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第十五章 禁忌と命脈(一)
ふと気がつくと、雛姫は先程目を覚ましたおなじ空間に茫然と立ち尽くしていた。
目の前には波子がいて、少し離れた場所に控えるように『黒風』と名乗った青年もいる。そして傍らには真尋の姿も――
自分を見下ろす真尋の顔は、心なしか蒼褪めているように見えた。
――いまのは……。
茫然とする一方で、心の片隅では、大いなる混乱と恐慌が巻き起こっていた。
すべては真夕姫と志姫の代にはじまった――
志姫が美姫に向かって語り聞かせた内容が、雛姫の頭の中にも反芻される。
風の神の名の半分を受け継いた風音の血筋、それが御堂の直系。
兄の風音と妹の風花。
御堂の家は、代々本家の血筋に男しか生まれぬ家系であった。なぜなら、風の神から授かった『名』を受け継ぐことができるのは、兄風音の血を引く直系男児のみに限定されたからだ。
そして、分けられた『名』をひとつに融合するためには、ふたつの血が混じり合わなければならなかった。《父》の血と《母》の血と。それゆえ、もう一方の『名』を受け継ぐ者――すなわち《母》の血筋にあたる巫部に生まれた双子は、女でなければならなかった。
牧江は志姫と義佑の娘。
すべては志姫の妹真夕姫が仕組み、仕掛けたこと。
血の濃さゆえか、歴代の《御座所》の中にあって、真夕姫は偶然にも、《御魂》に封印を施した風の神の魂を見ることのできる能力を備えていた。
血を守り、地を守り、生命を守る。
己の生を放棄し、自由を捨て、幾星霜もの時を経てなお荒ぶるものを封じ、その中に眠る我が子らを深い愛情で包みこむその姿。尊き魂は、愛した娘が眠り、その子孫らが栄える地をも力の及ぶかぎりにおいて守護したもう―――
その魂に触れ、強く心惹かれた真夕姫は、やがて、自分の身近で守り役を務める義佑の中におなじ血の流れを見る。
巫部の家が、同族婚を繰り返して血の濃さを重んじたのに対し、風音の血筋、すなわち御堂の家は、さほど己の血統にも授けられた『力』にもこだわらなかった。それゆえ随分昔から、風の神の血も力も、御堂の血筋の中で薄れていた。
《御座所》の守り役を代々受け継ぐ家系ではあったが、その血統の中に風の神の血が流れていることはとうに忘れ去られていた。だが、真夕姫はそれを見逃さなかった。
弱りはじめた風の神の力を、たしかに受け継ぎ、その身に息づかせた男。
いつしか真夕姫は、義佑に深い想いを寄せるようになる。
次第に薄れ、弱りゆく魂と引き継がれゆく血の犠牲、そして果てなき怨嗟。
もう、終わりにしなければ。手遅れになる、そのまえに――
すべてを打ち明けた真夕姫の想いに、義佑は煩悶しつつもやがては応えた。
真夕姫の願いは、今一度、よりたしかな風の神の力を蘇らせること。そのために必要な血は、《母》の力を受け継ぐ《御座所》ではなく、《父》の名の半分を受け継いでいる《形代》の血。
そうして志姫と義佑とのあいだに牧江が生まれ、牧江は、自身ではそれと知らまま、母志姫から風の神の『名』の半分を受け継ぎ、なおかつ、父義佑からは風音側の『力』を受け容れるための血を受け継いだ。
生き延びた双子の兄、風音の血筋であり、風の神より授けられた『名』を御堂の直系として継承した宗佑は、その牧江を、異母妹と知らぬまま娶り、長男真尋を儲けた。
結果、ふたつの血の融合によって甦った力――すなわち、永きにわたり分かたれていた風の神の『名』は、『真の名』として真尋の中に引き継がれた。そして──
『お腹の子は、宗佑の娘です』
すべてを聞き終えた美姫は、志姫に向かってそう告げた。
《形代》を持たずに生まれた美姫が、それでも《御座所》としての資格を有していた理由。
美姫もまた、真夕姫が禁を破って義佑と通じることにより、本来、次世代の双子の姉妹の中に分かたれるべきであった《母》の力と《父》の『名』の効力双方を、その身に有した娘だったのだ。
《母》から受け継いだ力に加え、生まれながらに《父》の力の一部が備わっていたからこそ、美姫は風の子の声を聞くことができた。その美姫の力が、さらに御堂の血と混じり合うことで、より強固な力が次の世代に受け継がれた。それが雛姫だった。
母真夕姫の思いを知り、《御座所》と《御魂》、さらには巫部の家に生まれた者が代々背負ってきた使命の裏に隠された真実を知ったとき、美姫もまた、母の思いを受け継ぐ決意をする。
幼きころよりひそかに想いを寄せつづけた相手、御堂の直系である宗佑とのあいだに子を儲けることによって。
ふたつの家系に受け継がれた血が複雑に織りなされ、永い歳月を経てふたたびひとつに融合してゆく過程の中で、巻きこまれた者たちのさまざまな想いもまた絡めとり、やがて真尋が誕生し、そして雛姫が生まれた―――