第十四章 真実の扉(四)
久々に社を訪(おとな)った巫部志姫は、床から起き上がった美姫と相対するなり単刀直入に用件を切り出した。
「いったいこれは、どういうことだえ?」
ひややかな威厳を纏ったその表情には、いつもながら一糸の心の乱れも感じられない。だが、わずかにとがった語尾が、内心の苛立ちをはっきりと示していた。気づいていながら、美姫は素知らぬふりで一族の長に向き合う。
「どう、とは?」
「そらぞらしい返答はおやめ。わたくしの質問の意図ははじめから察しておろう? 迂遠なやりとりは時間の無駄じゃ。もう一度尋ねるが、美姫、おまえはいったいだれの子をその身に宿しておる?」
詰責にも似た伯母の問いかけに、美姫はしばし目線を落とした。相手の威に屈したわけではない。話をどこから、そしてどう切り出そうか沈思している。そう見えた。
美姫の言葉を待って、志姫も口を閉ざす。奇妙な静寂の中、室外からかすかな声が遠慮がちにかけられ、襖が開いた。小柄な形(なり)をした老婆が襖向こうでちんまりと正座し、深々と額(ぬか)ずく。そして機敏な動きで立ち上がると、美姫の許へ早足にやってきてその肩にガウンを掛け、素早く去っていった。
トキの退室と同時に、ふたたび室内に静寂が満ちる。
「――伯母様、もう、終わりにしなければ……」
長い、長い沈黙の果てに、ついに美姫は重い口を開いた――
《風音(かざね)》、《風花(ふうか)》。
風の神の力は生まれた双子それぞれに、ふたつに分けて受け継がれた。
母の死によって強く引き合わされたふたつの魂は、暴走の末、父たる風の神の生命という代償をもって沈静化される。
《御魂》の中に融合したのは、その血の中に受け継がれた風の神の力、すなわち《風音》と《風花》という『真の名』。
ゆえに《御魂》は二つ名を持つ。
双子の『真の名』は《御魂》の中に融合し、その一方で、父である風の神の『真の名』はふたつに分けられた。
愛する娘に宿った新たなるふたつの生命の片割れと、もう一方は前(さき)に生まれ、生き延びた双子の片割れの中に───
「伝承の中で双子が『姉妹』とされたのは大きな謬(あやま)り――いいえ、あるいはそうすることにより、真実を秘匿したかったのかもしれない。風の神と娘のあいだに最初に生まれた双子は、『姉妹』ではなく『兄妹』だったのですね……」
囁きのようにひそやかな、けれども確信に満ちたそのひと言に、巫部家当主はわずかながらピクリとその眉宇を震わせた。
「巫部の家には、代々有資格者として双子の姉妹が生まれてきた。それは、違(たが)えようのない事実です。双子の一方は消滅する瞬間に風の神が託した『真の名』の半分を受け継ぎ、いまひとりは、神の力をもって一度はたしかに途絶えた生命が再生したことにより、娘自身が新たに得た《荒ぶる神》の剛暴を鎮める力を備えた。
《父》の雄勁(ゆうけい)と《母》の慈愛。
わたくしたち歴代の《御座所》は《母》なる力を受け継ぎし者。そして伯母様、貴女方歴代の《形代》は、いずれも《父》の名の半分を受け継いでいた。では、残り半分の名を受け継いだ、前(さき)に風の神と娘のあいだに生まれた双子の生き残りの血筋は?」
「美姫――」
次につづく言葉を遮るように、志姫は姪の名を呼んだ。だが、美姫はそれを決然と聞き流した。
「巫部の家は、なぜ双子のいずれもが女でなければならなかったか。それは、風の神のもう半分の名を受け継ぐ者、生き残った風音が男だったからにほかなりません。そしてそれこそが御堂の血筋だった。
――伯母様、牧江は、貴女と御堂義佑とのあいだに生まれた娘だったのですね」
30年あまりにわたって秘匿してきた真実を暴かれ、志姫は、かたく両眼を閉ざした。その表情に、無念と諦観が浮かぶ。だが、ほどなく美姫に向きなおり、真正面からその顔を見据えた眼差しには、冷徹な当主のそれが戻っていた。
「……だれがその秘密をおまえに?」
志姫の問いに、美姫は今度はすぐに「だれも」と応じた。
「わたくしは《御座所》です。それも、歴代の中でもっとも特殊な。伯母様ご自身がだれよりそのことをよくご存じのはず。それゆえわたくしは、だれに訊かずとも、その気になりさえすればいくらでも真実を知ることができるのです」
「なるほど、そういうことであったか」
志姫は、得心したようにひとつ頷いた。
「なれば話は早い。おまえはこのわたくしから、なにを訊きたい?」
「『真実』の詳細を。力弱き風の子がもたらしてくれる情報には、限界がございますから」
悪びれることなく即応した美姫に、志姫は、わずかにその目元をなごませ、だがすぐに表情を引き締めた。
「相わかった。ある程度は把握していようが、これはおまえの出生にもかかわること。わたくしの口から話して聞かせよう」
志姫は、昂然と胸を反らして語りはじめた――