(読書感想文)なぜ私は私であるのか: 神経科学が解き明かした意識の謎(アニル・セス)

つい最近読んだ本で、非常に興味深い本がありましたので、
断片的なご紹介ついでに、メモを書いています( *ˊᵕˋ* )
どなたかのご参考になれば、嬉しいです(*'▽')

It from qubit。IIT(意識の統合情報理論)。
情報的なもの(とその情報の構造)が生命である。
汎心論。

→計算する宇宙、数学的な宇宙や、
「フォン・ノイマン鎖の終端としての意識」とも合致。

有限なデータからの、正確な母確率分布の推定の困難さ

イブン・アル・ハイサム:「知覚は客観的事実ではなく
判断と推定のプロセスに依存している。」

最尤推定としての知覚

私たちは皆、常に幻覚を見ているとさえ言える。
ただその幻覚が一致したとき、それが現実と呼ばれるのである。

プロジェクション・サイエンス(認知科学)の文脈での
「プロジェクティッドリアリティ」


認知の歪み、防衛機制、スキーマによる「知覚」「現実」への影響。

ツートーン・ムーニー画像。
視覚だけでなく 「全ての知覚(五感)」 に当てはまる。

私たちは決して世界をあるがままに経験しているわけではない。
世界】 と 【(自分の)心】 の 【相互作用】 
の中でしか存在しない。

学習効果による、客観的なの光学的・視覚的情報の変化
プロジェクティッドリアリティの変更。
主観的【固有世界】のみの存在・実存。
超次元ロールシャッハテスト(※)としても使える。


被験者にインクのしみを見せて何を想像するかを述べてもらい、
その言語表現を分析することによって
被験者の思考過程やその障害を推定するものである。

wikipedia :ロールシャッハテスト

※通常のロールシャッハテストでは、「無意味な画像(インクのしみ)」を見せて、それに対する反応を観察するもの。

「超次元」ロールシャッハテスト、と呼ぶときには
客観的に意味のある対象(リンゴなどの物、台風のような現象、何らかの物語など)」を見せて、それに対する反応を観察するもの。

同一の「客観的に意味のある対象」を複数人へ見せても
個人ごとに「プロジェクティッドリアリティ」が異なるため、
それに対する反応自体も、個人ごとに異なる。
その反応の【異なり方】を観察・分析することで、
対象者が持っている「プロジェクティッドリアリティ」を推定する方法。

例えば「リンゴ」を見せた時に、言語表現として

「知恵」「罪」「不死」「若返り」などが含まれていれば、
聖書宗教や神話によるプロジェクティッドリアリティへの影響
が推定される。
「毒」「眠り」「投げる果物」などであれば、おとぎ話・民話
「iphone」「iPad」などであれば、アップル社・ハイテクへの関心
「品種」「産地」などであれば、農業関連ビジネス。
「ジャム」「タルト」などであれば、製菓
「バラ」「モモ」「サクランボ」などであれば、植物学・生物学

などなど、客観的に一意であるはずの「リンゴ」に対して、
個人個人がどのような「プロジェクティッドリアリティ」を持っているかによって、「言語表現」が異なる。


(本書の続き)

脳はベイズ的な予測機械である、といえ信念を覆すには、
どれだけの証拠(※追加の【情報量】)が必要だろうか

→プロジェクティッドリアリティの恣意的な変更の難しさ
トラウマ・スキーマ・認知の歪みなどの
精神病の臨床心理学的治療の困難さでもある。

脳神経系は、統計力学的機械学習であり、
量子情報的テンソルネットワークであり、
情報幾何学・情報物理学でもあり、
推定統計学・応用統計学でもある。

私たちは世界をありのままに認識するのではなく
有用であるように(解釈をほどこして)認識するのである。

脳は本質的にダイナミック(動的。時間変化すること。)で
能動的なシステム
であり、絶えず環境を探り(※情報を入手し)
その結果を検証していることがわかる。

能動的推定も、生成モデリング(※プロジェクティッドリアリティ)
に依存する。

→プロジェクティッドリアリティ、スキーマ、認知の歪み、防衛機制など
によって構築される、主観的な【固有世界】

長期的に見れば、動作は学習の基本である。

世界の因果構造一般を明らかにすることで、
脳の生成モデルを向上させることができる。

変化盲は哲学的なジレンマを明らかにすると考える人もいる。

画像の知覚が変化する前後で、
自分の(クオリア的な)経験は、どちらだろうか。

解決策は質問の前提を否定し、
変化の知覚は、知覚の変化とは同じではない
と認識することだ。
変化の経験は、別の知覚的推定であり、
制御された幻覚なのである。
時間の経験もまたそうである。
時間の知覚は、感覚信号の変化率に関する、
最良の推測から生まれる可能性がある。

