選ぶこと、問うこと、試すこと
2時間近く、ご一緒しました。
拙い話を聴いていただき、ありがとうございました✨。
今日はおやこ劇場のみなさんに、絵本をよみました✨。
楽しんでいただけたかな😆?
(photo by Satochin.)
普段小学校でやっている絵本選びあそびを再現したり、子の尊厳を大切にする文化づくりのために絵本よみをするに至った経緯について、お話しました。
「何を話すか決めすぎずに、臨もう。その場にいる人たちと気持ちを通わせながら空間をつくろう。」
そう思って当日の朝を迎えましたが、唯一忘れずに伝えようと決めていたのは、「選ぶことは問いに繋がる。」という一言でした。
子たちは常に選びたがっているし、常に問いを立てたがっているし、常に試したがっているわけで、それはもうその子が赤ちゃんのときからそうしているに違いないのです。
でも、
選ばせてもらえない
問いを立てさせてもらえない
試させてもらえない
選べず、問えず、試せないだけでなく、一糸乱れぬ行動しか許されなかったり、多様な人々が混ざりあう中で長く過ごす機会もない。
子たちはそんな局面ばかりにぶち当たります。
ぶち当たり続けると、本来持っている力を削がれてしまいます。
(英語で言えば、エンパワメントの反対語のディスエンパワメント disempowerment って状態です。)
これは大人にも言えることで、少なくない大人たちが、力を削がれて泣く泣く生きているなって、感じます。
僕だってそうでした。
(そのあたりの過去の話は、今日の時間の半分近くを割いて語りましたよ。)
人は自分の身を守るため、いつしか、力を削がれていることさえ、忘れようとします。
選べず、問えず、試せない。
そんな社会、そんな世界は、どんどん力無く縮んでいきます。
自分がそれをなぜ選ぶのか、なぜ選んだのか、について考えたら、問いが産まれます。
それは、自分の声を自分が聴けることも意味します。
その次は、他人がそれをなぜ選ぶのか、なぜ選んだのか、について考えることになり、そこにも問いが産まれます。
選ぶことが問いに繋がり、問いと問いを付き合わせれば、対話に繋がります。
Aを選んだ人とBを選んだ人が、互いに、なぜあの人はあれを選んだのだろう?と問えば、やがて対話の機会を産み出し、もしかしたらAとBのいいとこどりの素敵なアイデアが産みだされ、試され、実現に至るかもしれません。
社会をより良く変革する早道は、そもそも素晴らしい存在である子たちをエンパワメントすることだなって何年か前に気づき、子の尊厳について大人が学びあうための様々な場づくりをしましたが、次第にその広がりに、限界を感じるようになりました。
(なぜ広がりにくいのかについても今日話しました。)
そんなとき、学校での読み聞かせに誘われて、数回教室でよんだときに「あっ!絵本を通じて新しいアプローチができるかも!」と閃いたときのことを、僕は今でも鮮明に憶えています。
今日は冒頭に絵本選びあそびを再現しつつ、なぜそんなことをするようになったのか、を解説しました。
その後話はあちこちに飛びまして、『ママと絵本』という映画を撮っている話をするのを忘れてしまいました😆。
期待してくれていたみなさん、ごめんなさい💦。またの機会に。
しめくくりに、今日初めて僕と会って話を聴いてくださったみなさん向けに、これまでFacebookに綴ったあちこちの小学校での絵本よみの様子を、まとめて貼っておきますね。
長いので、お時間があるときに、お読みくださいな。
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【1年生】
今朝は、夏休みの宿題を2年連続で無くしている小学校の1年生の教室で、絵本よみ。
いつものように何冊も持ち込んで、子たちに選んでもらうところからスタート。
一冊ずつ表紙を見せて、タイトルを読み上げていきます。
どの本にするかの決め方はこちらから示さず、ただ、「どれがいい?」と尋ねます。
小さな子たちでも「たくさんの声があがった本にきっとなるだろう」という予測をしがちなので、あえて、「じゃ、もう一回、見せるね。いいな、と思う絵本があったら教えてね。」と伝えて、再びタイトルを読み上げます。
「あれ?丁寧に選ぶんだな。」と子たちはたぶん思います。
そうすると、さっきは口を開かなかった子たちが「あ、それがいい。」、「迷う〜。」とか言いだします。
唇は動かなくても、「あぁ、心の中で呟いてる、呟いてる。」という子たちも、必ず一定数います。
みんなの顔を見ながら、時には視線をあわせながら、このやりとりを丁寧にします。
結局は最も反応が大きかった絵本にすることが多いのですが、毎回必ず「他の絵本は今日は読めないけれど、気になる本は題名を憶えて自分で借りて読んでみてね。」と伝えます。(時間があればもう一回、タイトルだけを読み上げます。)
そう伝えることで、意中の絵本が読まれなくても、ふんわりと心の収まりがつくからです。
これは、民主主義はプロセスが大切なんだ、ということを伝える作業です。
今朝は『ゼラルダと人喰い鬼』を読みました。
人喰い鬼、それも子を喰らう鬼だと知らずにただの腹ペコおじさんだと思って、市場に売りに行くはずの食料で得意の料理を振る舞う少女。
腹ペコ過ぎて崖から落ちて負傷した鬼は、少女に介抱され、美味しい料理でお腹が満たされます。
大人が読むと「えー!」と思うストーリーが展開するのですが、1年生だからか、この小学校に通っているからなのか、内容を楽しく味わって、あっさりと受け入れた子が多かったような印象です。
途中で教室に入ってきた女の子がいました。
小さな声で「おはようございます。」と。
僕は絵本を読むのを止めてすかさず「おはようございます。」と言いました。
彼女にも安心して場にチェックインしてもらいたいし、そうしている様を他の子たちに味わってほしいからです。
(なぜそうするようになったかというと、他の小学校での同じ状況下で「ほれ!早く座りなさい!」と子の背中をグイと押した先生がいたからです。絵本よみボランティアがやってきたいつもと違う教室での、教員としての“立場“が優先されただけの、つまらないシーンでした。だってその子はダラダラやる気なく入ってきたわけでは、ありませんでしたから。また、安易に子の身体に触るのは、自分の身体を大切にしよう、というメッセージの反対のメッセージを子に授けてしまっています。大人には触られても仕方ない、という刷り込みがなされてしまいます。
なお、今朝の担任の先生はもちろんニコニコしていましたから、安心しました。)
こちらの小学校では、今年初の絵本よみとなりました。
インフルエンザで一回休み、さらに予定を失念していて、すっぽかしてもう一回休んだからです。
お詫びをしましたが、ボランティアのみなさんは「私も忘れていたことありますよ。」とか「体調は大丈夫ですか。」と声をかけてくださり、あたたかく迎えてくださいました。
【1年生】
うっかり勘違いして、当番じゃないのに登場した僕。
(5つの小学校に絵本よみに行っているので、たまに間違えます。)
「あはは、じゃあ、私と一緒に読みましょう。」とママが連れて行ってくれたのは、1年生の教室。
僕が読んだのは、大型版のすてきな三にんぐみ。
(1年生向きではないかと思ったけれど、やはり大型版は目立つので視線が集まりました。)
今朝はいつもより男性性を意識して、低い低い声で読みました。
男性の声は子たちにも新鮮です、と言われることが多いので。
また、大型版だと絵の魅力が伝えやすくて、この絵本に込められた複雑なメッセージも良い塩梅に緩和されて、不思議な不思議な魅力が増しました。
【1年生】
いざ教室に入ったらガルル、、と子たちの絵本に飢えてる感が、伝わってきた!
