第十五章 禁忌と命脈(二)
自分と真尋の血は、たしかに繋がっていた。だが、その繋がりの実態を知って、雛姫は愕然とした。
姉妹であり、従姉妹でもある巫部の血筋が、御堂の直系と二世代にわたり複雑に関係し、近親交配を重ねた結果、誕生した生命。
難しすぎてよくわからないながらも、母であって欲しかった牧江が、実の母ではないことだけはこれではっきりした。
巫部側で巧妙な養子縁組を重ねた結果、互いの血の繋がりを知らぬまま夫婦となった宗佑と牧江。牧江は、それでもたしかに宗佑の正式な妻だった。では、その妻が己の異母姉であり、なおかつ、宗佑もまた異母兄であると知りながら、姉の夫であり兄でもある男と関係した美姫は――そして、そのふたりのあいだに生まれてしまった自分は……。
「雛……」
躊躇いがちに差し伸べられた真尋の手を、雛姫は我知らず振り払っていた。
「……嘘つき。雛は、お父さんとお母さんの子で、ヒロ兄の妹だって言ったくせに」
「嘘じゃない。おまえは俺の――」
「いやっ、触らないで!」
自分でも驚くほど大きな声で雛姫は叫んでいた。ビクッと顫(ふる)えた真尋は、それ以上雛姫に近づくことができなくなり、その場に立ち竦んだ。
真尋の顔を見ればわかる。雛姫がたったいま見てきた過去を、真尋もまた、おなじように見てきたのだということを。
兄はすべてを知っていた。そしていま、自分がその真実を知ってしまったことに戸惑いをおぼえ、その結果味わったであろう衝撃と、負ってしまった傷を思って心を痛めている。
真実が知りたい。ありのままを教えて欲しい。
望んだのは自分だったはずなのに、その望みを叶えた波子に、雛姫は理不尽な怒りをおぼえた。そしてそれ以上に、こんなにも大事なことを知りながら、それをたったひとりの胸に抱えこんで秘密にしてきた真尋にも。
なぜ。どうして……。
疑問と不審が小さな心の中に渦巻いて蟠(わだかま)り、捌け口を求めて兄への恨みとなって噴出する。
「こんなのってない。ヒロ兄、なんのために雛をこんなとこまで連れてきたの? 雛は、あのアパートでヒロ兄とふたりで暮らしていけたら、それで充分だったのに。酷い、ヒロ兄。いままでずっと黙って隠してきたくせに、いきなりこんなのってないよ。どうしていまさらこんな島に連れてきて、こんなかたちでほんとのことを聞かせたりするの?」
激しい感情をぶつけられ、詰られて、真尋は答えることができずに立ち尽くした。
深く傷ついた妹の心を思うと、どんな言葉もかけることができなかった。なにより今日まで大切に慈しみ、育ててきた少女の口から、もう一度自分を拒む言葉が発せられることが怖かった。
自分が雛姫にした仕打ちは、あまりに残酷で、言い訳の余地もない。かつて、自分が味わった痛みがあるからこそ、余計にそのつらさが理解できた。
なにも知られぬうちに、自分だけで解決してしまえたなら、どんなによかったろう。
真尋は無言で口唇を噛みしめた。
「あらあら、困りましたわね。ここに来て兄思い、妹思いのおふたりが仲違いをしてしまわれるなんて」
そんなふたりのあいだに、波子の陽気な声が無遠慮に割って入った。
深刻な雰囲気を台無しにしたばかりか、あからさまな嘲弄さえ滲ませたその物言いに、真尋は眉間の皺を深くし、雛姫は憤然と振り返る。だが、波子は怯まず、悠然とその怒りを受け止めた。
「姫様、真尋様を非難なさっている場合ではありませんわ。いま明かされたのは、真実の中の一部に過ぎないのですから」
波子の言葉に、雛姫は眉を顰めた。
これ以上、まだなにかあるというのだろうか。
「……どういうこと?」
堪らず割って入ろうとした真尋を、しかし波子は、思いのほか強い目顔で制止した。
かすかにかぶりを振って、厳としたさまで真尋を牽制すると、波子は雛姫に向きなおる。そして告げた。
「先程も申し上げましたわ。姫様に真実をお伝えすることは、【ある御方】のご意志でもあるのだ、と。すべてを理解された後でなければ姫様もご決断ができないでしょうから。わたくしは、そのために使わされたのです」
打って変わって挑むような、あるいは自分の存在価値を容赦なく品定めするような眼差しを向けられ、いきりたっていた雛姫の心は急速に萎んだ。
「『風の神の施した封印が弱まりはじめている』――これは、その方から姫様へのご伝言です」
「ある方って、だれ?」
おずおずとした口調で雛姫は尋ねたが、それには答えず、波子は話をつづけた。
「《御魂》の存在は表裏一体。地底深く島が貯えている、あの圧倒的なエネルギーを姫様もご覧になりましたでしょう? あれこそが島に語り継がれてきた《荒ぶる神》の実態なのです。あの力が、地上に向かって一気に噴出すれば、島は跡形もなくこの地から消滅してしまう。《御魂》は、地中に貯えられたエネルギーの爆発を押さえる役目を担うその反面で、内在する負の力がエネルギーと引き合って逆に噴火を誘発しようともしている。
神であり邪鬼、善であり悪、光であり闇――拮抗するその力のバランスをとり、鎮める役目を代々担ってきた存在こそが《御座所》でした」
《御魂鎮め》の御焚き上げ――山頂に建てられた神殿から立ち上る白い煙は、その実、歴代の《御座所》が己の力によってエネルギーを中和し、少しずつ放出していたものだった。
「有毒な火山ガスがあの洞に充満していなかったのは、その成果なのです。あの洞どころか、普通ならこんな小さな島では瞬く間に全土にガスは行きわたってしまうでしょう」
風の神の封印と《荒ぶる神》の暴威。
島は、危うい均衡の上に成り立ってきた。その均衡が、徐々に崩れはじめている。《荒ぶる神》の勢力が次第に強まり、それを制する力が弱まりはじめたためである。