エントロピー生成速度や、
情報幾何空間中の勾配流による、状態変化速度
速度限界speed limit、に基づく、固有時間速度の違い

物理量の変化速度でもあり、
 共分散・相関係数でもあり、
 計量テンソルの【基底】の大きさであり、
 微分であり、
 微小な平行移動・微小な差分でもあり、
 数学的な空間曲率でもあり、
 物理学的な「力」でもあり、
  測地線・最尤推定経路でもある。
 そして、光速不変の原理・ローレンツ変換による制限も受ける。

せん妄と、ねじれた理論

→これも、認知の歪み、防衛機制、スキーマ、プロジェクティッドリアリティ。
特に精神的・臨床心理学的な病理だけに限定されず
日常的な悪意から、刑事事件を能動的に起こす精神構造
社会的対立・分断操作、終わらない戦争・紛争・虐殺・民族浄化なども、
これが集団に拡大したもので、悪性ミームによる集団感染と、
それから生じる暴走した免疫反応・サイトカインストームと似たようなもの。
【ヒットラー的アーリア※】
※史実のアーリ【ヤ】ariyaではなく、
ヒットラーの脳内にだけ存在する、
架空のせん妄と、ねじれた理論による)存在。

それが【悪性ミーム】として伝搬することで、
数多くの人を集団感染させて、
それらの人々を「せん妄と、ねじれた理論」による
「歪んだプロジェクティッドリアリティ」へと変化させた。


個人のアイデンティティが存在するためには、
(客観的ではなく)【個人化された過去の歴史
自伝的記憶の糸、記憶された過去、予定された未来が必要である。

物語的自己(ナラティブ・プロジェクティッドリアリティ)

自己は記憶や精神構造の連続性に依存するので、
記憶や精神構造が、短い時間に極端に大きく変わってしまう
(例えば、極端に強い精神的ストレスや、物理的な脳機能障害など)と、
(肉体的に同一であっても)(【自己】としては)
ほぼ別人ということになる。
せん妄も、トラウマ・PTSDなども同じ。

防衛機制、認知の歪み、スキーマ、プロジェクティッドリアリティによって、過去の記憶そのものも【再解釈】されて変化してしまう。
このときもまた、自己の連続性に大きな影響を与えるので、
その変化の程度が極端に大きくなると、
自己の連続性が失われて】【"別人"になる
「解離性遁走 Dissociative fugue / psychogenic fugue」

https://en.wikipedia.org/wiki/Dissociative_fugue

また、あくまでも自己の連続性は自身の記憶に依存しているのと同じく、
「自分」にとっての「Aさんに関する連続性」は、
自身の「【(主観的な)記憶】の中のAさんの情報量に、強く依存」している。
何年も会わずに情報量が得られない状況が続き
Aさんの連続性が自身の記憶から失われていれば、
別人のように【主観的には】感じる。

量子情報的にも、未観測状態については多世界解釈的な扱いなので、
長期間、【情報量が得られていない】のであれば、
期待値・古典物理量も不確か
になっていく。

認知症重度の健忘症の場合、物語的自己の上に築かれた個人的アイデンティティの感覚が損なわれたり、完全に消失したりする。

→自己の連続性の消失、つまり、情報量的な【過去】の自分の【死】

せん妄では、個人的アイデンティティの感覚が捻れたり、歪んだりする。

→戦争、凶悪事件、DV、イジメ、パワハラ、セクハラ、カスハラなど、病理に限らず、単なる悪意・ストレッサーでも容易に、
アイデンティティ・プロジェクティッドリアリティの歪みや捻れは生じる
ので、ある意味では、精神的傷害事件・精神的暴行事件に等しい。

ただし、プロジェクティッドリアリティは
個人ごとに感受性の違いがあるため、定量化しにくく
かつ、客観的な測定も困難なので、
刑事事件として、より深い扱いになるにはまだ時間がかかる。

同様に、【死】というものに対して、極端な恐れ・不安を抱いていると、
その事自体が極端なストレッサーになり、
プロジェクティッドリアリティが歪み
せん妄・健忘症・認知症を生じやすくなる
(【忘却することで、【死の恐怖】から逃れる(解離性遁走の亜種))。

どの道、自己の連続性も喪失していくので、
物理的には生きていたとしても、
自己の【連続性】の観点からは【緩やかな自殺】
と同じ。

なので、輪廻転生なり、死後の世界なりを、
自己のプロジェクティッドリアリティに加えることによって、
【死】の恐怖を軽減して、病理を発症しないようにする
(精神的プラセボ薬・情報量的な薬・良性ミーム)。

