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【百寿コンシェルジュ・神崎眞のエピソードファイル】哀しみの終わる時(4)

「ところで、本当にそんなにすぐに、入院できるものなんでしょうか?」

神崎は、珈琲をまたひとくち口に運んでから、やさしい視線で軽く頷きながら話し始める。

「あとどれくらい耐えればいいのか・・・。それが、みなさんがもっとも気にされる点です。大丈夫ですよ。初診から2週間あれば、ほぼ大丈夫。長くても3週間。私どもでは、そうコミットするようにしています」

具体的で、かつ、予想よりもはるかに短期間だったので、杉崎は無意識のうちに目を丸くした。

「このままでは息子さんがどうにかなってしまう。それはすなわち、お母さまにとっても危険なこと。いや、親子ふたりにとって危ないことだとキチンと伝えることができれば問題ないです。あとは、ベッドの空き状況の話で、その日に即、というのはむずかしいでしょうが、入院できるはずです」
「そうなると、ホント、助かります」
「首都圏であれば、認知症の入院病棟を抱えた病院はたくさんありますからね。必ずどこかには入院できますから。大丈夫です。安心してください。 それと、入院するまでの間に、いくつかやっておかねばならないことがあります。大きく3つですね。介護認定を受けること。限度額認定を受けること。定期預金を解約して普通口座へ振り替えてしまうこと。ついては、カウンセリングを3度ほどやるつもりなのですが、それを杉本さんのお宅でやらせていただければ、その折に、役所と銀行へ同行しましょう。そうすれば、そんなに時間をかけずに終わると思います。いかがでしょうかねぇ」

「やっ、ちょっと・・・。まだイメージが湧いてこなくって・・・」
「これは失礼。それはそうですよね。ついつい自分のペースで話を進めてしまいました。ごめんなさい。とにもかくにも、介護保険のサービスを受けられるようにしておくことは絶対に必要なのです。これがあるとホームヘルパーを呼んだり、デイケアやデイサービスに通ったりするときの費用が1割負担で済みますし、何よりも、これをやっておかないと、速やかに入院することができませんので必須なのです。で、実は、介護認定というのを受けるためにも、主治医の所見をもらわないとダメなんです。この要介護認定の申請手続きと併せて、限度額認定というのをもらっておくと、これから先、月々の医療と介護の自己負担金額の上限が設定されて、要は杉本さんの懐が痛まないということですね」

「はぁ。ちょっとむずかしすぎて、理解が追いつきません・・・」
「要は、女性の場合は100歳くらいまでザラに長生きしますから、月々のコストを少しでも下げる手立てを講じておいたほうが安心だということなんですよねぇ」
「へぇ~。そうなんですか…。私、何にも知りませんでした」
「いや、みなさん同じですよ。とくにお仕事を持たれてる方は、大体がそうおっしゃいます。気になさらないでください」
「あと、定期預金の解約・・・ですか?」
「はい。これは、早々に済ませておかないと、後々、厄介なことになるリスクを孕んでいましてね」

杉本は、神崎の口から出てくる情報量の多さに、ついていくのがやっとだった。それを見越してか、神崎がフォローをはさんでくる。

「ところで杉本さん。一連の話は、メモにして別途お渡しするので心配しないでくださいね。認知症の場合には、同時並行でいくつものことを段取りしておかないといけないので、みなさん不安になられます。でも、私たち百寿コンシェルジュは、そんなみなさんの不安をなくすためにフルサポートしますので、ご心配は無用です。大丈夫ですよ」

杉本は、それを聞いてホッとした。その表情を見た神崎が、会釈して話を続ける。

「認知症で、しかもお母さまのように、もの盗られ妄想のある方は、おそらく過去におカネにまつわるネガティブな経験をお持ちだと思うんです。そしてこの先も、おカネのことで息子さんとの間でモメる可能性が高いです。伺ったお話では、すでに兆候が出ているんだと思います。

