頑張っているのに、なぜか売れない③
しかし、この愛すべき鶴井君、待てども暮らせども田中課長からお声がかかるはずもなかったのです。
なぜかと言うと、田中課長はこのE製作所の情報システムに関する総括責任者であり、工場で人手に頼っている工程のシステム化による生産性向上や、オフィス業務のシステム化による効率化など、会社からのミッションをいくつか抱えているとても多忙な方なのです。鶴井君は会えただけでもとてもラッキーだったのです。
田中課長は情報システム部員からの信望も厚く、日ごろから部下からの様々な相談、業務指示や業務フォローなどにも対応していることから、その多忙さは尋常ではありません。
なぜここまで彼のことを知っているのか、それは田中課長を鶴井君の前に担当していたのはこの私、天野だっだからです。のん気な鶴井君にも分け隔てなく笑顔で接してくれたのは、彼の人を思いやる気持ちが人一倍強い、彼ゆえの人柄のためです。
新モデルパソコンのカタログをE製作所の田中課長に届けてから、早や2か月が過ぎたころ、オフィスの電話が鳴った。
「鶴井く~ん、E製作所の田中課長から電話で~す」
「あ、はい!出ます!」
「もしもし、鶴井でございます。いつもお世話になっております」
「あっ、鶴井さんですか、こちらこそお世話になっております。ちょっと相談したいことがあるので、一度こちらにお越しいただけませんか」
「かしこまりました。いつ頃がご都合よろしいでしょうか?」
「急いでいるので、明日の午前中にもお越しいただけませんか?」
「大丈夫です。お伺いします。ご希望のお時間はございますか?」
「じゃあ、9時半にお越し願えますか」
「はい、承知しました」
「では、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします~」
ガチャ、受話器をおろすや否や、
「やったー、きっとパソコンについての相談だぁ~!これで初注文もらえるぞぉ~!」
あまりに嬉しかったのか、オフィス中に響き渡るくらいの大きな声を張り上げてしまっていたが、本人はもう、これから受ける田中課長からの相談内容に夢中になっていて気付く由もない。
そして、翌日朝、意気揚々とE製作所に向けて営業車を走らせて行った。連日続く残暑、今日も暑くなりそうである。
朝9時20分、約束時間の10分前、E製作所のお客様駐車場に到着し、駆け足で1F受付ロビーに向かう。約束時間の5分前。
「5分くらいなら、大丈夫だろう。もうお呼びしてしまおう」
「エース情報の鶴井と申します。おはようございま~す! 9時半に情報システム部の田中課長様とお打合せのお約束で、ちょっと早いのですが、いま、1Fの受付にお邪魔しております」
「承知しました。その場で少々お待ちください」。
以前にも電話に出た同じ女性に言われたとおり、その場で待つことにした。
「あっ、田中課長、おはようございます!」
先回は30分程度遅れて来られたが、今回はほぼ待ち時間なく来てくれた。
「鶴井さん、おはようございます。ごめんね、急にお呼びしてしまって。実はね、弊社の社長からのトップダウンの指示があって、急ぎ検討が必要な事案が生じましてね」
「はぁ」
「何かというと、社内のコミュニケーションの活性化を促進して欲しいと、社長から言われています。ITツールを駆使した解決を図りたいのですが、自分でもよく分からないので、情報をいただきたいと思いまして今回お越しいただいた次第です」
「コッ、コミュニケーションの促進ですか?」
鶴井君、今までこんな事を考えた事もなかったため、内心どのように切り返そうか頭をフル回転させていた。
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