やっぱりどの本が良いかを選んでもらいたくなり、手持ちの5冊のタイトルを読み上げたら。
1番人気は、『かんぺきなこども』。
この本は国内では今年の1月に発売されたもので、まだ新しい。
フランスっぽいシニカルな感じが素敵。
『えほん障害者権利条約』は読んだことがある子が猛プッシュしてきたので2冊めに。
みんな真剣なまなざし。
「ボクは日本に来られて幸せです。」
条約がボク、と名乗るのが素晴らしい。
もう時間切れ、というところで『すてきな三にんぐみ』を読めというリクエストがたくさん。
先生がオーケーして下さり慌てて読んだけど、馬車を襲うところで、チャイムが。
今日の子たち、中身は大人びた1年生だった!
子たちのチョイスにより、3冊ともに共通するテーマが浮かびあがったような濃い15分!
【1年生】
久々の絵本よみは1年1組で。
あまりに寒い朝だったので、滑り出しはシロクマの話から。
その瞬間、多くの子たちがシロクマの暮らしぶりを空想してるのがわかり、楽しかった。
自己紹介は名前と住んでる場所、仕事を。
同じマンションに住んでいるという子が。
顔を見合わせて、ニヤリ。
いつかエレベーターで再会するかもね。
トートバッグから絵本を取り出す時、『おこだでませんように』はしまったままにした。
この教室にはいらないかな、って思ったから。
始まる前に廊下で待っている時、先生の話し振りや子たちの様子で、判断はできる。
(もちろんそれは教室における先生と子たちの関係性においての話で、家庭や習い事教室などでのことはわからない。)
いつものように、何冊か表紙を見せて、気になる絵本、よみたい絵本を尋ねた。
今朝は5冊。
こちらからタイトルは告げなかった。
子たちが勝手にタイトルを読みあげる形で。
どう意思表示するかは子たち任せ。
「手をあげて」とかはこちらからは言わない。
でもいつもの癖で手をあげるパターンが多いね。
『かんぺきなこども』はたくさんの子が手をあげて反応した。予想通り。
「かんぺき、って意味がわかる?」と訊いたら、「わかる」という声がたくさん。
でも念のため、わからない子のためにちらっと解説。
タイトルじゃなくイラストで選んでる子もいるから。
さらに念のため、「何回手をあげてもいいことにしようか。」と告げて、もう一度『かんぺきなこどもたち』をかざしたら数人増えた。
一回しか手があげられないと自制していた子たちと、かんぺきの意味がわかって関心を抱いた子たちだろう。
この最初のやりとりで、1年生のみなさんは絵本えらびのコツを掴んだ。
2冊目にかざしたのは『すてきな三にんぐみ』。
やはり大勢の手があがった。
手をあげながらなぜその絵本がよみたいかを熱弁する子が何人かいてもよさそうだけど、この教室には、いない。
かといって静かでもない。ガヤガヤしてはいるんだけど、僕は話をするのに苦労しない。
『たいせつなこと』には4、5人。
『たくさんのドア』は誰も手をあげなかった。
たくさんのドアというタイトルは、1年生には荷が重い“作業“のイメージを連想させちゃうのかもな、と勝手に推測。
(高学年だと手をあげる子が増える。)
『子どもの権利ってなあに?』は表紙を見せたら子たちから、権利という漢字が読めないと。
僕が『“けんり“と読みます。』と言ったら、何人かが「あーっ」と。
「この間習った。」という声も聞かれた!
そのあと3人ぐらいが手をあげたのでびっくり!
漢字ではなく、意味を習ったということなのだよね?違う?
時計を見て、「人気があった2冊をよみましょうか。」と言ったら多くの子が賛同したが、今朝もやはり、少数の意見を聴くことにした。
「おじさんは少ない意見がすごく気になるんです。人気があった2冊はなぜ人気があるか何となくわかるんだけど、それ以外の絵本は、手をあげた人がどうして気になったのか、よみたくなったのか、知りたいんです。」
1年生だから、うまくは説明できない。
でも一所懸命、気になった理由、よみたい理由を話してくれる。
その子の言葉をそのまま繰り返しつつ、話してくれたその子に最大限の感謝の気持ちを伝えた。
絵本選びをしていると、2冊よむ時間は無くなる。『かんぺきなこども』をよんだら、時間がきてしまった。
「図書室や図書館にあるから気になる人は借りてよんでみてね。」と告げて、今朝の絵本よみは終了。
大人だって予定通りにはやれない様を、子たちは見る。
最後に質問した。
「おとなストアがあったら、みんなは行く?」
(*かんぺきなこども』は、こどもがいない大人がこどもストアで好みのこどもを選んで買ってくるところから話が始まる。)
子たちの反応は、みなさんの想像にお任せしよう。
先生が
「ありがとうございました。すごくよかったです。何というか、あの、大事なものを思い出した気がしました。」
みたいなことをおっしゃってくれた。
その大事なものが何かは、僕にはわからない。
ゆっくり話す時間は無かったから。
先生は凄く素敵だった。
子たちに信頼されていたし、安心できる環境をつくっていた。
そんな先生が忘れかけていたという大事なものとは、何だろうか?
