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第十五章 禁忌と命脈(三)

「このままでは《御魂》も島も、間違いなく荒ぶるものの力に呑まれてしまうでしょう」
「だったら……、だったら別の土地に移れば? 危ないなら、危なくない場所に引っ越せばすむ話じゃない」
「ええ、もちろんですわ。まさに姫様の仰るとおり、こんな恐ろしい島など見捨てて、さっさと皆で逃げてしまえば万事解決。めでたしめでたし、ですわね」

 波子は唄うように愉しげに言う。

「ですけど姫様、長い歳月を経て貯えられてきた鴻大(こうだい)なエネルギーが大爆発を起こしたとき、被害が出るのは本当にこの島だけでしょうか? 責任を放棄した挙げ句、ご自分たちだけが安全な場所へ逃れて、他の多くの犠牲と引き替えに安穏とした暮らしを手に入れられればそれでいいのですか?」
「そんなこと……」
「この島の港に降り立ったとき、近隣に点在する多くの島々や陸地が姫様の目には映りませんでしたか? あの島のひとつひとつでも、ささやかな生活が営まれ、人々の暮らしが息づいているのです。ついでに申し上げるなら、大爆発によって被害を被るのは人間だけに限りません。この意味、おわかりになるでしょうか」

 軽やかな口調と唄うような節回しとは裏腹の苛烈な内容に、雛姫は返す言葉を失った。

「わたくしに伝言を托された方は仰いました。望むと望まざるとにかかわらず、それが、『力』を持って生まれた者の義務であり宿命なのだ、と。だからこそ《御座所》も、そして巫部の御家も、永い歴史の中で畏れられながらも大切に守られてきたのです」

 波子は、ふたたび表情を厳しいものへとあらためて雛姫と相対した。

「姫様。姫様がお考えになっている以上に《荒ぶる神》の力とそれが及ぼす影響は彊(つよ)く、計り知れないものなのです。風が吹くのはこの島だけでしょうか? 天と地の恩恵を授かっているのは?」

 畳みかけるように問われ、雛姫は胸を突かれた。

「そんなふうにひろがりを見せる点と点を結んでいけば、この世を形作る万物が繋がり合っていく。それは、ひとつのちっぽけな島であるとか国であるとか、そんな人の視点でとらえた枠の内におさまる次元の話ではなく、もっとべつの、森羅万象が自然の理の中で影響を及ぼす大いなる範囲のことを示しているのです」

 波子の言葉は難しすぎる。だが、それでも瀬戸内に浮かぶ小さな島を中心とした近隣の地域が大規模な自然災害に見舞われる、といったレベルの話でないことだけは、おぼろげながら雛姫にも理解できた。

 天、地。
 光、闇。

 徒人(ただひと)の身では、行き着くどころか、感ずることすらかなわぬ領域に息づく存在の話。


「『此方は羈絆によりて尊き御魂を棲まわしむ、幽明混ざりし異境なり』――自由を愛した風の神が、みずからの魂を縛めにかけてまでこの地に《御魂》を封じられたのは、彼が愛した世界そのものを守るため。
『世界』なんて、あまりにも曖昧で抽象的すぎる言葉ですけれど、矛盾を孕んだ人々の営みそのものを風の神は鷹揚な御心で慈しみ、愛され、大切に守られたのです」

 壮大すぎるスケールに、雛姫は眩暈をおぼえて頭の中が真っ白になった。

 世界を救う? それが《御座所》の使命だから?

 なんて安っぽくて現実離れした言葉だろう。
 明かされた出生の秘密はメチャクチャで、自分が生まれてきた理由も本当に信じられないほどいかがわしくて、父と母は兄妹で、兄と自分は母親が違う。そしてその母達はといえば、姉妹でありながら従姉妹でもある関係。
 兄は神様の『真の名前』とかいう力を持っていて、自分は神様の魂を収めるための器で、世界の平和を守るために、暴れん坊の神様をみんなで寄ってたかって何百年にもわたって押さえつけてきたという。

 この島に来てから、非現実的だったり非常識だったりしたことには本当に数えきれないくらいたくさん遭遇したけれど、その中でも、今回の話は極めつきだった。これなら神の怒りを鎮めるための人身御供として生まれてきたのだと言われたほうが遙かにましだった。なのになぜ自分は、無関係のはずの波子にこんなにも責められなければならないのだろう。

