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畢生の大事業 ~百寿コンシェルジュへの想い~

今回は、2018年11月に創設した「百寿コンシェルジュ」への想いを書かせてもらいます。

周知のとおり、菅政権以降、「自助」という言葉が世の中に定着した感があります。元々、社会保障分野では、老後の生活を支える手段および考え方として、「自助・互助・共助・公助」(四助)という概念がありました。

「自助」には「自分のことは自分で何とかする」ことに加え、市場サービスの購入も含まれます。「共助」は介護保険などリスクを共有する被保険者全体による負担のことで、実質的には医療保険・介護保険・国民年金を指しています。「公助」は税による負担であり、要は、生活保護のことになります。

なお、「互助」という言葉には相互に支え合うという意味で「共助」と共通点がありますが、費用負担が制度的に裏づけられていない自発的なもので、自助に含めてもいいと思います。

団塊世代の全てが75歳の後期高齢者となる2025年に向けて、厚労省では2013年以降、『地域包括ケアシステム』というコンセプトを掲げ、高齢者が可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるような、地域の包括的な支援・サービス提供体制の構築を推進しています。

その中で、この四助(自助・互助・共助・公助)という言葉が多用されるようになりました。ですが、医療や介護の世界以外の人には馴染みがなかったと思います。それが、前・菅総理がしきりに使用したことで、(とくに「自助」は)広く浸透してきたわけです。

言葉自体は、江戸時代中期の大惨事「天明の大飢饉(1782~1788)」の頃に、米沢藩の財政再建を手がけた上杉鷹山の『三助の思想』が出典です。質素倹約をみずから実践してみせ、「成せば為る……」という名言を残した人物ですね。

上杉鷹山いわく、「自助すなわち、自らを助ける。互助すなわち、近所近隣で互いに助けあう。扶助すなわち、藩政府が救いの手を差しのべる」というものでした。その後、時代環境の変化により少しずつ形を変えて、現在は「扶助」が「公助」に替わり、さらに「共助」が加わって「四助」となっています。

1961年に現在の国民健康保険および国民年金事業がスタートし、いわゆる国民皆保険が制度化されたのですが、これが四助のなかの「共助」に当たるわけです。みんなで毎月おカネをプールしておいて、社会的に弱い立場になった人のためにそれを使うわけですね。

と、まぁ、歴史の勉強みたいな話になってしまって恐縮ですが、問題はここからです。以前、厚労省に電話して確認したところ、概ね「自助」の対象は厚生年金受給者層だと感じました。まぁ、もっともな線引きでしょう。

ですが、経済的に自助できる人であっても、ひとりで人生を全うすることは現実問題として不可能です。子どもや親戚等との交流があれば自助できるかもしれませんが、ごくごく一部の人を除いては、やはりむずかしい。それが、20年間にわたって、シニア援助に携わってきた私の現場感です。

というのも、核家族化が当たり前になって、都市部では高齢者の独居化・孤立化はザラな世の中です。心理的なつながりのある子ども世帯であっても、30年に及ぶ景気停滞で、現役世代は仕事も家庭も超大変です。老親問題で自在に動けるかと言えば動けません。無理をすれば、親子共倒れになったり、子ども側の家庭が崩壊するリスクだってあるのです。

なので、自助社会を大前提に2025年問題に対応しようとするのであれば、地域および職域に、自助を支援するインフラがどうしても必要不可欠になってきます。

わかりやすく言えば、離れて暮らす老親の身にまさかが起こったとしても、現役世代が職場を離れなくていいようにする。老親の暮らす街には、町内会・自治会や老人クラブ単位に、自助を支援する窓口や専門職を紐づけする。そんなイメージです。

そもそも、介護保険制度の基本理念である「介護はプロに任せるべき」と矛盾する介護休業制度自体があり得ない話だと、私は思っています。

ということで、自助社会の実現を見据えて、自助を支援するプロフェッショナルという位置づけで、百寿コンシェルジュを創設したわけです。

コロナ禍で、「自粛を要請する」という奇怪なフレーズが定着しましたが、「自助を支援する」というのも同様に言葉遊びのような印象がありますよね。でも、それが面白いかな~と思っています。

2024年度じゅうに、少なくとも人口50万人都市においては、地域包括ケアシステムの枠組みのなかに、自助支援の専門職をねじこむべく、百寿コンシェルジュの輪を広げていく覚悟です。

還暦を迎えた現在の心境をひとことで表現すれば、星火燎原……です。

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