【1年生】
今朝は久々の絵本よみ。
1年生のみなさんは、元気だった。
「おはようございます!」
「おはようございます!」
「はじめまして。みなさんは何歳ですか?」
「6歳!」
「7歳!」
「そうですか。おじさんは52歳です〜。」
「ゴ、ゴ、」
「52歳!」
(ゲラゲラ〜)
「お家にいなきゃいけなかったり、マスクしたり。おじさんも、先生も、こんなの初めてです。(先生、うなづいてくださる。)みなさんも、はじめてですよね?」
「はーじーめーてー。」
「でもよく考えたら、みなさんは生まれてから6年とか7年だから、毎日がはじめてだらけですね〜。」
「そう〜!」
「そうかな〜?」
(ゲラゲラ〜)
短い日数ながら、担任の先生が安心できて楽しい教室づくりをしているのが、子たちとのやりとりを通じて感じられました。
3冊持参しましたが前フリに時間をかけすぎて、よんだのはこの1冊のみ。
普段は椅子に座ってよむのですが、今朝は立ってよみました。
いつものように前に集まらず、授業と同じ席の位置なので、後ろの方にいる子にも見えるようにしなければならないためです。
(紙芝居や大型絵本は見やすいですが、高い位置に置けたらさらに良い感じ。)
そして声もいつもより張り気味にせざるを得ませんでした。遠くまで届かせたいし、マスクで声がくぐもるからです。
(こちらの学校はフェイスシールドも用意してくださり、シールドかマスクのいずれかが選択できるようになっていました。僕はマスクを選択。フェイスシールドは想像よりソフトな作りでしたが、マスクより声が遮られるのとメガネをしている人はメガネが曇りやすいため。)
遠くからでもわかりやすい絵で、取り扱いやすい大きさの絵本(必要に応じて横や前後に絵本を動かして、絵が見えない子が少なくなるように自由に扱える絵本)がやりやすいな、と思いました。
(僕がやりやすいのは、絵の力があり、文字が少ない絵本、ってことになるかな。)
【2年生】
今朝、小学校で2年生のみなさんに「今日はこんな絵本を持ってきました〜。」と10冊弱の候補から選んでもらい、読んだ3冊。
絵本を選ぶときに、座間宮 ガレイさんを招いて遊んだ“ごはん選挙“における、決選投票で見られた投票条件の変化により投票結果が著しく変わる現象が見事に再現されたのは、興味深かった。
読んで欲しい絵本のタイトルを自由に口にするときと、挙手制のときでは結果がガラリと変わったからだ。
挙手制になったのは僕の指示ではなくて、声が常に大きいある子の、提案から。
(僕は声の多さを頼りに決められたらいいな、と思っていた。)
その提案通りに決めようとか決めないとか僕は何も言わずに、「人気のある絵本を2、3冊読もう。」とだけ告げて、もう一度タイトルを読み上げていったら、自然と挙手制になった。
さっきまで大勢の子が「それ、それ、それを読んで!」と叫んでいた絵本の支持が、減っていく。
一人一回しか挙手できないと決まったわけじゃないのに、みんな集中して、慎重に絵本を選び出したのが、よく感じられた。
もちろん挙手でなく、声で主張する子たちも混ざっていて(ルールがいい加減だから)、ぐちゃぐちゃに。
しかしぐちゃぐちゃの空気は、少人数学級において絵本を3冊決めるには悪くない感じだった。
3冊の決め方、決まった絵本にはみんなが納得したような、そんな気配が感じられた。
どの絵本も素晴らしい内容だった。
担任の先生は2冊目の『ぼくのつばさ』を「奥深いですね〜。」と。
今朝のテーマは生死だったかも。
『ぼくのつばさ』は死は登場しないが、素敵なつばさを恥じて隠した子は、いきいきと暮らせず死んだも同然だったからだ。
なお、死がテーマの絵本の時は必ずコメントを添えるようにしている。また、可能ならば、生に関する絵本を選んで、併せて読む。
生の素晴らしさを同時に伝える必要があるからだ。
【2年生】
今朝はこの2冊を、素敵な2年生たちと味わいました。先生も、凄く素敵でした。
よむ前に上着を脱ごうとしたら時計が袖にひっかかり腕が抜けなくなりましたが、2年生や先生の醸し出す雰囲気が温かくて(待ってくれて、応援してくれて、手伝おうか、みたいな声かけもありで)、そこでもう癒されてしまいました。
「ちょっと早く教室に着いてしまいました。先日よその小学校で遅刻したので。」と告白しながら、絵本を10冊、教卓の上に広げました。
実は今朝は、いつものよみ方ではなく、正調読み聞かせ、みたいなのをやってみようかなと思っていました。
シンプルにただ絵本をよむだけ。抑揚をつけすぎない。感想も聞かない。時間をくれた子たちと先生に感謝しながら、謙虚に。
そんなイメージでやってみようかと。
でも今日の2年生はいつもの僕のよみ方向き?の子たちでした。
10冊並べた時点で僕が何も言わなくても、ものの2、3分で、みんなで挙手して人気投票し絵本を選ぶ、手を挙げるのは一回と子たち同士でふんわりと合意形成がなされました。
これまでいろんな教室で子たちと絵本選びをしましたが、僕らがやってきたことを見て聞いて知っているかのように、楽しくスムーズでした。
(ちなみに、僕に会ったことがあるかを尋ねたら初めて、という子ばかりでした。)
凄く心地良かったのですが、ちょっと遊ぼうと思い、「手を挙げる回数は本当に一回でいいの?」と尋ねました。
すると何人かが違う意見を言ってくれたので、「じゃ、何回手を挙げるか手を挙げて決めない?」と提案したらみんな大爆笑に。
わかってくれて嬉しかった。
結局遊びと割り切り、手を挙げる回数選挙をしましたが、ふざけて3回以上の全てに手を挙げた男の子がいました。
しかし誰も揶揄したり注意したりはせずに、その様子をみんなで淡々と楽しく味わっている風情、佇まいはもう最高でした。
朝の会は自律的、主体的なふるまいを促すよう先生が工夫されていました。
なんだろ、イエナプランとかレッジョとかの和風バージョン?
そんな雰囲気でやってらっしゃいました。
絵本選びは先生も普通に手を挙げてたし。
後ろの黒板に10冊のタイトルを書いてくださり、手を挙げた人数も控えてくださったから、後で子たちが気になった絵本を図書館で借りやすくなりました。
ありがたい。
(僕が「得意な子に、手が挙がった人数を数えてほしいです。」と言ったら、意味と意図をすぐに察して下さり、数を数えるのが得意な子達に「数えてみない?」と勧めていらしたね。もう、最高。)
【1、2年生】
低学年教室での絵本よみ。
『いいこってどんなこ』は、賞罰教育をしてしまっている先生の前で読むことが、多い。。
【3年生】
今朝は、はじめて訪ねる小学校での絵本よみ。
そう、昨年から夏休みの宿題をやめた、話題の小学校です。
読む時間は10分。
よそより短めですが、3年生のみんなと楽しい時間を過ごせました。
あれ?
校舎全体に響くチャイムがない?
教室には時計があるけれど、時間がずれているところも多いとか?笑
絵本よみについては、待機していた図書室に子たちが大人を迎えに来てくれるシステムに驚きました!
