見捨てられる「パレスチナ」
ネタニヤフ首相が西岸のほぼ30%の一方的な併合を7月1日にも宣言する、と言われており、世界で反対の声が上がっている。それは、国際法と国連諸決議に明白に違反する行為であるが、米国福音派とユダヤロビーはこれを支持しているので、トランプ政権も後押しをする可能性がある。宣言されれば、アラブ諸国はいつものように非難の声明を出すであろうが、かといって何かをするわけでもない。パレスチナ人は放置されたままだ。この問題に直接言及したものではないが、以下は、関係する8年前に書いた小職のコメントである。これを発表したら、ある日本人女性に「ここに裏切り者がいる」とその人のFacebookで顔写真付きで指名手配された苦い記憶がある。私が「パレスチナの大義」を裏切っているように聞こえるかもしれないが、「パレスチナ人」の真の福利を考えたら、何でも反対、と言って寝ていれば済むことではない。
文末の太字は今回書き足した。「global middle east」シリーズ(No. 008)
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ブログ「global middle east」(2012.11.25)
イスラエルを支持する理由
この風刺画(下記)は、先週alquds alarabi紙に掲載されていたもので、掘り出されたアラファト議長の骸骨が「そろそろエルサレムに移してもらってもいいんだが!」と言っている。私は、1991年にアルジェで開かれたPNC(パレスチナ国民評議会)に日本政府オブザーバーとして出席し、ご本人が演説で「パレスチナ人は生きて住む家なく、死して埋葬される場所なし」と絶叫するのを聞いた。
その2年後、アラファト議長率いるPLOはチュニスにおける米国との公式対話などを経て、オスロ合意を達成、ガザ・エリコの先行統治(自治政府樹立)が始まった。「初めて領土を持ったパレスチナ人の国が独立する…」、それはそれは大きな期待に内外のパレスチナ人が包まれ、世界が注目した。しかし、5年を目処に合意するはずだった移行のための交渉はイスラエル側のサボタージュで遅々として進まず、しびれを切らせたパレスチナ住民の間に、武装闘争(「抵抗」と呼ぶ)への回帰を主張するハマスへの支持が広がった。ハマスとは、その正式名:イスラム抵抗運動の頭文字である。
2004年、アラファト議長は失意のうちに病死、パリから帰ってきた遺体はラーマッラの自治政府本部の庭先に埋葬された。冒頭の写真がアラファト議長の墓碑で、2009年に訪問したときにお参りし、私のスマホで撮ったものだ。
没後8周忌、オスロ合意から数えては何と19年が経過した。放射性物質ポロニウムで暗殺された疑いが濃いとのことで議長の遺骸が掘り返されているちょうどそのとき、ハマスの人質となったガザの子どもたちはイスラエル軍の爆撃で文字通り虐殺され、多数の「裏切り者」パレスチナ人はハマスの手によって「市内引きずり回しの刑」に処せられ、遺体は晒しものにされた。
私は、問題の所在を直視しない、ムードだけのばかげたパレスチナ支援運動を支持しない。理由は簡単で、武装闘争路線を放棄して、侵略されない安全な領土を勝ち取ることがパレスチナ人のためになるのに、その問題を解決せずして停戦だけしても、明日はまた死人が出るだけで、パレスチナ人の生活は決して向上しないからである。しかし、ともすればこの立場を「イスラエル支持」と取られることがある。
私がイスラエルを支持する理由は、特にない。しかし、敢えて支持する理由を挙げるなら、イスラエルの独立以降に同国で生まれた人はもう老人になっており、その孫も大きくなって生活しているということだ。第ニ、第三世代のイスラエル人は、悪意を持って移住してきた人たちではない。爺さんが泥棒した土地に住んでいるのだから出て行け、と言われたり、突然ミサイルが降ってきたら、自ら身の安全を守りたいと思うのは当然だろう。それに出ていくにしても、世界中どこも彼らには住み心地が悪い。
この事情、実はパレスチナ人も同じことである。ならば、話し合って、お互いに折り合いをつける以外に解決方法がない。そのことを認め合い、合意をしたのだから、これを実現すればやがて平和はやってくる。しかし、安心できないなら、何百年経とうが交渉は成立しない。つまり、建設的な政治を妨げているのはハマスである。もちろん、その前に和平交渉をサボタージュしたイスラエルの歴代政権とアサド政権の方がより問題だとも言える。
問題だらけではあるが、まず、ガザ地区などという全く戦略的に無防備なところで武装する愚を直ちにやめてもらいたい。それはイスラエルを支持する理由にはならないが、そのように見えるなら、真の理由はそういうことである。
このコメントを書くこととなった私の重要体験は、ナザレでイスラエル・アラブ(イスラエル国籍を持つ「パレスチナ人」)の初老の男性に会ったことで、その話は「差別と生きる」で紹介した。逃げずに留まった結果、自分は「幸せだった」というパレスチナ人は、パレスチナの大義を信奉していない。他方で、大義のために命を捧げる人々は、殉教者なのかテロリストなのかの判断は別にして、現世に望みなく、天国の最上階を求めて殺人行為に及んでいる。
これを言うと、なぜ一人の殺人を非難して、イスラエル側の1000人の殺人を非難しないのか、と言われる。もちろん、イスラエルは1000倍非難されるべきだが、問題の本質は、パレスチナ人がひとりユダヤ人を殺すと、百倍返し、千倍返しがある、という現実を放置して何もしない国際社会にあるのではないか。
75年前、世の中にパレスチナ人と呼ばれる人はいなかった。イスラエルが独立し、そこから武力による威嚇で追い出されたアラブ人を周辺アラブ諸国が受け入れなかったため、土地の古称(パレスチナ)に因んでパレスチナ難民と呼ばれたのが始まりである。そのパレスチナ人に独立国家を与えよう、とイスラエルが合意し、世界もこぞって祝福したのが1993年オスロ合意だ。
この合意が実現すると、それがどれほど小国で制約の多い国であったとしても、イスラエルは過去の悪事が公認され、将来が危うくなる。そのために、20年以上にわたってネタニヤフ政権はこれをサボタージュしているのだ。
今、一部のアラブ諸国はイスラエルとの関係正常化に向けて突き進んでいる。パレスチナ人を見捨てるのだ。パレスチナ国家を見捨てる、というのであればそれはひとつの選択肢だが、その場合はアラブ諸国はパレスチナ人を受け入れなければならない。75年間現存し、今も艱難辛苦に耐えているパレスチナ人を見捨てることはできない。
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