見出し画像

感じるタイ語🇹🇭#30 一人称+α あるいは#31 「変形」「適応」

写真は今年のバンコクアートビエンナーレ(BAB)のタイ人アーティストThavikaさんの作品。girlsの無限の楽しさを表現した作品。至福でした。


一つ前のタイ語の一人称の話、書きながら、自分を名前呼びすることについても書きたくなっていました。

タイに来た頃、私は20代になったばかり。とは言え、自分のことは大人だと認識していたので、タイ人が自分を名前(ニックネーム)で呼んでいるのを認識した時の衝撃!
タイ人の友人が、「花子(仮)はさー」と友達と話しているのを、鼻白らむような気持ちで眺めていました。

とは言え!前の投稿↓

の通り、一般的な女性の一人称だとテキストで読んだฉันやดิฉันがどうも使われていないことに気づき、自分も自分を名前でよぶことに手を染めてしまいました😆


幼少時、私は自分を「〇〇ちゃん」と呼んでいました。安心できる環境の中で「〇〇ちゃんはね」って語れていた時代は、少し甘ったるく幸せな時間でした。小学校に上がって、友達の前で話をする時、その「〇〇ちゃん呼び」が子供っぽく、修正すべきものなんじゃないか!と感じた時、動揺しながら、先生に提出する作文の中で恐る恐る自分のことを「私」と呼び始めました。「〇〇ちゃんは、『私』じゃないんだけどなー。。」という違和感は感じながら。

小学3年生になった時に同じクラスになった友人が、一人称に「自分」や「うち」を使っていて、これは!「私」よりは自分自身っぽいんじゃないか!少なくとも当てはめられた感じは薄い!と一時期採用していましたが、いつの間にか「私」が自分自身に馴染んで来たので、なのかな、どんな一人称でも「〇〇ちゃん」の代わりになり得るんだなあ、という納得感がやってきたからなのか、いつの間にか普通に「私」を使うようになりました。

ということで、タイ語ライフが始まって、再び自分を「〇〇」と名前呼びするようになり、「〇〇ちゃん」呼びを手放した自分と和解したような感覚が実はありました。かつて自身の幼さゆえに自分で否定してしまった 子供っぽい私自身、の受容。

タイ語に関わらず、タイ生活の中で、「こんなことしたら幼すぎて恥ずかしいかしら」と折々に否定したり外部と合わせるために押し曲げてきた自分自身、それは言い換えると、人間の原初的な欲求と言えるかも知れないのですが、そういうものとの和解が少しずつもたらされたな〜、と思うことが多い、タイ生活有余年でございます。それはどこまでいっても私がタイではアウトサイダーであるからかも知れないのですが。

知らぬ間に自分を社会に求められる形に

แปลงรูป (pleang-ruup) プレァーンg・ループ 「変形する」

いや、
แปลงร่าง (pleang-raang) プレァーンg・ラーンg 「変身する」?

ดัดแปลง (dat-plaeng) ダット・プレァーンg 「適応する」?

どの語が適切かなー?

まあ、そこはまた考えるとして。。えーっと、仕切り直しまして。。

気づかぬ間に社会に求められ(ていると自分が感じ)た形に合わせて、自分自身を変形?変身?適応?させていた、ことに気づく機会でもありました、私にとってのタイ生活(あるいは日本から出たこと)は。


とは言え、やはり根っこは自分の原風景、日本社会の形、なので、いまだにタイ人マインドに易々と振り回されるんですけどね😆

いいなと思ったら応援しよう!

Utsa Labo✴︎ウツァラボ
ありがとうございます!励みに楽しみます!