図書室には机の上に学年の名前が書かれた案内(A4の紙を三つに折った三角柱を横倒しにしたもの)とノートがあらかじめ置かれていました。
ありがたや。
どの月のどの日にどの教室に入りたいか、希望をあらかじめ書き入れるやり方も珍しいですね。予定を組む人の負担が少なくて、良いかな。
【3年生】
今朝、3年3組のみなさんに読んだ絵本。✨
持ち込んだ7冊のタイトルから選んだもらった、人気投票の第1位は、『今、世界は あぶないのか? 貧困と飢餓』。
何と、教室の9割以上の子が、迷いなく選びました。
タイトルが凄く気になるから、という声が、たくさん。
(絵本の選び方はどうしよう?と尋ねたら、一回だけ挙手しての多数決で、という声が多数だったので、そうしました。
“『今、世界は あぶないのか? 貧困と飢餓』
文:ルイーズ・スピルズベリー絵:ハナネ・カイ訳:大山 泉
今、世界で起きていることをみんなで考えていくシリーズ。なぜ貧しい人がいるのか、なぜ飢える人がいるのか、根本的なところからわかりやすく説明する。解説は教育学博士の佐藤学氏。“
ちなみに第2位は、『わたしの足は車いす』。
ただし獲得票数は、1。
多数決の前に2回、7冊の絵本のタイトルを読み上げた時は「すごっ!」とか「えっ?足が?」とかいう小3っぽい声がたくさんあがったのですが、1人1票の多数決になったら、この絵本には1人しか手をあげませんでした。
ほとんどの子が『今、世界は危ないのか?』にあげたあとに、臆さず堂々と、この絵本に手をあげた子と、それを当たり前のように許容する教室の雰囲気が素敵でした。
2冊目は時間が無くて読めなかったので「タイトルを憶えておいて、図書館で借りてね。」と選んだ子に伝えました。
なお、20数名いる教室の全員が挙手しなかったので、棄権もアリだよね、と伝えました。
7冊の中に、自分が読んでほしい絵本があるとは、限らないし、多数決での決め方が不服な場合もあるものね。)
【3年生】
今朝は3年2組で。
「ぎゃー!」
「・・9、10、11・・冊!」
「わー!そんなに持ってきたの!?」
11冊を持ち込んで椅子に積み上げたら、賑やかなリアクション。
準備しないための準備が、11冊もの絵本の持ち込みでした。
Improvisation =即興の楽しさを子たちに味わってほしくて、そうしたのです。
「どれを読みますか?」とタイトルを読み上げていくと、「どれがいいかな?」「たくさんで迷う〜」などと声があがりましたが、さすがに3年生、最終的には「(おじさんが)読みたいのを読んでいいよ」みたいな雰囲気に。
じゃあ、と選んだのは『いいこって どんなこ?』。始まる前の先生と子たちのやりとりからインスピレーションで、チョイス。
主人公のうさぎの子の名前はバニー。
「ママ、ママはぼくがどんな子だったら好きになる?」
ママにあれこれ尋ねるバニーとママのやりとりの繰り返しが、描かれています。
読み終わってから、『ふって!ふって!バニー』という別の絵本とうさぎの名前が一緒だと気づいて、それを子たちに伝えたら「えー!同じうさぎかな?」、「つづきなの?」と声が上がりました。
「書いた人が違う本だよ。気づかなかったよ。おもしろいね、じゃ、これ、読もうか?」
「読んで、読んで!」
ラストはスキーをしていたバニーが穴に落ちるんだけど、それは自分ちにつながる穴で、ママのところに帰るのですが、『いいこって どんなこ?』の冒頭に繋がってもおかしくないことに気づきました。
ループしそうな楽しさに子たちも気づいて、ちょっと興奮気味に。
3冊目の『たくさんのドア』はリクエストで。
「真面目な本だけど良いですか?」と聴くと「いいよ。」と返ってきたので、真面目に読みました。
あなたの前にはたくさんのドアがある、あなたはどんな人になるだろう?うまくいかないこともあるよね?
みたいなことが書かれた本。
うってかわって、静かに耳を澄ます子たち。
残り3分ぐらいになり、終わろうかと思ったけど、『へろへろおじさん』がやはり読みたくなり、「凄い速さで読んでいい?」と聞いたら「読んで、読んで!」となり、先生も微笑んでくださったので、出来うる限りの速さで読みました。
内容よりも早口がおもしろかったみたいで、ゲラゲラ笑ってくれましたが、チャイムが鳴って、真ん中過ぎで時間切れ。
読み切ることもできたけど、本を閉じて、おしまい!
「最後までできないこと、たくさんあるよね!」
とお詫びしました。笑
つきあってくれた2組のみなさん、先生、ありがとうございました
【3年生】
今朝は3年生のみなさんに『うごきません』をよみました。
教室に着いたら、年配の男性の先生が
「みんな、ゴミを拾おうよ〜。」
と子たちに呼びかけているところでした。
「は〜い。」
席を立って、床に手を伸ばす子たち。
先生は廊下にいる僕を見て、笑顔でちらっと会釈されたのち
「はい、拾ってね〜、ゴミなんて落ちてない、いつもきれいな教室だって思われるようにね〜。」
とふざけました。
「アハハ〜、先生、バラしてるよ〜。」
「バレてる、バレてる〜。」
そして子たちは、僕の反応を楽しもうと僕の顔を見ました。
もうこの最初の数秒で、僕はこの教室のファンになりました。
ゴミなんて落ちてたのかな?
教壇に絵本を抱えて立ってみたら、埃とは無縁の清々しい感じがしました。
綺麗にしすぎてるわけじゃなく、でも手がかけられている感じがする、室内。
先生と子たちで一緒に無理なくつくっている環境、という印象を抱きました。
挨拶を交わすときはなるべく全員と目を合わせるように努めますが、今朝は25人の子がいたので、一度には無理でした。
でも、曇った顔の子は見当たらない気がして(今朝がたまたまそうだったのかもしれませんが)そして絵本を楽しみにしてくれているのがぎゅんぎゅんと伝わってきて、こちらまで嬉しくなりました。
自己紹介をしました。
今朝は自宅の最寄りの小学校だったので、町名と番地とマンション名、部屋番号まで伝えたところ、ゲラゲラ笑ってくれました。
絵本をあちこちの小学校でよませてもらっている
こと。
キャンプ場みたいなところで働いていること。
そんな話をしながら全員の子と、目を合わせます。
僕という存在を子たちが受け入れてくれて、少しずつ教室に馴染んできたところで、いつもの絵本選びごっこをしました。
高学年とは違って、多数決で決めようとする子たちとは別に、とにかくひたすら絵本の題名を連呼してぐいぐい推してくる子たちもいて、その緩やかなせめぎ合いが、楽しかったです。
思い思いに喋り出すのだけど、それは注目を集めたいとか、何か気持ちや感情を発散したいとかで喋るんじゃなく、みんな、伝えたいことを伝えたいから喋ってる、って感じがしました。
落ち着いているけれど、賑やか。
連呼する子たちも音量調節を効かせている感じ。
誰かが喋りだすと周りの子は聴こうとするのがよくわかりました。
そしてそれは、ごくごく自然な感じがしました。
新学期が始まってまだ一ヵ月ですが、先生が子たち全員が安心できる場となるよう意識されて、日々教室をつくっていらしたんだろうな、と思いました。
