズボンのポケットからハンカチを取り出すと、少女に渡してやりました。はじめは怪訝そうにしていた少女は、小さな声でボソッとひとこと、「ありがと」。

彼が微笑むと、ちょっと時間をおいて少女も笑顔になった。彼はそのまま自分の傘を少女に与え、自分はずぶ濡れになって母の待つ家まで駆けていきました。

びっくりしたのは母親です。「どうしたんじゃ!傘を持たせてやったじゃろうに」と事情を尋ねる母に、彼は帰り道であった出来事を話しました。母はバスタオルを取ってくると、彼を膝の上に抱え上げて、「いいことしたな。困ってる友達さいたら、助けてやる。母さん、おまえみたいな優しい子、大好きじゃ。大きくなってもそすっだぞ」と言いながら、いつものように頭を撫でてくれました。彼は小さい頃から、母にそうされるのがいちばん好きでした。

くしゃみをしながら母の顔を見ると、母が笑いながら続けてこう言います。

「でもな、母さんの大事なおまえが風邪でもひいたらどうする? 次はな、女の子の家の場所を聞いてみて、遠いようだったら、一緒にうちまで来るっさ。したら母さんが送っていってやるっさに。もしも近けりゃ、ふたりで一緒に傘に入ってさ、おまえが送っていっておあげ。相合傘じゃ」

俯きながらモジモジする彼に、母は頬っぺたをチョンチョンとつつきながら「男の子じゃろうが」。「うん!」と元気よく答える彼に、母はこう続けます。

「お前には、みんなに優しく、みんなを元気に励ましてあげられるような、そんな大人になって欲しいなぁ」

それから十数年後。大好きな母を喜ばすために、世の中の人たちに喜んでもらうためにどうすればいいかを考えに考えた末、上京し歌手となった彼は、母とのエピソードを歌詞にした曲で賞を総なめにします。男女の色恋をテーマにした歌謡曲全盛の時代には異例のことでした。

森進一さんの『おふくろさん』という歌です。


それにしても、森進一さんとお母さんの逸話は胸にグッとくるものがありますよね。わが子をほめたり叱ったりする母の言葉には一貫して愛があります。一時の感情で、喜んだり怒ったりするのではないのです。

まず熱くほめる。具体的にほめる。そんなあなたが好きだと伝える。抱き寄せて頭を撫でる。次はこうしたらもっと素晴らしいとクールに諭す。こんな人間であって欲しい。こんな生き方をして欲しい……。そんな心の底からの想いや願いが伝わってきます。

良寛さんという名僧は、『表見せ、裏また見せて散る紅葉』と詠っています。人間は泣いたり笑ったり、迷ったり悟ったり、病気をしたり健康になったり、喧嘩をしたり仲良くしたりしながら人生を送り、そして時期が来れば、丁度紅葉の葉が散っていく様に散っていくのだと。人生で起こるさまざまな出来事は、どれも表裏一体だと……。

叱ることと、ほめること。これまた表裏一体であるべきです。どちらもゴールは相手の成長です。そして、そのベースとなるのが相手に対する深い愛情です。

そんなことを片隅に置いて、みなさんも部下や後輩、そして愛するわが子と接してみてはいかがでしょぅか。

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