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第十四章 真実の扉(一)

「姫様、じつはわたし、お嫁に行くことになったんです」

 頬を染め、恥ずかしげにそう打ち明けたお側仕えを、少女は驚いて顧みた。
 半紙に降ろしかけた筆が、しばし中空で静止する。充分に墨を吸わせた筆先から、黒い滴りがぽとりと落ちた。

「……え?」

 わずかに開いた朱唇から、吐息のようにひそやかな声が漏れ出た。
 7歳。年齢相応のあどけなさが残る、ふっくらとした頬のラインは、生まれながらにして《御座所》という使命を背負わされたこの少女の、年齢不相応に老成した眼差しとアンバランスな印象を作り上げ、それがかえって不可思議な艶っぽさを醸し出していた。

「お嫁……それってだれかと結婚するということ?」
「ええ、そうなんです。先日、お屋形様にお話をいただいて、お見合い、というのをしてきたんです」

 途端に、少女の思慮深げな双眸が、なにかを考えこむように右手の中庭へと向けられた。

「……伯母様の、ご命令?」
「え? いいえ、そんな。とんでもありません!」

 必要以上に大きな声で否定され、少女はわずかに目を瞠って己のお側仕えを振り返った。
 長い睫毛に縁取られた漆黒の双瞳で視つめると、相手はますます度を失って、胸のまえでせわしなく両手を振った。

「あ、あのっ、違うんです! たしかにお話はいただきましたけど、お屋形様のご命令とかそんなんじゃなくて、えっと……」

 少女には、なぜこんなにも相手が動揺するのかがわからなかった。

「あの、ですからようするに、ですね、その、おおもとのお話を持ってらしたのはもっと別の方で、それをお聞きになったお屋形様が、おまえも年頃だし、そろそろこういう話があってもいいのではないか、と――」
「年頃って、牧江はいまいくつ?」
「15です、姫様。でも、じきに16になります」
「16は、お嫁に行くお年頃なの?」
「え? いいえ。それはもちろん人それぞれだと思います。でも、法律上、女性の結婚が許される歳なのはたしかです」
「だからお嫁に行くの?」
「あ、いえ……、自分でもちょっと早いかな、とは思うんですけど、でも、こういうのはやっぱり人それぞれだし、わたしにはむしろもったいないくらいで、だからえっと――」

「だれなの?」

「えっ?」
「牧江のお婿さんになる人は、だれ?」

 途端に、目の前の顔が見事に赤く染まった。

 相手は慌ててそれを隠すようにみずからの手で両頬を押さえたが、耳から首筋、額までカバーすることはできなかった。
 少女の視線を避けるように、お側仕えの少女は恥ずかしげに俯く。けれどもその口許が、たちまち嬉しそうにほころんだ。

 お側仕え――牧江の口がゆっくりと開く。そこから消え入りそうな声が、しかしはっきりと告げた。

「御堂……宗佑様です」

 刹那、利発さを宿した黒曜石のような双眸が限界まで見開かれた。

「宗佑様のことは姫様もよくご存じですよね? 島の大人衆の中でも筆頭のお家柄にあたる御堂家のご嫡男で、大きな行事ごとの際には必ずお屋敷にも上がられますから」

 牧江は、ともすると舞い上がりそうになる気持ちを抑えこもうと、懸命に平静さを装いながら早口に説明した。

「そんな由緒ある御家に、わたしのような者が本当にお嫁入りしていいのかなって思うんですけど。だってほら、姫様にも以前お話ししましたように、わたしは生まれてすぐ親に捨てられて里子に出されましたから、実の両親がだれなのかもいまだによくわかりませんし。でも、今回のお話を持ってきてくださったのがほかでもない宗佑様のお父様、義佑(ぎすけ)様ご本人だったらしくて……。なんでもお屋敷にお渡りの際にたまたまわたしを見かけて、それで見初めてくださったのですって。宗佑様はお家柄はもちろんのこと、実際にお会いしてお話ししてみるとお人柄もお優しくて優秀で、それに、この年明けに成人の儀を済まされた立派な大人の男性でいらっしゃるのに、なんだかもったいないお話ですよね」

 気恥ずかしさと浮き立つ心。ふたつの感情を制御するのに必死で、牧江は目の前の少女の変化に気づかない。
 少女の目の中に、たしかに奔った衝撃は、すぐに諦念へと取って代わった。宙に浮かせたままになっていた右手がようやく動く。

 コトリ、と硯に置かれた筆。


「……そう」


 美姫は、ふたたび中庭を見やって、言葉少なに応じた。

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