ラバーハンド錯覚による自己の延長

ゲームをプレイしていて、キャラがダメージを受けたときに、
イタっ!という反応を示す(痛覚は伴わないが、感情的な言語反応としては、類似する反応を示す)のと同じ。

同様に、小説なり文字作品を読んでいるときにも、
感覚野の応答を、自己の延長として感じることもあるので、もっと幅広い。

これをプロジェクティッドリアリティの治療として応用するものの一つが、【アニメ療法】※タイトルはアニメだが、
サブカルチャーなど文学や芸術全般にも当てはまる。
アニマルセラピーなども、拡張して含めてもいいかもしれない
(動物たちからの無条件の愛情と接することによる、
良性ミーム(悪性ミームに対するワクチン)の接種と、それにともなう
歪んだプロジェクティッドリアリティの修正)。

OBE体外離脱経験

ゲームや映画や小説などへの没入時は、ある意味、コレと同じ。
特にゲームにおいては、自己の操作とキャラの操作が連動するので、
特にOBE的である。
MMORPGの長時間プレイヤーや、アクション系ゲームのプロゲーマーについては、ある意味、この【OBE的な自己拡張のスペシャリスト
と言えるかもしれない。

身体化の錯覚の研究では、暗示性の個人差を考慮しない限り、
関与するメカニズムについて具体的に語ることは困難である。

プラセボ薬アジュヴァントが、
薬学・生化学上、まったく効果を持たないはずなのに、
通常の薬品と同程度の効果が発揮されてしまうのも、
ある意味ではこの文脈と関係して、
生理的な免疫機構・自己再生機構の活性化を、
【暗示的な効果】によって強化している?

同時に、それは古代における、
様々な魔術的な治療行為、薬、呪文、神像、お守りなどとも関係して、
暗示効果を通した治療】とも言えて、
暗示効果を強く受ける人々に限定して言えば、
実験科学上もはっきりと【治療行為】とも言える?

いかにしてに暗示効果を高めるのか」という観点において、
神像や、神・聖者という概念古代語による複雑で難解な呪文、
厳めしく視覚的・聴覚的な特異性のある儀式
などが、
効率的に暗示へ寄与するため、
【治療効果を高めよう】とすればするほど【神秘主義化】しやすい?


ワイングラスの知覚を引き起こす光波は、
グラスそのものから発せられる(反射される)が、
他人の精神状態についての感覚情報は、
表情・身振り・手振り・発話など、
多くの中間過程を経なければならず、
【それぞれの段階毎に】推定が外れる機会が新たに生まれる。

社会的予測誤差を最小化しようとする。

→なので、各段階の【全て】において、
正確な推定が出来る可能性というのは、
中間過程が多ければ多いほど
感覚情報が少なかったり・曖昧・多面的であったりするほど、
限りなく低くなっていく。

あなたの精神状態に関する、【私の最良モデル】には、
【あなたが】私の精神状態をどのようにモデル化しているか、
というモデルも含まれ、高度な相互作用を意味する。
このような意味で、
私たちは他者の心を通して、自分自身を屈折した形で知覚している。

社会的に【入れ子状態】になった予測的知覚。

→プロジェクティッドリアリティによって構成された、
主観的な【固有世界のみ】が、唯一知覚可能であり、
外部からの刺激に対する反応というのは、
客観的・物理的な刺激による情報量よりもむしろ、
自身が持っているプロジェクティッドリアリティ
に由来する情報量の方が多く

それにより【Aさんが ”主観的に感じる” ”客観的な” 物事・世界
というのは、必ずプロジェクティッドリアリティによる
歪みの影響を受ける。

この意味で、Aさんが物事・世界をどういう風に解釈したか
ということは、
Aさんが持っている精神状態・心理構造・プロジェクティッドリアリティを説明していて、超次元ロールシャッハテストとして機能するので、
ありとあらゆる物事が、自分自身についての反射・鏡であり、
世界そのものを見ることと、
自分自身を見ることが等価ということになる。

この意味でも、客観的な世界というものについて、
たとえ(個性を無視した)【統計的な意味】はあっても
n=1としての、個々人にとっては実務上の意味はなく
個々人にとっては主観的な【固有世界】しか存在せず
それは自分がどのような情報量を入手し、保持し続けて
あるいは消去し、入手しなかった、探索しなかったのか
ということの現れでもあり、
情報幾何空間中での移動【経路】・運動の【履歴】(連続性)として、
数学的にモデリングすることが可能で、ある意味、
宇宙の銀河を流れていく彗星、流星、客星のようなものでもある。

