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心を持った人形と人間になる気持ち 映画 空気人形 ネタバレ感想
こんにちは。こんばんは。今日紹介するのは、空気人形。この映画を見たきっかけは、ライアンゴズリングの「ラースと、その彼女」という映画を見たことです。関連でラブドールについての邦画があると知って、本作を鑑賞しました。
以下、あらすじ
秀雄はラブドールに「のぞみ」と名づけて話しかけたり、抱いたりして暮している。人形がある日、瞬きをしてゆっくりと立ち上がり、軒先の雫(しずく)に触れて「キレイ」と呟く。いろいろ試着して結局、メイド服で外出。ビデオ屋の店員・純一に惹かれ、アルバイトを始める。秀雄にキスされながら「私は心を持ってしまいました」とつぶやく
ということで私の感想を書きます。
空のラムネ瓶
空のラムネ瓶が表すもの、それはまさにのぞみ自身です。ラムネを飲み干した後の瓶は、空っぽでビー玉だけが残ります。空気人形の彼女は中身は空っぽですが、彼女は心を持ったと考えています。それは本当の心かはわかりませんがビー玉のようにつっかえて出てこないもの、何かが彼女の中にあるといことの表れです。または彼女の心を持つってどういうことだろうという疑問や人間になることの希望だとも言えます。
タンポポ
タンポポの綿毛は風や鳥、人の息など他の要因がなければ種子を飛ばすことができません吉野弘さんの詩にあるように
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不十分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
人は綿毛一本一本そのものであってまた同時に他の要因であります。人は他人を満足させることは出来ますが自分自身を満足させることは難しいです。
またのぞみのセリフとして
「私は空気人形、性処理の道具です」
というセリフが登場します、それはのぞみの状況、心情、そしてこの詩を表す一言だと思います。
のぞみが求めるもの
のぞみがもとめるものそれは、愛じゃないでしょうか。彼女は純平に何度も空気を入れられては抜かれます。これは何を表しているかというと…
彼女にとっての性行為、彼女を満足させるものを表しています。
この行為を「時計仕掛けのオレンジ」に登場する性行為のスラングを借りて言うと、インーアウトです。のぞみにとって空気が抜けることは苦しい、痛いけれど、その一方で空気が入るのは満足する行為なのだと思います。性行為をぼやかして言うと、それはまさにインーアウトで、純平はまさにのぞみに空気をインーアウトさせていました。
そしてそれはまた彼女にとって初めて他人から愛をもらった瞬間じゃないでしょうか。しかし、彼女は同じように愛を純平に返そうとしますが、彼は人間なので、そのまま出血し亡くなってなくなってなってしまいます。
人間とは
彼女はその後、「心を見つけた」とつぶやきます。それは心を持つことは傷つくこと、今作のキャッチコピーである「心を持つことは、切ないことでした」というテーマに帰着します。
最後、のぞみの周りに並べられたのは空の瓶とりんご。体につっかえてたビー玉とは心を持つことの切なさ、人間の悲しい性なのでしょうか、彼女はそれを捨てたように、人間として生きることを放棄したように亡くなります。そしてりんごは調べによると映画では愛と性欲の象徴として表されることがあるそうです。彼女は最後に誕生を祝われる自分を想像しますが、彼女が欲しかったのは、人間の優しさ、ぬくもり、愛、満たされないものを満たせてくれる他者なのだと思います。
しかし彼女の息絶える直前の息はタンポポの綿毛を飛ばします。それは人を満たして自分は満たされなかった人間の悲しさそのものを表しているのかも知れません。または彼女は空気人形ながらも、人間のように人の心に触れて生きたことの功績かもしれません。
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