親子の不思議(前編)
わが子が誕生した時のことを覚えてますか?
不安と緊張の中で、生まれて初めての元気な鳴き声を耳にしたとき、安堵と喜びで涙したことがあったはずです。目の中に入れても痛くない。そんなふうに、血を分けたわが子を溺愛したことがあったのではないでしょうか。
親だけを頼らざるを得ない天使のようなわが子を、寝ても覚めても愛おしく抱きしめ、限りない無償の愛で包んでいた日々。その一挙手一投足を見逃すまいと、着実な成長にビデオカメラを回し続け、幼稚園・保育園の行事で拍手喝采し、卒園式では感動の涙を流し、小学校の入学式でも涙を流し、運動会でも涙を流す・・・。
そして多くの場合、その傍らには、幸せそうな笑顔で、わが子と孫を温かなまなざしで見つめる祖父母がいて……。そんな、親子3世代がひとつでいられた時間がありました。世間的な年齢でいうと、孫世代10歳、親世代40歳、祖父母世代70歳。こんなイメージです。赤ちゃんが生まれて小学校中学年まで。だいたい、この10年くらいが親子3世代にとって蜜月の時代と言っていいと思います。私は、「蜜月の1・4・7」と呼んでいます。
子どもも10歳くらいまでは両親にほぼ全幅の信頼を寄せていて、親子で過ごす時間がふんだんにあります。年中行事には祖父母にも声をかけて楽しい時間を過ごす機会も多いでしょう。親世代は仕事でも然るべきポストに就いて収入も増え、やりがいがピークに達するタイミングです。祖父母世代もまだまだ元気。介護の心配もありません。
ところが、子どもが塾通いを始めたり、運動系のクラブに所属したりするようになると、親子でともに過ごす時間が一気に減ります。それはもう、本当にまったく親子で過ごす時間が突然なくなります。土日祝日ですら、なかなか親子で遊びに行けなくなります。夏休みの旅行すらままならなくなります。それほど、塾やスポーツはスケジュールがぎっしりなのです。そして、それが永遠に続き、戻ることはほとんどありません。それこそが、子どもが成長するということなのですが、理屈ではわかっていても、親にとってもかなりさみしいものです。
でもそれは致し方ないことです。そう割り切って、父親、母親、子どもはそれぞれの世界に没頭していくことになります。やがて、中学高校大学、そして就職、結婚と、あっという間に別々の人生を突っ走っていくことになります。物理的距離と心理的距離の両方が離れていくのです。そして、忘れたころに、子どもの携帯電話が鳴るのです。
「大変なの!お父さんが、お父さんが倒れちゃって…」
そんな感じでしょうか…。
子どもの成長とともに、親子の心の距離が離れていきます。何者も侵すことのできない絶対的な親子愛。それは、子どもの世界が親の手の中だけだった時の話です。蜜月の親子関係は、ある日突然、何の前触れもなく終わりを告げます。
子どもが社会との接点を持つようになると、親の価値観だけがすべてではなくなります。学校の教師や塾の講師、クラスメイトに部活の先輩たち、もちろん、インターネットの世界も大きく影響します。こうした様々な価値観に触れる中で、私たちは取捨選択を繰り返しながら一個の人格を形成していきます。
そして、だれもが経験するように、かつてはもっとも信頼し愛していた自分の親に対して、時にネガティブな感情を抱くようになります。その感情は思春期に一気にピークを迎え、以降、親とは一線を引くようになるのです。
蜜月の親子関係。その終末は、ある日突然やってきます。それは季節の変わり目のように緩やかで優しいものではありません。そんなバリアを敷くわが子を理解できずに、親の側も戸惑うことが増えてきます。感情を表に出してしまうようなことがあると、さらに子ども側の抵抗が顕著になります。多くの場合、10歳になるかならないか。そんなタイミングで子どもは精神的自立を迎えるわけです。これが心理的レベルでの親子の別れです。
遠くの大学や会社に通ったり、結婚したり。そんな人生のビッグイベントがきっかけとなって、子どもは親と別の生活を始めるようになります。これが物理的な親子の別れです。子どもに子どもが生まれると、つまり、親がおじいちゃんおばあちゃんになると、束の間、3世代の距離が縮んできます。
子はかすがい。そんな言葉がありますが、赤ちゃんが生まれて10歳くらいまでの間は、3世代で時間を共有する機会が増えるものです。この10年間は家族愛を再認識するには格好の時間です。こういう幸せのさなかにあるときこそ、本当であれば老後の話を詰めておくべきです。仕事と一緒です。仕事であれば、順調な時にこそ、まさかに対するそなえを講じておくでしょう?
でも、なかなかプライベートだとそうはいかないのです。幼な子の天真爛漫な可愛らしさに目を奪われ、また、祖父母世代もまだまだ元気で介護のことなど想像すらしていない…。みんながみんな幸せに浸りきっている10年間と言っていいでしょう。
ですが、時は確実に流れています。親子3世代それぞれが、否応なしに、次のステージに移行していかざるを得ません。私たちは誰しも、この世に生命を授かった瞬間から、寿命という砂時計をひっくり返されて、人生という時を刻んでいくのですから。
(後編に続く)
*後編は明日お届けの予定です…。