→この意味でも、カルロ・ロヴェッリ博士がいう、
【世界は関係で出来ている】、というのは、
最もミクロな物理学においても、
相互作用・量子相関・エンタングルメント(結束) によって、
初めて物理系として意味をもち、
純粋な孤立系かつ単一系を考えるときには、
そこには何の物理量も、一切の意味を持たず
存在というものの定義すら不可能ということであり、
2つ以上の異なる物事があって、
初めてそこに世界・物事というものが成立する、ということでもある。

わたしたちが物事を見るとき目にしているのは、
物事の有り様【ではなく】、【私たち自身の有り様である。
by アナイス・ニン。

自己の主観的安定性、連続性の知覚。
変化盲に代表されるように、【ゆっくりと変化する物事は、
【変化についての経験】を喚起しない。
自己に対する知覚も同じ。

本来、私たちは常に変化し続けて
以前とは異なる人間になり続けている。
私たちの、自身に対する知覚は絶えず変化し続けている。
この章を読み始めたときとでは、
あなたは少し違う人間になっている。
しかし、その変化を知覚・経験しているわけではない。
(また、自分の連続性が失われるわけでもない)
これは自己が、不変の実体(※アートマン)であるという、
誤った直感を助長してしまう。

私たちは、自分を【知るために自分を知覚するのではなく
自分を【制御するために自分を知覚するのである。

視覚のような外受容の知覚様式に比べて、
内受容的な信号は、測定も操作も難しいため、
内受容的な推定を実験的に検証することは困難である。

→内受容的な信号は、機械学習の文脈における、
「隠れ層」
(直接操作・アクセス不能なレイヤー) 、に相当する。

クオリア意識というものも、このような隠れ層を扱うので、
実験科学としてはかなり難しい(あくまでも、
実験科学的には外受容のみの検証しか出来ないため。
外受容のデータから、内受容の構造を探っても、
どこまで行っても最尤推定でしかないため
客観的な証拠というより、統計的な傾向性に過ぎない

このとき、人間の多様性
プロジェクティッドリアリティの複雑さ・膨大な交絡要因の存在によって、傾向性を求めることが難しくなる
【i.i.d.なパラメータが少なく、膨大や交互作用や、
順序依存性・条件付き確率の連鎖などの、
文脈依存性からの寄与率のほうが
個々のパラメータからの寄与率よりも、遥かに大きい】)。

知覚的経験の性質は、対応する予測の標的だけでなく、
なされる予測の【種類】にも依存する。

物事を【発見(五感で【受動的に感知)することを目的とした予測と、
物事を【制御】する(【能動的に変化させる)ことを目的とした予測では、
異なる現象性を持つことになる。

→なので、情報量や、クオリアというものは、必ず【ベクトル】つまり、【複数の次元軸】に対して、それぞれのスカラーを持っている
と考えた方が自然。
単なるスカラーではなくどのような次元軸なのか
というのが重要(そして、その次元軸の間の相対的な比率・示強変数として、どの程度の寄与率を持っているのか)。

アフォーダンス、知覚制御理論

→これもプロジェクティッドリアリティ。
例えば、紙幣というプロジェクティッドリアリティを持たない部族には、
それが社会的・経済的な意味を持たないのと同じで、
心理学・社会学・経済学などの
高次元の学術レイヤー(応用統計学など)においては、
客観的・物理的な物事の性質からの寄与率よりも、
【個人差が大きい】どのようなプロジェクティッドリアリティを持っているのか、からの方が寄与率が高い。

脳神経系を生物が持つのは、【生き続ける(存在し続ける)】ことを、
【助ける】ことである。

→ナーサディーヤスークタで、tad ekam prena、
存在し続けることを助ける
(エネルギー保存則・情報量保存則)のが、神さまで、
 それ以外はすべて、ヤルダバオト体のこと。
※生物も常時変化し続けているので、
 ある生物が死滅して、生分解されて、
 別の動植物の元素やエネルギーとして取り込まれても、
  保存則があるので、エネルギー的にも物質的にも情報量的にも、
  存在し続けている。
ただし【人間の価値観・世界観・認知の限界】からは、
もはやそのことを【存在している / 生きている】とは定義しない
というだけ。

アロスタシス、ホメオスタシス

→動的平衡系(開放系)

私たちは、徹頭徹尾、意識的な動物機械・予測機械なのである。

→ますます無機物と生命の境界が無くなる

自己変化盲が示唆される。

→【テセウスの船】でもあり、ミクロパラメータと
マクロパラメータの間の
独立性・粗視化スケールの度合(擬似温度)でもある?