絵本選びの途中で、そのプロセスを先生が注意深く観察しているのに、気付きました。
日頃から「選ぶ」ことについて考えていらっしゃるから、サッと分かったんだ、と思いました。
僕が子たちとやろうとしていることを察知されて、関心を持って観察して下さっているのが、ヒシヒシと伝わってきました。
僕よりも上の世代の大ベテランの先生が、探究心を失わずに常に学ぼうとされている姿は、僕の心を打ちました。
絵や題名、形など、とにかく気になる絵本があれば何回でも手をあげていい、というルールに落ち着き、用意した5冊を順にかざしていきました。
いつものように手をあげた子が少数だった絵本のことにしっかり時間を割いたのち、その他の絵本もよみたいのがあれば題名を憶えて図書館や図書室で借りてね、と伝えました。
この教室では、絵本の題名を紹介した瞬間は一人しか手をあげなかったとしても、少し待つと恥ずかしがりつつも、一人、また一人と手をあげる子が目立ちました。
少数派になっても大丈夫、そんな共通認識が育っているように思いました。
さあ、人気があった絵本をよもう、と思いましたが、時計を見たら2分強しか残り時間がありませんでした。
人気があった絵本は、2冊。
同じ票数でした。
子たちに、ごめんね、残り時間でよめる方をよませてくださいね、と詫びました。
そうしてよんだのが、これだったのです。
よみおわったら、先生が「今日は絵本を選ぶ体験ができましたね。」と子たちに話したので、あぁ、やっぱり、って思いました。
続けて先生は、感想を言いたい子を募りました。
すると大勢の子が手を上げてくれたので、目一杯時間を使ってしまったことを、後悔。一時間目に食い込むことは必至だからです。
帰りに、校舎のあちこちに置いてある鉢植えの花々を植え替えている女性とお話できました。
子たちに美しい花を見せたいから、懸命にやってらっしゃるのがわかりました。
春だから一斉に咲き、一斉に枯れていきますから大変です、とおっしゃりながら、せっせ、せっせと作業されていました。
僕は思わず、子たちは枯れた花を見るのもきっと好きだし、こうしてお仕事されてる姿を見るのも、きっと好きだと思いますよ、と心に浮かんだことをそのまま伝えました。
スコップの動きが一瞬、止まりました。
「ありがとうございます。」
「お疲れ様です。」
わずか数秒のおしゃべりでしたが、たぶん、何かが通いました。
門に向かおうとしたら、知ってる先生が受話器を片手に、職員室の窓から身を乗り出して元気よく手を振ってくれました。
何とも楽しく、嬉しい朝でした。
【5年生】
今朝は久々にこの絵本を読みました。
おやこ劇場のお仲間に誘われて、初めて訪れた小学校の5年生の教室。
時間はぜんぶで10分。
いつもの候補10冊ぐらいの中からみんなに絵本を選んでもらう方式だと、間違いなく読む時間が無くなってしまうので、本たちのタイトルだけ紹介して、おじさんが好きな本を1冊読ませてね、と。
フランスからニューヨークに渡った若かりし頃の著者が、飲まず食わずで出版社の前で行き倒れそうに。声をかけた出版社の人が彼が携えていた作品を見たことで、彼の作家人生が始まったという話から始めました。
(1冊しか読まない場合は、作者に親近感を覚えてもらう時間をとったりします。)
「白いにんげんが、黒いにんげんを殺しまくり、黒い人間が赤い人間をころしまわり、赤いにんげんが、黄色いにんげんをおいかけ、黄色いにんげんが白いにんげんをおいかけまわしていた。」
驚き、呆れたちいさなあおいくもが雨を降らせてみんなを同じ青色に染めると、争いはおさまり、平和になる、というエンディング。
5年生が、担任の先生が、どう受け止めるか?
なかなかリスキーなチョイスではあります。
「みんな同じ色の方が安心できるっていう人もいるだろうし、色がいろいろ違った方が素敵だって人もいる?学校ではみんな同じ色?色が違っても仲良くできたら最高だよね?」
この絵本の場合は、僕はもうこんなふうに伝えてしまいます。
「そんな風に話しちゃってはダメよ。」とベテランの方から指摘されたりすることもたまにありますけど、ね。
今日の小学校には、絵本よみボランティア専用のお部屋(控え室兼小さな図書室)があり、素晴らしいと思いました。
開いている時は子たちが遊びに来て、棚にある絵本を読むこともできます。
こちらのボランティアさんたちは僕が通っている他の小学校よりも経験年数が長いベテランの方の比率が高い感じでした。
落ち着いた、穏やかな雰囲気を醸し出しつつも、重ねた年輪から自然と発せられる、安心できて頼もしい重厚感のようなものが、控え室に漂っていました。
「よその小学校のように若い人たちに読んでほしいわ。」
「うちは高齢化が著しいのよ。」
とみなさんおっしゃっていましたが。
いやいや。
まだまだ。
これからも末長く、素晴らしい時間を編んでいっていただきたいな、と思いました。
【5年生】
はじまりの時間を間違えていて、遅刻!
校長先生が繋ぎ役で先に教室にいてくださり、助かった!
5年生のみなさんに、いつもみたいに今からよむ絵本を選んでもらった。
どんなやり方で選ぶのかはこちらから提案しないが、今朝も挙手に。習慣で自然とそうなるようだ。
持参した7冊を順に紹介していったのだけど、何か変。
入った瞬間から、硬い雰囲気の教室だなっていう印象だったけど、それにしても。
どの絵本にも、パラパラ。
何回手を挙げてもいいよ、と伝えてあるのに、6冊目までに、ずば抜けて人気の絵本は無かったのだ。
気に入った絵本が無ければ、一度も手を挙げない?
うんうん、なるほど。
高学年ならそういうこともあるよね、とつぶやきつつ、7冊目の絵本を手にとってみたら、それは『おこだでませんように』だった。
最初にすべての絵本を見せて、タイトルを読み上げたのち、もう一度一冊ずつかざして、手を挙げてもらっていた。
「あっ、そうか、もしかして。」
そう、待ってました、とばかりに大勢の子達が手を挙げた。
「あはは。なぜこの絵本が人気なのかな〜。」
とつぶやいたときに、子達の目がギラリン、と輝いた気がしたので、あえてそれ以上深く尋ねるのは、やめた。
代わりに
「あの、もしかして・・・」
と、教室の後ろに立っていらした先生の方を向いて、話しかけてみたら
「はい、私が怒ってばかりなんです。」
と苦笑いしながら、答えてくれた。
教室の雰囲気が、緩んだ気がした。
よみおえたあとは、先生の顔をまともに見れなかった。時間も押していたので、手短かに挨拶して、教室をあとに。
僕は、先生が主人公が書いた短冊を読んでから、しばし黙るシーンが好きだ。それより後の展開は、さして関心が無い。
もっと書けば、この絵本の一番素敵なシーンは、沈黙のシーンだと思う。
【5年生】
今朝は、ひょんなことから昨日手に入れた傑作絵本『ねえ、どれが いい?』を5年1組でよむつもりでした。
しかし控え室で前回の記録を見たら何と『ねえ、どれが いい?』がよまれていて、びっくり!
