第5章(3)
『金の鳥 銀の鳥』【作品紹介】
明るい笑い声が室内を満たした。
「おもしろいお友達がたくさんいたのねえ」
母は、目尻に浮かんだ涙を拭いながら、心底楽しげな様子で軽やかな笑い声を立てた。
軍での話をぜひ聞きたいとせがまれて、キムたちとのエピソード――したがって厳密には『お友達』ではないのだが、どうでもいい些末なことである――をいくつか披露したのである。無論、そのままストレートに話してしまうには刺激が強すぎて憚られるため、何重にもオブラートに包んで、要所要所で話の内容に矛盾が出ない程度に余分な部分は割愛しながら、『微笑ましい部分』だけを語って聞かせた。
評判は上々で、母は思っていた以上にこちらの話にくいつき、目を輝かせながらくだらない与太話に耳を傾けていた。
「こんなに楽しい気分になったのはひさしぶりよ。話が上手ね、あなたは。笑いすぎて涙が出てしまったわ」
「喜んでいただけて光栄です」
しかつめらしく応じると、母はなおもクスクスと笑って肩をふるわせた。
「疲れませんか? 少し横になっては如何です?」
「いいえ、大丈夫。不思議ね、今日はとっても気分がいいの。笑いがいちばんの特効薬っていうけど、本当なのね」
肩にかけたガウンの位置を直しながら、母はゆったりとベッドの背凭れに躰をあずけた。
「いいお友達にたくさん恵まれて、こんなに立派になって。あなたはわたしの誇りだわ」
「そんなに褒めても、なにも出ませんよ」
「あら、しばらく会わないうちに随分締まり屋さんになっちゃったのね」
「世知辛い世の中をたっぷり見てきましたから」
軽口の応酬をして、ひとしきり笑い合った。
今日はバルコニーに繋がる窓を開け放しているので、室内に籠もる薔薇の馨りがやわらいでいる。薔薇園のさらに向こうでは、エドワードの娘のアリシアが、元気にはしゃぎまわる声が響いていた。
「可愛い子ですね」
窓外に目を向けたまま言うと、母も嬉しそうに同意した。
「女の子が家の中にいるって、すごく明るくて華やかになるものなのね。うちは三人とも男の子だったし、アーサーのところもふたりとも男の子だから、アリシアが生まれてからはなんだかすごく賑やかになったわ」
「おなじ子供でも、男と女でそんなに違いますか?」
「全然違うわね。アナベルの幼いころもずっと見てきたけれど、やはり一緒に住む孫娘となると、こちらの感覚もひと味もふた味も違ってくるものよ。女の子って、とってもおしゃまで、おしゃべりで、びっくりするくらい細かいところに目がいくの」
「エドワードの『父親』の顔も、はじめて見ました」
「それなりに見えるでしょう? あの小さかった甘えん坊さんが、あんなふうに人の親になるのだもの、わたしも年をとるはずね」
母の言葉には、人生の末期(まつご)を迎えた人間ならではの、重みのある感慨が感じられた。
「時間の流れはだれにも平等です。俺も知らないうちに『伯父ちゃま』になってて、正直、かなり面くらいました」
「可愛い姪っ子ができて嬉しいでしょう?」
母は可笑しそうに笑った。
「あの子は、かっこいいカシム伯父ちゃまの大ファンなのよ」
わたしとアリシアのふたりで、カシム・ザイアッド軍曹のファンクラブを結成したの。母は思いがけないことを口にした。
「わたしが会長でアリシアが副会長。ちゃんと会員証も作ったのよ」
「お母さん、お気持ちは嬉しいですが、子供にあんな映像を見せてはいけません」
「あら、なぜ?」
「あまりに凄惨すぎます。教育上、到底子供に見せられるようなものではありませんし、お母さんの躰にも障ります。俺がしてきたことは、とても人前で自慢できるようなことではありません」
きつくなりすぎないよう充分注意を払いながら、それでも口調が硬くなるのを完全に抑えることはできなかった。
自分の生きざまを、羞じてはいないが肯定もしていない。納得ずくの人生だが、胸を張るほどのものでは決してなかった。
じっと俺の顔を視つめていた母は、やがて謐かに口を開いた。
「子供ってね、すごい生き物よ。あなたをはじめて観たあの子が、なんと言ったかわかる?」
敵を次々に葬っていく自分の姿が、他人の――それも幼い子供の目にどう映るかなど、これまで考えたこともなければ想像したことさえなかった。本来、秘密裡に遂行される軍の任務が、大人はもちろんのこと、子供の目に入るようなことなどなかったからだ。
「わたしも最初は躊躇ったのよ? でもね、画面に映るあなたを観て、アリシアはこう言ったの。このおじちゃまは天使さまなのね、って」
理由を尋ねた母に、四歳の子供はこう答えたのだそうだ。悪い魔法で魔物に変えられちゃった可哀想な人たちを、天国の神様の許へ送ってあげてるんでしょう?と。
「わたしたち大人のように、余計な先入観や倫理観、知識に縛られて、物事を枠にはめてみることがないからこそ、子供は心の目で見て、素直に、自分が見えたままを感じることができるのね。一見単純に思えるけれど、その実、それってとても鋭く本質を見抜いているんじゃないかしら。
わたし、あの子に教えられたわ。言われてみればたしかにそのとおりだったもの。だからわたしは、あなたがなにをしているのかちゃんと理解することができたし、あの子にもあるがままのあなたを見せてあげようって、そう思ったの」
「ですけど、さすがにあれは……」
「大丈夫。ふたりで観てる映像は、わたしたちのためだけのスペシャル版だから」
母は内緒話を打ち明けるように悪戯めいた口調で言った。
「さすがに生々しすぎたり惨すぎるような場面がつづくと、わたしもつらいから、エドワードが特別に、わたしたちのために編集版を用意してくれたの」
なんと、俺の『活躍シーン』ばかりを集めた『名場面集』をデータ化してあるのだという。
「ほんとに素敵なのよ。自分の息子ながら、いつ観ても惚れ惚れしてしまうの」
「お母さん……」
「最近はファンクラブの会員数もひそかにうなぎ登り中よ。わたしの担当の看護士に世話係のローレンやマーガレット。それにあなたの義理の姉や妹たちまで。わたしの息子だからしかたのないことだけど、素敵すぎるというのも罪作りね」
脱力、などというものではなかった。
俺の知らないところで、なにをやってるんだ、この人たちは……。
「……お母さん、やめてください」
母は、俺の様子を見てクスクスと笑った。
「アリシアも会員証作りに大わらわよ。このあいだは特別会員まで加わって、勿体ぶった感じで会員証を授与されてたわ。特別会員枠はヘンリー卿なのですって」
なんと、親父殿である。
「あの人も孫娘にはとことん弱いわね。いつも威厳や体面を気にしてニコリともしない人が、特別会員に指名されて、それはそれは嬉しそうだったわ。やにさがった顔に崩れそうになるのを必死で堪えるものだから、眉毛や口の端がピクピク痙攣してるの」
可愛い天使は、いまの親父にとっての最大のウィーク・ポイントであるらしい。
「それにね、特別会員の地位自体も、まんざらでもなさそうだったわよ。――お父様にとっても、あなたは自慢の息子だったのだもの。当然だわね」
家族に愛されすぎたことがかえって確執に繋がった。
だが、その結果がいまのこの状況ならば、それも悪くないと思った。
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