マクロな人間と、ミクロなヒト細胞(これも一つの生命)の間も、
基本的にはi.i.d.で、レイヤー間のインターフェイスを通してのみ、
相互作用
する?

同時に、何らかの集団・組織、法人、国家、民族などについても、
同様に、マクロなソレと、ミクロな個々人との間もi.i.d.になりやすく、
マクロなソレもホメオスタシスを持ち、
自己維持・生存のために、
ミクロな人間の新陳代謝や、
マクロなソレに従わないミクロ系(つまりガン細胞。~~oma)に対するのアポトーシス・免疫反応のシステムを内蔵
することになる?

【マクロなソレ】のことを、「エンキとワールドオーダー」という神話になぞらえて、「世界秩序」「世界観」「法律・社会的常識」「天則・天理・天道」などと、様々な呼称・シニフィアンで表現してもいい。

そういう(アポトーシス・免疫反応)システムを持つ集団の方が、
長期的に存在し続ける可能性が高い(ホメオスタシスがよく機能する)

同様に、様々なマクロな集団から成る、「超マクロ」な系もあり、
無限後退問題、マトリョーシカになっていて、
太陽系というマクロ系を考えたり、
全宇宙というマクロ系を考えることも、理論上は可能

ただし、「マクロな人間」の視点からは、自己変化盲によって、
個々の「ミクロなヒト細胞」について知覚できないように、
「マクロな宇宙・地球・国家・組織・集団」にとって、
ミクロな人間のことについては「自己変化盲」によって知覚できないし、
ミクロなヒト細胞」が、「マクロなヒト」を知覚出来ないように、
「ミクロな人間」もまた、【生命としての】「マクロな集団」を
原理的に知覚出来ない?

この主観的な安定性を補完するように、私たちはほとんどの場合、
自分自身を【現実的なもの】であると知覚している。

→そこから、主観的な固有世界・プロジェクティッドリアリティ、ItFromQubit、情報物理学・情報幾何学、関係性のみの世界、
色即是空、十二支縁起の世界ということなる?

離人症では、現実性がひどく減衰したり、消滅したりすることさえある

私たちは認識するためのコンピュータではなく
感じるための機械なのである。

→なので、マインドフルネス、イマココ、と世間で言われている

自由エネルギー原理(FEP)

自由エネルギーは情報量(ネゲントロピー)と可換なので、
情報量についての変分原理とも言える。

なのでノーベル賞のように、統計力学的機械学習という話や、
情報幾何学・情報物理学という話であり、システム生物学でもある。

一番面白いのが「自由」というネーミング・名付け・命名で、
アートマンの話が触れられているように、
ヴェーダにおいて【世界の起源はアディティさま
(自由の女神、無拘束の女神)とされているところで、
神話と【科学】が【同じ原点:自由・エネルギー】を持っている
ことになる。

何かが存在するということは、
それと、それ以外間に、違い・境界があるということでもある。
もし境界がなければ、ものは存在せず、何も無いことになる。

自己情報量の定義そのもの。
言語・記号による「識別・分別」の機能・作用のこと。
なので、ヴェーダ(ヴァーチェ)でも、
メソポタミア(イナンナ)でも、
エジプト(イシス)でも、
【初めに言葉があった】
【誰も神の姿を見ない。言葉の中にのみ存在する】
と言われる?

同時にそれが、数学や自然言語などの、【言葉】を使うことで、
様々な異なる状態言語的ラベリング(シニフィアンを与える)
命名・名付けすることで、
境界・違い・区別・識別・自己情報量が生まれるので、
アディティ=ヴァーチェさまのように、
言葉によって世界が生まれるというのは、
言葉によって識別・【境界】が生まれることによって、
初めて【存在】が可能になる
つまり、【相対的な関係性によって、【存在】が定義される。

変化速度がゆっくりしているので、
物事が散逸している間も存在しているものと、
【認識】できる(※錯覚している)に過ぎない。

変化盲と同じで、ある物事が存在しているか、していないか
という【認識】は、【粗視化スケール(疑似温度)】に依存して変化する。
客観的な物理系は常に変化し続けているが、
主観的な世界・プロジェクティッドリアリティは、
【認識】の仕方・解釈の仕方に強く依存する。

また、散逸だけでなく、水素ガスから星が出来たように、
天文学スケールにおいては、散逸速度よりも、
重力による凝集速度の方が早いので、
ある意味、復元力として作用する。

重力の中身はエンタングルメント・量子相関・相互情報量なので、
結局、相対的な関係性であり、因縁・因果であり、
類は友を呼ぶ(万有引力)、でもある。

一般的に生きているとは見なされないが、
それでも積極的に同一性を維持しているように見える
魅力的な【境界】例
がいくつかある。
竜巻や渦を考えればよい。

→これらのことを、暴風雨の神と呼ぶ、
つまり言語ラベル(シニフィアン)を変更して、
【認知】【識別】、プロジェクティッドリアリティを変更する
のであれば、アニミズムと同じ帰結になる?
なので汎心論でもあり、汎神論でもある?