 雛姫の混乱などおかまいなしに、波子はなおもその心を追い詰めていく。


「姫様は先程、真尋様にこうお尋ねになりましたわね。なぜ、いまごろになってこんな島に自分を連れてきたのか、と。簡単ですわ。このままでは姫様が、あまり長くは生きられないから。それが理由です」

「よせっ!」

 思わず声を荒らげた真尋をなおも制し、波子はさらに言い募った。

「《御座所》は代々短命に終わるのが宿命。たとえこの島に戻らずとも、姫様が《御座所》として生を受けられた以上、その宿命から逃れることは決してかないません」

 波子は断言した。完全に覚醒を遂げてから、10年を超えて生きた《御座所》は存在しない、と。
 皆、その間に次代を残して力を引き継ぎ、みずからは《御魂》の器となって役目と生をまっとうして島を守ってきたのだという。

「姫様、姫様は先の力の解放ですでに覚醒を遂げておいでですから、生きられるのは長くてせいぜい二十歳まで。《御魂》を受け容れると容れないとにかかわらず、それが姫様に許された残りの寿命なのです」

 あまりにきっぱりと告げられた自分の命の期限に、雛姫は心の中を満たしていた複雑な感情の塊を思わず放り出していた。

「ハタチ、まで?」
「はい。ですから真尋様は、この島へ戻ってこられたのです。ご自身にとってもつらい記憶しかないはずのこの島へ。大切な妹君であらせられる姫様、あなたを守るために」

 いたたまれぬ様子で真尋は顔を背ける。そんな兄を、雛姫は茫然と見上げた。

「本殿地下の壁面に浮かび上がった言葉を、姫様もご覧になりましたでしょう? あれは、真尋様がお生まれになったときに、姫様のお祖母様であらせられる真夕姫様が記したもの。すでに本殿にお入りになった御身ではありましたが、その御心は、遺された方々とこの地を思って久しく留まっておいででした」

 真尋の誕生こそが、真夕姫の真の目的と願い。

「真夕姫様は、それを最期に人としての生を終え、《御座所》としての使命をまっとうされました。そしてそのおかげで、風の神の『真の名』が真尋様という人の姿を成して甦ったことが、わたくしの主、海の女神の知るところとなったのです」

 波子は婉然(えんぜん)と微笑んだ。

《荒ぶる神》の誕生の際、天地両神の力もまた《御魂》の中に取りこまれた。それゆえ、巫部の血には、ほんのわずかとはいえ、天にも大地にも通ずるところがある。時折、ウキやトキのような特異な力を持つ者が現れるのも、そのためだった。

「真夕姫様の遺されたお言葉として地中深くに浮かび上がった文言は、美姫様の命により、ただちに石碑へとそっくり写し取られ、島の入り口である港から海に向かって建てられました。大地の力を通じて、地上の碑文は地下と連動している。それによって海の御方は、真尋様の真の覚醒の時期を量っていらした。あれは、そういうことだったのです」

 波子は満足げに長々とつづけてきた説明を終えると、不意に顔のまえでなにかを捧げ持つように両の手を広げた。

 静まっていたはずの大地の唸りが、感応した赤子の目覚めのように活動を再開する。

「姫様、真尋様は姫様ただおひとりのためにお覚悟をお決めになりました。ならば姫様、いま一度お尋ねします。姫様はそんな真尋様のお心に、どうお応えになるのでしょう?」


 唸りは次第に大きくなり、咆哮へと変わり、瞬く間に猛りはじめた。

《荒ぶる神》のエネルギーの解放―――
 異空の中にあってなお、その凄まじさが感じられる。


「さあ、これからが本当の見せ場ですわ! まさにこの瞬間を、我が主は永きにわたり待ち望んでいたのですから」

 波子が高らかに宣する。
 彊梁(きょうりょう)とした破壊の力が高まる中で、波子の形作った掌の中でも不思議な光が灯り、みるみる真円(しんえん)を描いて大きく、目映ゆすぎる輝きを放って成長していく。

 眩しくて目を開けていられない。

 上げた腕を眇(すが)めた両目のまえに翳し、雛姫は顔を背けた。


「風の御方、いまこそお預かりした御力のすべてをお返し申し上げますわ!」

 波子の宣言が高らかに成された次の瞬間、超新星爆発が目の前で起こったかのような衝撃と閃光が眼の裏を灼き、一点に向かって光の束が貫いた。

 あれは……、あの先にいたのは……。



 ヒロ兄―――――ッ……!!



 絶叫は、光に吸いこまれ、虚空の彼方で消失した。

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