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懐かしきシルクロードの旅

テレビ番組

私は今年で93歳、悠々自適の生活を送っている。現役だった頃、夜に観るテレビ番組は楽しみだった。特に1980年代NHKから流れてきた喜多郎の音楽で始まる「シルクロード」が大好きな番組だった。

オカリナの爽やかなメロディーが流れ、砂漠をラクダの隊商がゆっくり進むタイトル風景は異国情緒いっぱいで大いに魅了された。再放送や「シルクロード第2部」など、この番組を何度見たことだろうか。そしていつかはこの地を自分の足で踏んでみたいと思うようになっていた。

その機会が突然訪れた。知人の住職が三蔵法師の足跡を訪ねてシルクロード方面へ行くツアーを組んだのだ。このツアーは2回目だそうで、最初は長安方面だったようだ。それは29年前の平成8年(1996年)のことで、私もぜひ行きたいと参加を申し出た。

上海で記念撮影・後列右から4人目が筆者

ウルムチへ

8月、私たち一行10名は関西空港から上海に向かって飛び立った。ここで一日市内観光をして翌日に南西航空で新疆ウィグル自治区の首府ウルムチに向けて飛ぶのだ。飛行すること約5時間、市内のホテルに着いたのは真夜中で4時間遅れの到着だった。フロントで愚痴をこぼすと「お客さん、今夜のうちに着けたのはラッキーですよ」とのこと。遅延するのが当たり前の世界なのだ。

いよいよシルクロードの地だ。ウルムチはシルクロード北路の最大の都市で、天山山脈の北麓ジュンガル盆地の南端に位置し標高924メートルにある。ここの住民はウイグル族が主体で、イスラム教の信者が多く明らかに服装が違う。到着の翌日、私たちは現地のガイドに案内されて市内見学をする。

ウルムチの市場

まず向かったのは市場だ。特に目立つのは大きな麻袋いっぱい盛り上げた色とりどりの香辛料だ。色んなナッツ類も多く羊肉が丸ごと吊りさげられている。食品だけでなく色んな商品が並び活気を呈している。食器や色鮮やかな衣料それに絨毯も並んでいる。同行の友人達は現地の人が被っている帽子を買ったり孫に木製のおもちゃを選んだりしている。その後、絨毯の工房や玉の工芸品作業所などを見学する。

トルファンへ

翌日私たちは車で移動した。郊外に出てしばらく進むと舗装は途絶えて砂利道になった。巨大な風力発電機群に遭遇した。当時は日本でも未だ風力発電機は珍しい時期で、広大な面積に整然と並ぶ膨大な風車は圧巻の風景だった。

ウルムチ近郊の風車群

車はトルファンに向けて進む。道は荒れ石ころばかりの風景が延々と連なる。現地ガイドによるとここはタクラマカン砂漠の一部だと聞き驚いた。砂漠といえば細か砂山が連なる風景を想像するがこんな石ころだらけの土地も砂漠なのだ。途中家屋や緑が全く見当たらない。2時間おきに停車してネイチャーコールだ。ガイドは言う「風のある時は風に背を向けておしっこをしてください、でないと顔に飛沫がかかりますよ」と。これも辺境の旅のイイ思い出だった。

トルファンは古くからシルクロードのオアシスして人々が暮らしてきた町である。主にウイグル人が住むこの地は盆地で海抜0メートル以下であるため、北方の天山山脈からの雪解け水をカレーズ(地下水路)によって引いてくることで、生きるための資源を得てきた。水の引かれた場所は緑が茂っているが、年間降水量は20ミリにも満たないそうだ。砂漠気候のため、夏の気温は40度以上なのに冬はマイナスになるという生きていくのが大変な土地なのだ。トルファンを訪れた8月は焼けるような太陽が降り注いでいた。

ウイグル人の集落はカレーズに沿って形成されている。集落内ではカレーズが地上に出て道の側面を通り、その脇にはポプラが植えられ日影をつくる。また、強風が吹くこの地では、ポプラは防風・防砂林としての役割もあるのだ。

私たちはそこに暮らす農家へ案内された。門をくぐると一面ぶどう棚に覆われうっそうとしており薄暗く涼しい。その先に広場がありテーブルや椅子が並べられている。ここもぶどう棚に覆われており、食事や来客の接待それに手仕事など生活の大部分はここで過ごすようだ。私たちはそこでお茶を振る舞われぶどうをいただいた。ここはぶどう農家だったのだ。

トルファンの近郊には火焔山がある。砂岩が侵食してできた赤い地肌には、炎を思わせる模様ができている。標高は500メートルであり、長さ98キロメートル、幅9キロメートルにわたって横たわっている。西遊記で孫悟空が奮闘して火を吹く山を収めたというのが、この火焔山である。

私たちはここでカレーズの出口を見学した。石段を降りると地面がぽっかり穴が空いており冷たい水が流れ出している。近郊にある交河故城は紀元前2世紀に築かれた遺跡で、14世紀に戦火で焼け落ちたそうだ。また同じく高昌古城も見た。ここは紀元前1世紀の漢代から13世紀にモンゴル軍に滅ぼされるまで新疆の政治経済の中心地だったそうだ。ただこちらの遺跡は結構壊れており土の盛り上がりのような感じだった。いずれの遺跡も泥レンガを積み上げた建築だが雨の少ない土地のため現在でも遺跡として残っているのは凄いことだ。

交河故城

蘭州・へい霊寺石窟

次に向かったのは蘭州だった。甘粛省の中心地でシルクロードへ繋ぐ大都市だ。ここで市内観光をして翌日そばを流れる黄河を汽船に乗り上流へ進むのだ。お目当ては石仏だ。船内は中国人観光客ばかりで国外からは私たちだけだった。片道約5時間の旅で途中に船内で調理した丼一杯の蘭州牛肉麺だった。

へい霊寺石窟は文献によれば、最初の岩屋は西秦の末期西暦420年頃から作られ歴代の王朝時代に拡張され何世紀にもわたって、地震・浸食・略奪者が石窟や内部の芸術的な宝物の多くを損壊・破壊してきた。現在では183の石窟、694体の石像、82の粘土彫刻が残っているそうだ。一番大きな石像は弥勒菩薩で、高さ27メートルもある巨大なもので間近で見るとその迫力に圧倒された。幾つかの洞窟内にも入ることができ、近代的な道具がない時代に作られた石窟や石像に当時の人達のエネルギーに深い感銘を受けた。

へい霊寺の巨大な弥勒菩薩

旅の感想

帰りは蘭州から北京へ飛んだ。眼下に見える風景は赤ちゃけた大地が延々と続く。所々の山肌に僅かな緑があるとそこに白いものが点々と見える。よく見ると羊を放牧しているのだ。こんな原野にも住んでいる人がいることを知り、人間のたくましさに感心する。都市に近づいてやっと緑が見えるとホッとしたものだ。

私たちが訪れた頃はシルクロードまで観光に行く人が稀で、砂漠を移動中に日本のテレビ撮影クルーと出会った。和歌山から観光に来たと告げるとよくもまあこんな僻地までと感心された。そんな時代だったのだ。現地の状況はまだ素朴そのものだった。特にトイレは劣悪でドアのないことが多く、田舎では穴を掘りその両側に煉瓦を置いただけの所もあった。しかし、今となってはこれも旅の醍醐味で、懐かしい思い出となっている。

#シルクロード #シニア #ジジー #思い出 #旅

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