生物は低エントロピー状態(※高情報量)を維持していることになる。
維持エントロピー(Housekeeping Entropy)
これも「自由」エネルギーのネーミングと同じで、なぜか
「Housekeep:主婦」というネーミングになっていて、太古の女神の起源家庭の女神・の女神・料理{"生命" "力"}の女神)の系譜を引いている。

数式をいじった結果、自由エネルギーは感覚の予測誤差と同じものであることがわかった。
予測誤差を最小化するとき、自由エネルギーも最小化している。
つまり、生命システムは、予測のためのモデル(確率分布)を持っている。

予測誤差が、推定分布と母確率分布の差のことなら、
カルバック・ライブラー情報量でもある?

→常に確率過程による、ベイズ推定的な、
 条件付き確率分布(周辺分布)の【更新】が行われるので、
 これは情報幾何空間中での移動【力学的な運動】と同じこと。

同時に、確率過程における、カルバック・ライブラー情報量の非負性により、時間の流れが逆行しないことがわかる。

*順過程での確率遷移でも、逆過程での確率遷移でも、
カルバック・ライブラー情報量は常に非負なので、
物理状態が巻き戻っていったとしても、
時間(カルバックライブラー情報量の累積値)
が巻き戻っている訳では無い。

自由エネルギー原理(FEP)は、動物機械論を物理学の岩盤に、
生きているということが何を意味するか
に関連する物理学に根拠を置いている。

生きたままでいたい(※存在し続けたい)、という欲動
は、統計的に予期される状態にとどまって(※維持エントロピー)
エントロピー増大則の執拗な引力に耐える(※散逸しないようにする)
というより根本的な命令(※生存本能=維持エントロピー)
として再浮上する。

ノーベル物理学賞での、統計力学的機械学習とも繋がっている。

変分自由エネルギー

→これも変分原理の一種なので、最小作用の原理でもあり、
エントロピーとネゲントロピー/情報量は、正負の符合が逆なので、
エントロピー増大則・情報熱力学第二法則と同じ

情報熱力学第二法則による過剰エントロピー生成の速度と、
重力・万有引力によるエンタングルメント・量子相関・相互情報量の生成速度の【どちらが早いのか】、という問題にも繋がる。

生命だけ見れば、前者が早く見えるが、
 天体の生成過程を見れば、後者の方が早く見える。
つまり電磁相互作用が主のときは前者が早く
重力が主のときは後者が早くなる?

本当に必要なのは、【今】の自由エネルギーだけでなく
【未来の】自由エネルギーを最小にすることである。

あることをしたら、【次】はどうなるだろうか、
ということについての不確実性を減らしてくれる
新しい感覚データ(情報量)を、【今】
探し求める必要があることがわかる。

自由エネルギー原理は、これを【定量化】するのに役立つ。

→やっていることは、統計力学的機械学習や、量子コンピュータとまったく同じで、無機物と生命の境界が消滅する。

FEPとIIT、両者がすれ違うのも無理はない。

It From Qubit情報物理学、情報幾何学として、
【先】情報量・エントロピーが存在していて、
確率統計という概念の方が、【後】なっている、
と考えれば、(決定論に対する「無知」を前提とする古典確率ではなく)
量子確率における、たった一回の測定に対する確率分布
というものの意味※
考える必要がなくなるので、その意味でも便利?

-------
決定論ではないのに、たった1回の試行・データについて、
本来は「確率統計」の概念は、適用範囲外であるにもかかわらず、
自然界においては「たった1回の試行・データ」について、
何らかの可換測量が、現実に入手できてしまう。
しかもそれは「決定論」ではない。

確率統計においては「確率による 【統計的】 な傾向」についてのみしか説明せず、たった1回の試行において、どの確率事象が選択されるのか、については一切答えない。
-------

