老親リスク ~親が軛(くびき)となる日~
タイトルにある「軛」ってご存知ですか?
“くびき”と読むのですが、絵にあるように、牛とか馬とかが勝手に動き回らないよう、かじ棒や牛車・馬車につなぐための棒状の器具のことを言います。比喩的に、「束縛・拘束するもの」的な意味で使われます。
長いこと、「現役世代にとって、老親はリスクである」というお話をしてきていますが、これは比喩的に、「老親が軛となる日が、いつか必ずやってきます。だから、親は元気なうちからそなえてください。子ども側は親がそなえるように仕向けて行くことも必要ですよ」……とお伝えしているわけです。
さて、65歳を迎えたふたりの男がいました。
ふたりは幼馴染。同じ年に同じ街に生まれ、同じような学歴で、同じようなランクの会社に勤め、同じような結婚をして、同じような家庭を持ち、同じようなキャリアを積んできました。いよいよ高齢者の仲間入りとなったわけですが、ふたりを取り巻く環境には大きな違いがありました。
ひとりは、だいぶ前に妻とも別れ、子どもたちともつきあいはありません。細々とバイト暮らしをしながら、仕事帰りに安酒を飲み、散らかったワンルームマンションで眠りにつく。そんな日々を送っています。
これからは月に15万円程度の年金が入るので、体力的にキツくなってきたバイトの日数を減らせそうだとホッとしています。親しい友人もいないので、休みの日には昼からお酒を飲みながら、インターネットで好きな映画を観たり、大リーグの試合を観たり。それが唯一の楽しみです。
ただ、冬場になると血の巡りが悪くなり、身体の節々が痛み、ベッドで横になって過ごす時間が増えてきました。ですが、「まあ、天涯孤独のようなものだ。こうしてごまかしながら、誰にも迷惑をかけずに人生を終えられたらそれでいいさ」と達観しています。
そんな彼の子どもたちは、突然いなくなったきり、今日まで何ら父親らしいことをしてくれなかったことに対して批判的ですが、今はただただ、父親にもしものことが起こって、警察や医療機関から連絡が来て面倒に巻き込まれることだけを恐れています。
もうひとりは、すでに独立した子どもたちや孫たちとも頻繁に交流し、笑顔の絶えない日々を送っています。地域に知人友人も多く、趣味に興じたり、遠足に出かけたり、懇親の場に集ったりと、忙しくも楽しいシニアライフを謳歌しています。
子どもたちは、そんな彼の老後を手分けして支えようと、顔を合わせるたびに体調を気遣い、いざ事が起きたときの段取りについて確認しあっています。経済的にも、年金の他に、たまに商工会議所やNPO主催のセミナーで講師を務めたりもしています。加えて、子どもたちから月々の小遣いまでもらっています。
このように、ふたりの暮らしぶりは大きく異なっています。物心ついてから半世紀以上も、一見同じような道を歩んできたふたりですが、どうしてこうも開きのある老後を送ることになってしまったのでしょうか?
同じような半生を送ってきたふたりですが、実は、ただひとつ違うことがありました。それが、老い支度。いわゆる終活です。
ひとりのほうは、離婚したことも手伝って、前妻はもちろん、子どもたちとの接触も途絶えていました。独り身なので、老後のこともケセラセラといった感じで、いつ倒れても誰にも迷惑をかけることもないだろうとタカを括っていたのです。
しかしながら、彼は80歳を目前に、ゴミ出しの際に倒れ込みます。通りがかった近所の人が救急車を呼んでくれて病院に搬送されました。脳梗塞でした。一命は取り止めたものの、後遺症が残り、誰かの介助なしでは生活がままならなくなりました。病院からの連絡を受けた自治体の職員が調査にあたり、彼の身元が明らかになります。
そして、別れた妻と長男に連絡が入ります。とうに忘れていた父親が病いに倒れ、介護が必要であると伝えられます。まさに青天の霹靂です。3人の子どもたちもみな家庭を持っており、それぞれの事情を抱えています。そこへもってきて父親の介護など、余裕がありませんでした。そもそもネガティブな感情が先に立ち、厄介者の押しつけ合いになります。
じきに、父親の預金が70万円ほどあることがわかりました。こんどは、その70万円の分け方で仲違いがはじまります。誰ひとり、父親の介護まわりのことには関わりたがらないのに、です。
治療を終えた彼は、搬送先の病院の図らいで療養できる地方の病院に移りますが、そことて何ヶ月も滞在できるはずもありません。やがて認知症の兆しが見え始めます。こうなると、大変なのは子どもたちです。