重なるなんて、あまりないのですけど。
たまたま気が合うママがいたわけです。
いつもは子達と絵本えらび遊びをするのですが、緊急事態宣言下ということで今朝は持ち時間が15分から10分に短縮されたため、さすがに絵本えらび遊びはあきらめて、素直に1冊よもうとして選んだのが『ねえ、どれが いい?』でした。
たまにこちらで決めるとこうなるのか、おもしろいな、などと思いつつ、他に5冊持ってきていたので、教室に行ってから子達の雰囲気で決めようと思いました。
雨が降り、少し蒸し暑い朝。
ちょっとイラッとしがちな朝。
教室の前の廊下に立ったら、案の定そんな朝にふさわしいやりとりが聞こえてきました。
黒板の前に立ち、何かの連絡をみんなにしてる女の子が苛立って喋っていました。
キレたくなる事情があるようです。
彼女の言葉はまるで、見えない剣のよう。
教室の空気を、バサバサと切り裂きました。
続いて先生が今日の授業の予定について話を始めたのですが、みんなの私語が止まらなかったので、先生はきつめに苦言を呈しました。
私語が止まらなかったのは、女の子が切り裂いた空間を補修したい、という子達の自然な配慮からだろうと思いましたが、限られた時間でやりくりしなければいけない先生のお気持ちも、理解できました。
そうなるとよむ絵本は自然と決まります。
傑作『へろへろおじさん』があれば、間違いなくよみましたが、今朝は持っておらず。
ならば、これだろう、と選んだのは『うごきません。』でした。
持参した絵本すべてを簡単に紹介したのち、「これをよみます。」と言ったら、男の子が「あっ、ハシビロコウだ!」と叫びました。
「知ってるの?」と返したら、「うん!」と答えて、ハシビロコウがどんな鳥なのかを詳しく解説してくれました。
「よく知ってるね!」
彼は笑みを浮かべて「◯◯図鑑に書いてありました!」と教えてくれました。
さらに彼の解説は快調に続きます。
「ハシビロコウは全然動かない鳥です。魚を獲るために全然動かないで、じっとしています。」
僕は思わず「あっ、絵本の中身がバレそう。笑」と口走ってしまいました。
すると男の子が、しまった!という顔をしました。
僕は慌てて「大丈夫、大丈夫。」と言いましたが、教室の何人かが「あーあ。」、「先に言っちゃったよ。」と口々につぶやきながら、彼を責める視線を送りました。
いたたまれなくなった彼はますます顔を曇らせ、泣く一歩手前って感じになりました。
教室にまた見えない剣が、現れたかのよう。
僕は「ごめん。ごめん。」と謝って、よむ前に、少し話をしようと思いました。
今朝はまだ自己紹介をしていなかったことに気づき、住んでいる町名やマンションの場所を詳しく言ったら、子達がドッと笑ってくれました。
続けて雨の話をしました。
雨だから蒸し蒸しして、気持ち悪いかな?と言ったら、多くの子がうなづきました。
気持ち悪いとイライラするかな?と言ったら、やはり多くの子がうなづきました。
先生の方を見たら、先生もうなづいてくれました。
話を続けました。
雨は雲から降っている。
だから雲の上は晴れている。
そうつぶやいたら、子達が教室の中で空を見上げるような仕草をしました。
天井で遮られていますが、確かに子達は雲の上を想像していました。
(宇宙までイメージした子もいたみたい。)
さらに、
雨が降ると困る人、困る動物、困る植物がいる。
反対に雨が降ると喜ぶ人、喜ぶ動物、喜ぶ植物がいる。
そんなたわいもない話を、しました。
何度も切り裂かれた空間は、あっという間に萎んでどこかにポイと捨てられて、みるみるうちに新しい空間、新しい空気が作られていきました。
僕は「じゃ、よむね。」
と言って、『うごきません。』の最初のページを開きました。
【5年生】
5年生、36人。
「おじさんと会ったことがある人いますか?」
10人ぐらいが「会ったことある〜!」だって。
去年、4年生の教室によみに行ったのを憶えていてくれたわけ。
「ここの他に、◯◯小学校と◯◯小学校、たまに◯◯小学校と・・・」
「あー!聞いたことある、その自己紹介!」
再会は、嬉しいね♪。
「今日も7冊持ってきました。おじさんはいつもこれぐらい持ってきて、どの本をよむかみんなに選んでもらっています。」
「えー!全部読んで!」
「うーん、よめて2冊、大抵は1冊かな。」
「何でだよ、時間あるじゃんか!」
この教室は男の子たちの声がやたらでかい。
まずは1冊ずつかざして、タイトルを読み上げます。
“おこだでませんように“をみんなでリクエストしてきたのは隣の教室だったが、こちらの教室は男の子たちが“子どもの権利ってなあに?“推しでした。
「それ、よんで!絶対それ!なー、みんな!」
みんなに同意するようにあおる子が。
さっと慣れた手つきで自分の耳をふさぐ女の子がいました。
「よむ本をどうやって決めましょうか?」
「多数決!」
「どうやって?」
「手をあげて!」
「何回手をあげますか?」
「1回!」
「2回!」
「何回でも!」
「おっ、じゃあ、何回あげてもいい、にしますか?」
「えっ、1回の方がすっきりだろ?」
「3冊あったらどうするんだよ?よみたいのが!」
「あっ、そうか!」
「何回でもありにしようぜ!」
「わかりました。ではそうしましょう。」
「みんな、絶対子どもの権利の本に手をあげろよ!わかったな!裏切るなよ!」
「タイトル、絵、本の形。理由は何でも良いので、よみたいなと思った本があったら教えてください。理由がなくて何となくで選んでもいいし、1冊も選ばなくてもいいですよ。」
「1回も手をあげなくてもいいってことかよ!」
「はい、それもありにしましょう。だって7冊ぜんぶ気に入らない場合もあるかもよ。」
「無理に選ばなくてもいいってことだな!」
「子どもの権利の本な!子どもの権利!」
「どれにしようかな〜。」
「じゃ、いきます。まずは、これ。“かんぺきなこども“!」
「はい!」
「はい!」
「えーと、何人かな、結構多いね。数えるの得意な人、よろしく。」
「何だよ!子どもの権利が落選しちゃうじゃんか!」
手をあげていた何人かがその声を聴いて、下ろしたのが見えた。
「黒板借りますね。手があがった人数を書いていきます。」
「次はどの本だろな。」
「はい、次は、“子どもの権利ってなあに?“がよみたいと思う人。」
「はい!」
「はーーい!」
「おい!みんな手をあげろー!」
「あげろー!」
男の子たちが、賑やかにあおる、あおる。
その成果あって、大勢の子が手をあげた。
ノリノリであげる子。
苦笑いしてる子。
呆れた顔をしてる子。
うつむいていたり、頬杖をついていたりしながら、手をあげた子たちもいました。
「つまらんね。多数決。」
すべての本の投票が終わってから、僕は言いました。
「はー?おじさんが言い出したんでしょ?」
「寂しいじゃん。」
「何が?」
「手をあげた本が選ばれなかった人。」
「だって仕方ないだろー!」
「それにさ、あげたくないのにあげた人もいたでしょ、さっき。」
「あっ、権利の本のことだよ。」
「寂しいじゃん。空気を読んで、手をあげたんでしょ。」
「空気?」
