バスの運転手になりたかった幼少期
こんばんは、ジャッコです。
今回は幼少時代の夢を語ろうと思います。トレンドマイクロ社が「もしも叶うなら」というタグでキャンペーンを実施されていると言う事で、便乗してみました。ウイルスソフトでお世話になっておりますので。尚、文章力が全く無いので賞は狙ってないです。
自分の田舎は、現在ほどではないですがバスの運行が盛んでした。しかし、各家庭が自家用車を持つ時代となり、バスの運行も減り、一部観光地や病院に行くためのバスが1時間に1本走ってるくらいです。
幼い頃の話。祖母と一緒に親戚の家(祖母の妹さん)に行くとき、隣の市に行く時が何度もありました。その時にバスでいつも一緒に行っていました。
乗っていていつも思っていたのは、あんなに人を乗せる乗り物で、大きくてかっこいいなぁと感じていました。いつも運転手の後ろに乗って、運転している姿を見ていました。
これは祖母から聞いた話で自分は覚えていないのですが、運転手のマネをしてハンドルを回す姿やMT車だったのでギアチェンジのマネなどをしてました。危ないのでやめてくれと運転手に怒られたそうです。
そんな記憶は自分は覚えてないのですが、マネする事をやめても、やっぱり運転手の後ろに乗って、「このスイッチを入れて次の停留所のアナウンスをしてるのか」とか、当時は切符制のバスですので、料金支払いの様子をじっくり観察したりなどなど…色々観察していたのは覚えてます。
地元は今でも街を周回するバスは定額制なのですが、一部ではまだ切符制だったりします。
幼稚園で「将来の夢は何?」と聞かれたら「バスの運転手」と答えていました。
小学生とかに上がっていくとその夢を言うのもちょっと恥ずかしくなり、適当にプロ野球選手などと言ってました(野球なんてやってませんでした)。
実は現在の就活でも、バスの運転手を考えました。しかし、自分には無理なのが分かりました。
近視が酷く、応募基準に達しないから無理だったのです。現在、都営バスの運転手募集の広告を駅で見て、指を咥えて「応募したいなぁ」とは思いました…残念。
今の時代、レーシックで手術もありますがそこまでしてなりたいか…と、考えると…やらなくてもいいかなと諦めました。
ただ、プロとしての運転手は無理だとしても、免許は取れると思いますので、それは将来、落ち着いたら取得したいと考えております。
たまにバスを利用してますが、40過ぎてもあの大きな乗り物を運転している姿はかっこいいなと感じてます。
もし、自分の近視などのリスクが無ければ履歴書と職務経歴書を提出して面接を受けていたと思います。
勤務は早朝から夜中までとか、長距離バスなど様々ですが、自分は同じルートを周回する運転手になって、乗車された人の目的地に送りたいと言う気持ちが大きいです。
今はバス会社に入社が決定すると、そこでバス運転手になるための免許取得までの支援をしてくれるそうですね。世の中、良い対応になってますね。
この仕事に従事されてる皆様、色々と大変かと思いますが、本当に羨ましく思いながら敬意を表します。
もしかしたらメガネやコンタクトレンズでの矯正視力で良いのなら、なってみたい職業の1つでした。
そして、欲を言うなら田舎を走る路線バスの運転手になりたかったなぁ…まず、田舎でのバスの本数も減ってる状況ですので難しいですね…
そんな感じで、もしも叶うならやってみたい職業の1つを語ってみました。
以上です。最後まで読んでくださりありがとうございました。