選択の連続

生きていくっていうのは、連続で選択をしていく、っていうミッションだと思ってる。

選択っていうのは、思考、感情、行動といった、その時の自分が可能なこと全てを指す。
今、Aが良いと考えたのか、Bが良いと考えたのか、みたいなことも、選択。

で、今の選択が1分後の未来を作って、その1分後の選択で2分後の未来が決まって…って感じ。
もしかしたら1分後の選択が伏線になって3年後、10年後を決めるかもしれないし。

逆に、今は過去の選択の連続の上に出来上がってるとも言える。

自分が歩いた方向、歩いてきた先にしか、自分の人生は存在しない。

簡単に言えば、「なるようになるだけ」とも言える。
もうちょっというと、「なりたいようになるだけ」。

うん、シンプルだ。

で、最近思うのは、生きてて選択って沢山するけど、じつは大小が無いんじゃないかと思ってる。

過去に、これは大きな選択だなーって思ったことも、結局それまでの選択の積み上げの果てに出てきたものだから、それを大きな選択というなら、その選択を迫られる選択をした時こそが大きな選択なのでは?と。

ん?けどその選択を迫られる選択をするに至った理由は、そのまた過去にあったいくつかの選択によってそうなったような?と。

あれ?そうなると、極限まで考えていくと、ろくに記憶もない産まれた瞬間からやってた無意識の選択まで遡るのでは?と。

そう考えると全部大きな選択なような…
言い換えると、どれも大したことない選択なような?とも思える。

選択の大小を評価してるのも主観でしかないし、その価値観ですらその時その時の選択の上で培われた価値観だし。

もし、過去の選択のエピソードを人に話したとしたら、ある人はそんなの悩むほど大きな選択じゃないよ、というかもしれないし、ある人はよくそんな選択出来たなー、自分には出来ないわー、というかもしれない。

つまり、何するにしてもどうなったとしても、どれも正解で、どれも失敗ってことになる。
しかもその評価ですらこれからの選択によって捉え方が変わるっていうことになる。

行き着くところ、「なるようになるだけ」、「なりたいようになるだけ」。
自分がどう捉えるかだけのおはなし。

選択に困ったら、その時の自分が何をしたいのか、何をしたくないのか、どうしたいのか、どうなりたいのかっていう、ただただ単純な主観だけで決めてしまえば良いと分かる。

その選択をした後の未来からすれば、どうせ今の選択の事実は変えられないんだから、結果がどうなろうと、どう捉えるかだけのことでしかなくて。

たとえその未来から過去に戻って今をまた迎えても、戻った分の時間で選択したこともさっぱり無くなってるなら、何度繰り返したところで今の自分の価値観はおんなじ。
今日までしてきた選択の上に出来上がった自分、という状態で選択をすることは変わらない。

だから、後悔っていうのがあまりピンとこない。
過去は事実としてそこに突き刺さっている事は絶対的。
戻って動かそうとしても、同じ。

動かせるのって、なんだろう?

今から先の、自分しかないような?

失敗を後悔と捉えないような人間を作るのも、成功によって勘違いして周りを見れなくなる自分にならないようにするのも、これからの選択の連続で決まるだけ。

同じ選択の連続で成り立った人間は多分、いない。
(多分…)
人の数だけ辿ってきた選択の道があってその人を作ってる。
だから、それぞれの色があって、みんな違う。
そうなると、人自体を比べることの無意味さに、気づく。
同じ人を見ても人によって感じ方が違う以上、そもそも優劣なんてないから。
たまたまその時代にその価値観が少数派だっただけ、みたいなことは、歴史で沢山出てくる。

大昔からたくさんの人がたくさんの選択をして、今があるだけ。

突き詰めると、根底では全てフラットで、そこにいろんな種類の色がついてるだけ。

自分も、周りも。

それぞれの色があって楽しい。
それだけ。

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