「同じにしないといけない空気。」
「あー。」
「あー。」
「あっ!そうだ!1回しか手をあげちゃいけないってことにして、やりませんか?」
「ゲッ!またやるの?」
「うわー、面倒くせー!」
「よむ時間、無くなるー!」
「1冊はよめるよ!やりましょう!」
こうしてやり直した結果、1位は“かんぺきなこども“になりました。
他の絵本は票が割れ、“子どもの権利ってなあに?“もその中に埋没してしまいました。
「お待たせしました!ではよみます!」
いろいろありましたが、さすがは月に2回、絵本よみを毎年してきた学校です。
子たちは絵本を味わうモードに切り替わりました。
“かんぺきなこども“をよんでいる間の子たちの反応はすごくおもしろいです。
子が買えるこどもストアの存在に驚き、ピエールのふるまいの完璧ぶりにため息をつき、ピエールがついにブチ切れるところでは、口をポカンと開けます。
そして、ラストシーンでは、みんながシーン。
フランス絵本のシニカルなニュアンスは、5年生にはどう響いたのでしょうか。
【6年生】
今朝は急遽代理で絵本をよみにいった。
代理してもらったことは何回もあるから、いつかお役に立ちたいって思っていたので、代わりの人募集のLINEメッセージを読んですぐに、行けます、と返事をして、ベッドから飛び起きた。
物凄く緊張した。
だってみんな大きくて。
もちろん中には小さな子もいたけれど、概ね、大きい。
あどけない子もいるけれど、やはり最高学年。大人びた子が多かった。
先生は穏やかな感じのイケメン男性。
僕が女性だったらかなりときめいたかもしれない。
落ち着いた雰囲気は、この先生の影響もあるだろうか。
いつもの自己紹介をしてから「おじさんを知ってる人いますか?」と尋ねたら、30数人中、1人だけ手を挙げた。「もしかして去年、絵本をよんだかな?」と言ったら、静かに微笑んでうなづいてくれた。
9冊広げて「さてどれをよみましょう?」と尋ねたら、「おまかせで。」という声が。
「おまかせ、というのは僕が選んでいいってことですよね。」と問うと、何人かが微笑しながらうなづいた。
ここで、いつもやっている絵本えらびのやりとりを紹介して(僕を知ってる子はうなづきながら聴いていた)から、僕はこう言った。
「じゃ、僕がどうやって選ぶかもまかせてもらえるってことでいいですか?」
何人かが「ん?」という顔をした。
「僕が選ぶんですけど選ぶ際にみなさんに協力してもらいます。」
そうして結局、いつもの絵本えらびを始めた僕だった。
しかし大人びた6年生に、いつものようにやるだけではもったいない気がした。
そこで今回は、絵本えらびのプロセスに込めた意図や気を配っていることを、一つの工程を終える毎に、その都度細かく解説しながらやることにした。
選び方について問うと、多数決、手は一回だけ、という結論に簡単に至ったので、手を何回あげるかをまず投票してほしい、と言ったら、呆れた顔をした子たちがいた。
「面倒ですよね。でも、おまかせ、というルールになったので、僕はそういうことをみなさんにお願いできるのです。」と伝えたら、何人かが「あっ」という顔をしてくれた。
挙手の結果、満場一致で挙手は一回だけ、という結果に至ったが、おまかせであるという理由で、何回手を挙げてもいいことにルールを設定した。
ここで、
数をどうやって数えるか
数えるのに挙手を用いて良いのかどうか
いったい何回挙手するのか
と言った細かいルール、つまり多数決のやり方をみんなで丁寧に決めようとしているのは、やり方次第で結果がずいぶん変わる場合があるから、とか、いつも誰かが決めたルールでやり始めることに慣れちゃっているのを打破したいからとか、そんな解説もした。
本来ならすべて体験して味わってもらうのだけど、時間がない。この子たちにこうして会って話ができるのも今日が最後。
そして彼らは大人びているから、ショートカットしても充分理解してもらえると踏んだ。
初めて見た絵本を選ぶことに抵抗がある子や、気になるとかよみたい本、という投げかけだけではなかなか選べない子がいると想定して、本の形や色などのデザイン、題名など、どんな気になり方、気に入り様でも大丈夫だってことを事前に伝えるように、友達からのアドバイスでし始めたことも話した。
何も選ばない、というのも立派な選択であることも、もちろん伝えた。
ようやく絵本を選ぶプロセスに到達した。
残り時間は7分を切っている。
もう1冊しかよめない。
「かんぺきなこども」が満場一致に近い数。
その他には3冊ぐらいにしか手が挙がらず、どれも3票以下。
1票しか入らなかった一つ目の絵本について、手を挙げた本人に理由を尋ねた。
よく見たら、去年僕が絵本をよみにいった教室にいたと言うことを微笑してうなづいて教えてくれたあの子だった。
僕は彼がつぶやいてくれたことを、そのまま繰り返してみんなに伝えた。
ここで多数決は民主主義における決め方の一つだけれど、その大前提は少数意見をも大切にしながら行うことだ、と伝えた。
さらに、たとえ自分の意見が採用されなくても、みんなに理由を聞いてもらえるかもらえないかで気持ちがずいぶん違うはず、ということも伝えた。
もう1冊、1票しか入らなかった絵本があった。
えっと、これは誰でしたっけ?と尋ねたら担任の先生だった。
先生も子たちと同じく参加してくれていた。
先生が選んで手を挙げたのは、アラン・セールの『子どもの権利ってなあに?』だった。
選んだ理由を尋ねたら
「みんなに子どもの権利とは何かを知ってほしいと思ったから。」
と答えてくださった。
知的で静かな6年生を相手にしていると、焦りで呼吸が浅くなって苦しかった。
実は、早く終わらせたい、という気持ちもそろそろ湧いてきていたのだが、この先生の一言で報われた気がするとともに瑞々しいエネルギーが身体に注入されたような気がした。
校長先生が途中から見ていらしたことは気づいていた。
教室の後ろ側の廊下の隅で、見ていらしたのだ。
よみ終えて控室に戻ると、校長先生が声をかけてくださった。
短い会話だったけれど、僕の亜流の絵本よみを理解してくださっているのがわかった。
「来年度も来て下さいますか?」と言われたので、嬉しかった。
【5年生】
自助、共助、そして?最後に公助??
だから、ってわけじゃないけれど、今朝もこの絵本をチョイス。
きいてくれたのは、5年生。
みなしご、という言葉が出てきたところでいつも絵本をよむのをやめて
「みなしごって言葉、聞いたことありますか?」
と子たちに尋ねます。
教室の中に孤児体験、擁護された体験がある子がいるかもしれないことも、踏まえつつ。
首を振る子が大半。
今朝もそうでした。
社会的養護を受けられていない孤児たちを、強盗たちが擁護するという、不思議で、皮肉で、でももしかしたら地球上のどこかで今まさに行われているかもしれない、話。
5年生たちは、何を感じただろうか?
家族から無理に引き離されて、または家族を殺されて孤児にさせられたあげく兵士やテロリストに仕立て上げられる子達が世界中にいるってことを、5年生たちはそろそろ知るのだろうか?
