見出し画像

海を渡った介護士

フィリピンに至った経緯


2000年介護保険がスタートした。当時、福祉系大学に通いながら、特別養護老人ホームでアルバイトをしていた私は、

「これからの介護はサービス業になる」

と思い、シニア向けサービスが充実しているアメリカ留学を志すようになる。

3年生の時に大学教授から、アメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコ郊外にある日系人グループホームで1年間の研修プログラムを紹介してもらい、卒業後渡米。日中は語学学校で英語を学びながら、それ以外の時間は10数名の認知症高齢者が共同生活をしているグループホームで介護の仕事を行った。

研修終了後再度アメリカに渡り、英語学習を続けながら、生きていくために様々な仕事に従事した。寿司職人、指圧師、そして介護など。一番稼ぎがよかったのはチップがもらえる指圧師の仕事であった。この時に私の指圧の技術は飛躍的に向上した。

ある程度収入が落ち着いてからは介護の仕事に絞って働いた。アメリカンチャイニーズの高齢者在宅介護をしたり、別の日系人向け高齢者グループホームの立ち上げに従事したりと、アメリカの介護現場に関わっていた。

アメリカでの介護

当時のカリフォルニア州では、介護従事者の多くがメキシコ人やフィリピン人であり、彼らと共に働く機会にも恵まれた。サンフランシスコにある日系人入居者の多い高齢者介護施設では、言葉や文化が異なる「外国人」が日本人の介護を行う現場を目の当たりにして、

「日本でもいずれ外国人が日本人の介護を行う時代がくるのではないか」

と考えるようになった。
2008年、約4年半のアメリカ滞在を終えて、アメリカ西海岸から東へ東へと移動しながら世界一周の旅をしていた、そんな私の元に、知人から1通のメールが届いた。

そこには、日本政府とフィリピン政府の間で経済連携協定が結ばれ、これからフィリピン人介護士が日本で働くようになるというニュースが添えられていた。

そのメールを南米ペルーからアフリカ・ケニアに向かう途中で受け取った私は、旅の最終目的地をフィリピンに定めることにした。

いいなと思ったら応援しよう!