なので、お母さまが普通の状態でいらっしゃるときに、預貯金をはじめとするすべての財産は、お母さまにもしものことがあった際には息子さんが相続するのだということについて、言質を取っておくべきだということです。 

理想は、生前に口座名義を変更してしまうことなのですが、いまの時代は実に厄介なんです。金額によっては贈与税が発生してしまったりしてね。なので、もっとも実際的なのは、お母さまの定期預金口座があれば、それらはすべて普通口座にしてしまうこと。そして、お母さまから通帳と印鑑とカードを預かって管理して差しあげる方向にもっていくことです。もちろん、暗証番号も教えてもらう必要があります。

で、認知症であろうがなかろうが、定期預金を普通預金に移管するためには、どうしてもお母さま本人が窓口に出向く必要があります。そうでないと、息子さんがいくら何を説明しようとも、銀行側は調査してからでないとダメだとか、面倒なことを言ってくるわけですね。挙句の果てには、成年後見人をつけないとダメだとかね。そんなことやってるとおカネと時間がかかるので大変なんです。

だから、ご本人、つまり、お母さまが意思表示できるうちに、親子そろって金融機関に出向いて手続きを終えてしまうのがいちばんスムーズなんです。まあ、いざその時になって経験してみないと、その大変さ加減はご理解いただけないかもしれませんが…」

「なんとなく、わかるような気がします。泥棒が入ったとか騒いで、まさかアンタじゃないでしょうね、なんて言われたときは、ただもう怒り心頭という感じでしたが、冷静になってから考えたら、私に盗られたとか言って交番や銀行に助けを求めて行ってしまうかもしれないわけですからねぇ。神崎さんのおっしゃるように、早め早めに手を打っておいたほうがいいのかなとは思いますよねぇ。ただ、具体的なやり方がひとりではわからないですもんねぇ」
「ですよね。ちなみにご兄弟は?」
「いえ、私、ひとりっこでして」
「それは良かったです。モメるんですよね、多くの場合。金額の大小にかかわらず」
「そうなんですか…」
「はい。哀しいものです。ついこの前までふつうに会話していたご兄弟・ご姉妹が、親の預貯金の配分でいがみあうというのはね。杉本さん、ひとりっこでラッキーだと思います。本当に」
「はあ。そうですか」
「ところで、ご自宅と預貯金の他に、お母さまがお持ちの資産はありますか?」
「いいえ。自宅は父が亡くなったときに私名義にしてしまいましたから、わずかな預貯金くらいしかないですね」
「そうですか。であれば、すぐに手続きは済みますよ。これまたよかったです」

神崎の話を聞きながら、杉本は、もうこの人に任せるしかなさそうだと感じていた。仕事を抱えながら、自分が動いても、なかなかスムーズに事が運ばないであろうことは、容易に想像できた。

「あと、今日さいごの確認なのですが、入院できたとしても、最後の最期まで病院でというわけにはいかないので、退院後のことなんですが。実際問題として、もうお母さまとご自宅でふたりで暮らすということはないのではないかと思うのですが、そこのところはいかがですか?」

杉本はしばし沈黙して、大きくひとつ深呼吸をした。そして、大きくうなづきながら、「そうですね。それはむずかしいと思います」と、自分に言い聞かせるように言った。

「残念なことかとは思いますが、おふたりにとって、それが得策だと私も思います。なので、少しずつ、退院後の転居先について検討しておいてほしいのです。いわゆる老人ホームなのか、グループホームなのか。また、ご予算的には、月額いくら程度で考えたいのか。そのあたりは、また追々、お話を聞かせていただきたいと思います」
「そうですよね。わかりました。これから先、いろいろと教えていただけると助かります」
「承知しました」

結局、神崎との面談は3時間近くに及んだが、今後の基本方針と具体的な作業手順を示してもらえたことで、肩の荷がだいぶ軽くなったように感じていた。以前に、たまたま本屋で立ち読みした雑誌で神崎の記事に遭遇したことは、もしかすると偶然ではなかったのではないか・・・。杉本は、そんな気持ちになっていた。

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