とりあえず、ひとり娘がやむなく医療や介護の事務手続きに奔走しますが、月々の支払いも持ち出ししなければならない状況です。知らん顔の兄弟とは、それぞれの配偶者も巻き込んで次第に犬猿の仲となります。そうこうするうちに、こんどは母親にも認知症の症状が出始めます。
ここまでくると、もう子どもたちは完全にお手上げです。自分たちはどうして親のことでこんなに大変な思いをしなければならないのか…...。苛立たしい想いが溢れてきます。両親を恨むようになるのは必然のことだったかもしれません。それでも、親子の縁は死ぬまで切れないのです。いや、死んでも切れません。死亡届に除籍等々、いわゆる死後事務をやるのは子どもしかいないのです。
最終的に、両親とも費用の安価な公的施設に入所し、父親が6年、母親が9年、そこで過ごしたのですが、年金だけでは賄えず、子どもたちが月に数万円ずつ補填して何とかやりくりをしました。子どもたちは、今でも異口同音にこう言っています。
「うちの親はホント手がかかったよなぁ。何にも段取りをしておいてくれなかったばかりか、おカネもかかった。自分は、子どものためにも、あんな風にだけはなりたくない」と。
お墓参りにいって手を合わせるたぴに、どうしてもネガティブな言葉や感情を抑えることができずにいます。
一方、もうひとりの彼は、ちょっと違いました。
50歳の誕生日に会社の部下が贈ってくれた終活本の内容に納得した彼は、いつ何があるかわからないという危機感と当事者意識を掻き立てられました。そして、その本を参考にして、その年から、3人の子どもに非課税の範囲内でおカネを渡していったのです。
65歳になるまでには、エンディングを迎えるまでに遭遇しそうな老後の課題について、その時点での望みと、子どもたちに頼みたいことを書き出しました。加えて、サポートしてもらうのに必要と思われるおカネの財源を明確にしつつ、定期預金を解約して普通預金に振替え、若干の株もゴルフ会員権も売却してすべて現金化しました。
そして、ムダな贈与税が発生しないように気を配りながら、もしもの事が起こる前に、子どもたちに渡していくようにしました。合計3千万円を、生命保険もしくは現金で、3人の子どもたちに渡し終えたわけです。そして年に一度は、エンディングまでのプランを見直して、変更があってもなくても子どもたちと向き合う時間を作るようにしたのです。
65歳の時点で、彼の財産は年金が振り込まれる口座だけとなりましたが、当初の取り決め通り、子どもたちから、毎月1万円ずつ小遣いをもらうようになっています。子ども側にしてみると、実質的に、父親が50歳のときから2,000万円を生前に相続されたのと同じことです。
結果、子どもたちにも、自然と父親の老後を支えようという覚悟が芽生えていきました。父親は75歳を過ぎた頃から、動脈瘤の手術をしたり、要介護になったりで、さいごは老人ホームでの療養生活となりますが、あらかじめ希望していたように子どもたちが段取りと手続きをしてくれました。92歳で他界するまで、葬儀や死後事務も含めて、彼自身が描いたとおりの人生をまっとうすることができたのです。命日が来るたびに、子どもたちは父親の思い出話に花を咲かせています。
「うちの親はさぁ、何から何までプランしておいてくれたし、おカネまで先に渡しておいてくれたから、すべてスムーズにいったよね。僕らが手続きや費用のことで悩むことは一切なかったじゃん。助かったよな〜。自分も父親を見習ってさ。子どもたちに負担をかけないように、そろそろ親父がやってたみたいにそなえはじめるつもりだよ」
ふたりのシニアの物語はここまでです。
読んでくださったみなさんは、どう思いますか?
天国に行ってからも、お子さんたちに感謝の言葉を口にしてほしいですか?
それとも、死んだ後もずっとネガティブな話題の主として登場したいですか?
老親はリスクです。
このリスクは必ずやってきます。
親はひとりじゃ死んでけません。
親子の縁は死んでも切れません。
つまり、親のまさかは子のまさかです。
親がそなえていなければ、子どもが不利益を被ります。
それでいいのですか?
なのに、どうしてそなえないのですか?
なのに、どうしてそなえさせないのですか?
問題を先送りするだけじゃ、何の解決にもなりません。
そろそろ段取りすべき時期かもしれませんよ!