それが情報幾何によって、位相幾何構造を持ち
その構造がIITを特徴づける(物性物理において、
どのような元素が含まれているかというよりも、
それがどのような 【構造】 をなしているのかの方が
物性への寄与率】 として大きくなる、ということと同じ。
[炭素ガス、炭素鎖、ベンゼン環、グラファイト、
フラーレン、ダイアモンド、全て 【炭素のみ】 で出来ているが、
物性はそれぞれの「組み合わせ方 / 構造情報 / 位相幾何」
によって異なる。
「炭素」という【元素そのもの】の性質よりも、
「組み合わせ方(統計学的な交互作用項)」のほうが重要。
])

ハードプロブレムの検証対象が、
隠れ層であり、直接測定が不可能な量であっても、
可観測なレイヤーの変化特性について調べた結果、
隠れ層が存在していなければ、その結果が説明できない」
とき、【背理法】的に隠れ層の存在
つまりハードプロブレムの意識は(おそらく)存在する可能性が非常に高い、というのが、実験科学的な【最尤推定としての限界】で、
そこから先は、【検証不能な科学哲学】の範囲になってしまうので、
単なる宗教論争、思想の表明、芸術の発露ということになる?

もし決定論が誤りだったとしても

【もし】ではなくマーミンの魔方陣、GHZ状態、隠れた変数理論の否定、によって既に決定論は物理学・量子力学的に、明確に否定されている。

量子系と古典系の境界についても、
メゾスコピック系や量子コンピュータなどによって、
境界が本質的には存在しないことが明らかになりつつある。

なので、フォン・ノイマン鎖の終端としての意識
自由意志、という話へ接続している。

確率分布を確率過程的に【遷移】させる、または、
確率分布から【一つ】の確率事象を【選択】する、または、
確率分布を【デルタ関数】状態・【偏差が0】の正規分布へ変換させる
そのような【機能】のことを、【意識・自由意志】と呼ぶ
(言語ラベル・シニフィアンとして、命名・名付ける、定義する)。

同時に、これらは全て情報量・ネゲントロピーの移動・増減であるので、
意識・自由意志も、(スカラーではなく、ベクトルを持つ)
【情報量の集合体】であり、IITと似た話になる。

自由意志について言えば、物事の【見え方】が必ずしも、
物事の【本当のあり方ではない】というだけでなく、
物事が【どのように見えるのか】について、もっとよく調べる必要がある。

→なので、防衛機制、認知の歪み、スキーマ、
プロジェクティッドリアリティ、クオリア構造などの
主観的な【固有世界】について、調べる
ことになる。

機能主義

→ItFromQubit,情報物理学の観点からすれば、
万物は例外なく情報処理系なので、
機能主義として系を区別することしか、原理的にできない。

実験科学が、科学の前提である現代社会限定して言えば、
実験による入出力の相関を調べることになるので、
言語の定義上、必ず機能主義になる。

意識、無意識、知性

数学的なモデリングとして、どのようなものを想定しているのか?
どれも確率分布として扱うなら、
数学的にこれらを区別出来ないので、
結局全て情報処理系なので、
科学としては区別することに意味がなく
そこをあえて区別するのは、もはや科学ではなく
単なる哲学・芸術・信仰・趣味の問題?

既に量子コンピュータがあって、
それが物理系の完全なシミュレーターである以上、
人間を含めた万物は、物理学的には量子コンピュータと何ら変わらないので、実験科学的には区別不能なのでは?

それらの中には、位相幾何情報も含まれるので、
その位相幾何情報の種類に応じて、
人間的な位相幾何情報(IIT,クオリア構造を含めて)を持っている量子系である、動物的、植物的、無機物的な位相幾何をもつ量子系である、
という結論?

シリコン製の動物機械・ロボット

ロボットのように一日をルーティンで過ごすような人間と、
 どのように、実験科学的に区別する?

ネイサンによるチューリングテストの変更(ガーランドテスト)は、
機械に対するテストではなく【人間】に対するテストなのだ。

→これも、テスト対象の人間が
どのようなプロジェクティッドリアリティを持っているのか
という超次元ロールシャッハテストの一種として機能している?

不気味の谷

VRアバターや、Vtuberなどのように、全くリアルからかけ離れていても人間的に感じるので、あまり不気味の谷については重要ではない?

あるいは、リアル寄りになり過ぎると、
【"生気"  のない人間 = 死体のように感じて
それが 【生きているかのように振る舞う】 ので、
【ゾンビ的な恐怖】を、心理学的に感じやすい?

顔画像のAI生成

変化盲があることによって、連続性を認識できるのと同じで、
微小な差異があっても、マクロな傾向として、人間に似ていれば
変化盲によって人間であるように知覚できる

そうでなければしばらく会わなかった人間のことを、
完全に別人であるかのように知覚してしまい、
社会生活が成り立たなくなる?

