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【ドクトルJの告白048】すべては患者さんのために

仮に日本の医師たち、つまり西洋医学側の人たちが、科学的根拠が乏しいといって東洋医学を否定するとしたら、これはもとより東洋医学の責任ではありません。それこそ近代医学をもってしても心や命といったものをいまだに解明できていないからに他なりません。科学で解明されていない対象に向かい合っている東洋医学に、科学的根拠が乏しいのは仕方のないことですからね。なんか禅問答みたいになりましたが、責任があるとすれば、それは東洋医学にではなく、西洋医学を生み出した科学の未熟さにあると私は認識しています。

少しは欧米の医師たちの柔軟さを見習ってみてはどうでしょう。彼らは世間体や面子よりも、価値の有無でスタンスをころころと変えてきます。患者さんのために良いものは積極的に取り入れる。それはビジネス的にいっても良いことなわけです。にもかかわらず、日本の西洋医学は相変わらずエビデンスがどうの言って東洋医学を斥けようとする。これが建前であることを願います。患者さんにしてみたらせっかくの援軍だというのに、医師たちのつまらない意地のために東洋医学の手を借りるチャンスを失ってしまったら泣くに泣けないでしょう。

一方で、東洋医学に関わる人たちについても、感心できない部分があります。まるで西洋医学がそうしているのと同じように「西洋医学はダメ。東洋医学がすべてを救うのです」とか、しゃかりきになってエビデンスを追求しようとして「いや、東洋医学にも科学的裏づけがこんなにあります」とか言っているようでは、問題はいっこうに進展しないと思います。そもそも西洋医学が得意とする土俵で勝負することに意味はありません。それはいくら深追いしても時間と手間が無駄というものです。

「東洋医学には、エビデンスに乏しい分、直観というものがある」と、統合医療の先駆者、帯津良一さんは言っています。それは、フランスの哲学者でノーベル賞も受賞しているベルグソン(1859~1941)が言うところの「生命の躍動から歓喜にいたる哲学的直観」だそうです。東洋医学を提供せんとする医療者たちはこの点こそを大いにアピールすべきです。どうも日本では、西洋医学も東洋医学も、お互いを敵視してしまうようなところがあって困ります。両者は敵対するものではなく、患者さんのために協力し合うべきものなのに。

本当に良い医師というのは、患者さんに良いと思うものをいろいろと組み合わせて提供する柔軟さを持っているものだと思います。すでに欧米では、西洋医学と東洋医学双方の良いところを統合して治療に生かしていく方向性が完全に明確になりました。この流れは、医学というものの対象が、従来の「身体」から「心と命」に転換し始めたことを意味します。この考え方の下に展開される医療を『統合医療』と呼ぶのですが、私は、統合医療とはベースにしっかりとした西洋医学があって、そこに西洋医学では足らない部分を東洋医学が補完することで初めて成り立つものだと考えています。

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