フィルターバブル、エコーチェンバー

→これも認知の歪み、認知バイアス、スキーマ、防衛機制、プロジェクティッドリアリティで、【行動薬の投与による治療対象

どんな道具・概念も 【使い手の心根】 次第なので、
良性ミームだけのフィルターバブルやエコーチェンバー
恣意的・自主的に形成することで、
逆に「行動薬」として活用することもできる。

毒」と「薬」は似たようなものなのと同じ。
使い方、活かし方、生かし方次第。

経験が物理的な基盤から生まれることは広く認められている

→ItFromQubitの世界観においては、可観測な物理量でさえも、
本質的には情報量になっている
(量子確率分布についての、確率過程における、
カルバック・ライブラー情報量)ので、
物理というものがそもそも存在しない
(単なる情報幾何空間の、いくつかのミクロな、
 数学的なパラメータに過ぎない)。

より正確には、物理量と情報量を区別することが出来ない

これは、フォン・ノイマン鎖の終端としての意識
についての問題でもあり、
その意識に対して、可観測な情報量を提供する「五感」についての認知科学・脳神経学としての問題でもある
(つまり、神経系や脳の各部位によって、
情報処理された後の情報量しか認知することしか、原理的に出来ない)
無機物である測定器を用いても、その測定器自身を、生命である自分・意識が測定するので、無限後退問題

なぜ物理的な処理が、豊かな内面を生み出すのか?

→上の通りに考えるなら、最初から最後まで、情報量の移動、しか存在していないので、物理・内面、ともに単なる情報量の集合なので、何ら不思議はなく、自明である。 
物理・内面というシニフィアンの違いはあっても、
それが指し示しているシニフィエは「情報量」のことなので、
単なる国語のエラー

意識的経験のあれこれのタイプの間相関関係を同定することから始める

クオリア構造学と、各層の間のインターフェイス・相関関係の調査でもある。
ただし、プロジェクティッドリアリティの多様性、十人十色からすると、
統計的な傾向性というものがどの程度有効なのかはかなり不明瞭。
(マクロなパラメータの間に、統計学的な交互作用項の寄与率が高く
i.i.d.と見做せないのであれば、個体差・個性の影響が強く
統計性の前提である、同一の母集団からのサンプリングを満たさない
[全く異なる母集団から一つずつサンプリングしたものに対して、
 統計的分析をすることに、確率統計理論上での【意味】
 本当に存在するのか?
調査対象が「同じホモサピエンス」という母集団的についての、統計的な傾向性については、少なくとも判明する?
それに対して「同じ日本人」のようなレイヤーでは、
「同一の母集団」とは見なせないレベルでの、統計的性質の異なり
が存在する可能性もある?])

意識的な経験のすべては一種の知覚であり、

→なので、ItFromQubit、すべては情報量

すべての 【知覚】 は、
一種の 【制御
】 された/する 
【幻覚
】 である

→プロジェクションサイエンスの文脈での、
 プロジェクティッドリアリティ。

この考え方が、どこまで私たちを連れて行ってくれるか

主観的な【固有世界】のみの実存性

可観測・実測により得られた
【個人ごとに異なる、有限な】情報量の集合と、
それに対する【解釈(情報処理の傾向性)】が、
プロジェクティッドリアリティを構成し、
それを通じて、客観的な世界を、
主観的な【固有世界】として知覚・幻覚する。

全く同一の物理現象を知覚していても、
個人ごとに異なるプロジェクティッドリアリティを持っているのて、
個人ごとに異なった、主観的な【固有世界】を体験・幻覚している。

【自分である】という制御された幻覚が、
最終的に無に帰したとき(つまり死ぬとき)、
私たち一人一人が、一度は出てきた永遠への回帰であるような時になる。

→グノーシス、エイオーン/アイオーン。


 2012年、英国の社会学者ダミアン・ミルトン氏が
「二重共感問題」を提唱した。
これは、コミュニケーションがうまくいかないのは
それぞれの経験が異なるからであり、
世界を同じように体験する人同士の方が、うまく交流できる
可能性が高いとするものだ。

→これも、個人ごとの主観的な固有世界
プロジェクティッドリアリティの「違い」であって、
あまりにも「違い」に差がありすぎると、
同じ世界に住んでいるとは感じにくくなり、
共感性よりも「異物」「見知らぬ人」という「警戒心」「不安」
の方が引き起こされて、「闘争逃走反応」優位に傾きやすく、
そのため、コミュニケーションにおいても
(心理的に)開放的ではなく、閉鎖的になりがちで、
それ自体によってさらに、コミュニケーション不全へ傾いていく
というスパイラルが形成されやすい?

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