【6年生】
新年度初の絵本よみは、6年生の教室で。
気になる絵本をみんなで選ぶ恒例の絵本選挙は、挙手1回のみの結果と挙手複数回OKの結果のいずれも『せんそうがやってきた日』が多数を占めました。
が、しかし、今朝はなんと、3ページしかよめませんでした。
なぜなら、残り時間が2分を切っていたから。
記憶を頼りに、再現してみましょう。
待機していた図書室に迎えに来てくれた子たちに案内されて教室の前に着いたら「挨拶は◯◯◯◯ぜ!」みたいな大絶叫が廊下まで響き渡りました。
男の子が担任の若い女性の先生に向けて?叫んだところに出くわしました。
引き攣り気味の表情で恐縮する先生に促されて、状況がよくわからないまま、黒板の前に立ちました。
(挨拶をちゃんとしていない、いや俺は挨拶した、みたいなやりとりかな?などと想像しつつ)「起立、気をつけ、礼、お願いしま〜す。」という、いつもの挨拶を子たちと交わしました。
「さっき、挨拶の話をしてましたよね?」
こう切り出してから、声を揃えて一斉に挨拶をしない隣の市にある幼稚園の話(園長先生は子達に「自分のタイミングで、自分の言葉で挨拶しなさい。」といつもおっしゃる話)をしました。
そしてさらに、ある小学校の話をしました。
普段と様子が違うかどうかわからなくなるから元気な声での挨拶を強要しないようにしている(小さな声の子が小さなまま、大きな声の子が大きなまま、挨拶しない子がしないまま、毎朝一緒に並んでくる子たちが並んだまま、なら、いつもと変わりない、そうでなければ、何か変化があった、ということに気づけるよう観察するには、挨拶を無理強いしない方がいいと考えている)、そんな小学校が最近は増えているよ、という話です。
6年生のみなさんは、土に水が染み込むように、これらの話をさっと理解してくれた風でした。
(思い込みかもしれないけど、そんな顔つきになりました。)
「さて、おじさんと会ったことある人いますか?」と尋ねたら、教室の2/3以上の子達が手を挙げました。
6年生の子達は毎年2つのクラスしかないので、去年、一昨年の絵本よみで既に会っている子が多かったのです。
「ならば、会ったことがある人たちに尋ねますね。おじさんについて知ってること、何かありますか?」
「選挙!」
「選挙の人!」
「ええっ?」
「あ、あぁ、絵本の選挙のことね。憶えててくれたんだ。」
「うん!」
「はい!」
「憶えてた!」
(ニヤニヤしてる子が多かったです。)
「うんうん。そっか、ならば話は早いね。どうしよう、今朝もやりますか?」
「やる!」
「やって!」
(トランプとか、ゲーム類をやる前の、子達のギラつきぶりを、鼻の穴が広がってる様子を、思い出してください。)
ウエルカムじゃない子もいるだろな、と想像して、おじさんがよむ時間は他のボランティアさんたちと比べて亜流ですのでご容赦ください、来月の人にしっかりよんでもらってね、みたいな言い訳を冒頭にしました。
そして15分もあるのに大抵1冊しかよめない話もしました。
(1/3弱の子達は意味がわからずポカンだったでしょう。)
「今朝は5冊、持ってきました。他に2冊ありますがこれらは絵本じゃなくて、みなさんに紹介したくて持ってきました。豊田市には子ども条例というのがあるって知ってますか?」
「5年生の時に?」
「あぁ、なんか配られたよね。」
うなづいてる子が多かったので
「うんうん、いいですね、みなさんご存知みたいで。全ての自治体にあるわけじゃなくて、無い自治体の方が多いです。僕らが住む市には子ども条例があります。詳しいことが知りたい子は先生に聞いたり本をよんでみてください。子ども条例は、子どもの権利条約をベースに、ベースってわかるかな?ベースに、作られました。みなさん、ユニセフって知ってますか?知ってる?いいですね。これはユニセフが作った子どもの権利条約が学べるカードブックです。カルタやトランプみたいな大きさに、カットできます。
このウサギの本はつい先日届いたばかりの本で、子どものアドボカシーについて書かれています。
みなさんはアドボカシーって知ってますか?大丈夫です、知ってる大人もまだまだ少ないです。
例えば、病気で入院している患者さんが自分の気持ちを言えるように助けてあげたり力づけてあげたり、時には代わりに伝えてあげたりすることをアドボカシーと言います。子どもアドボカシーの場合は、子どもの気持ちや意見が伝わるようにサポートしてあげることですね。関心がある人はぜひアドボカシーについて、調べてみてね。」
「はい、お待たせしました。じゃ、気になる絵本を教えてもらいましょうか。まず1冊ずつ、紹介します。そのあと、1冊、選びましょう。」
「うぇ〜、やっとだよ。」
「(時計を見上げて)ふぅ、時間がもうあんなに過ぎた。」
「じゃ、急いでいきましょう。絵が気になる、題名が気になる、形が良い、全体的に何となく、など、選ぶ理由は何でも良いです。気に入った本がない場合は無し、で良いです。おじさんが勝手に持ってきた本だから、気に入らない場合もあるでしょう。さて、どうやって1冊に決めますか?」
「多数決!手は1回だけあげる!。」
「あら、さすが!ということは、何回手をあげるか選挙するのも知ってる?」
「うわー、そうだった!」
「手をあげる回数で、結果は変わるかな?変わないかな?」
「え〜、どうなんだろ?」
「やってみましょう。数を数えるのが得意な子、よろしくね。」
「1回だけ手をあげて決めるのが良いと思う人、手をあげて!」
「うわ、20人以上だよ。」
「次は2回あげたい人はいますか?」
「いないよ。」
「3回あげたい人はいますか?」
「いない。」
「4回。」
「1人いた!」
「5回以上は?」
「あっ、また手を上げた。4回にあげたじゃんか、あいつ。い、いいのか?」
「そっか、そっか、何回手をあげるか、手をあげて決めようか?」
「え〜」
「はあ?」
(先生、ようやく笑顔。凄くウケている。)
「マジか、めんどうくせぇ」
「やろう、やろう。」
「やっぱり時間なくなるから、やめましょう。」
「え!」
「やめます。ね、こうやって勝手に決めちゃうのを独裁と言うんだよね。さて、さて、少ない意見の人の気持ちや考えがおじさんは気になって仕方がないんだよね。民主主義は少数意見も大切にするからね。さっき、4回手をあげる、と、5回以上手をあげる、に手をあげてくれた子は、なんで手をあげたくなったの?」
「え、え〜と、何となく。」
「何となく!あるよね、そういう時!いろんな理由が混ざって何となく。説明できない時あるよね。」
「は、はい。」
「少ない意見は取り上げられにくいけど、理由は訊いて損はないよ。良いヒントがあるかもしれないから。」
「ふうん。」
「そうかもね。」
「あの、本をよむ時間が、、、どんどん、、」
「あっ、ほんとだ。先を急ぐね!
【6年生】
今朝は6年生のみなさんにこの2冊を読みました。
『トンちゃんってそういうネコ』
出版社からの内容紹介
トンちゃんはシマシマの元気なネコ。だけど、足がひとつない。でも、風のニオイをかいだり、チョウチョウをおっかけたりするのが大好き。全国の「読み聞かせの会」で大人気! 画家・マヤマックスのロングセラー大型絵本。
『かんぺきなこども』
出版社からの内容紹介
マカロン夫妻の家に、ピエールというこどもがやってくることになりました。
かわいくて、かしこくて、れいぎただしくて…。
さいしょのうち、ピエールはマカロン夫妻にとって、かんぺきなこどもにみえたのですが…。
するどいユーモアたっぷりに、「家族」について考えるきっかけをくれる、フランスの翻訳絵本。
【花の名前がついた教室】
花の名前がついた教室で、絵本よみ。
教室は二つあるんだけど、僕らよみ手の人数に余裕がない日は、一つの教室に集まってもらいます。
おかげではじめての子たちに会えました。
小さな子から大きな子までいたので、いちばん小さな子に意味がわかるような話し方で、自己紹介からはじめました。
そして、いつものようにみんなで絵本選び。
どうやって選ぼうか?
投げかけてはみますが、子たちから返事や反応がなかった場合は、声なき声に耳を澄まして。
澄ましてもわからない場合は、「ではおじさんにまかせてくれますか?」
と尋ねてみます。
「何回手をあげてもいいことにしましょうか。」
じっくりじわじわ、いきます。
不安にならないように。
じっくりじわじわ、楽しめるように。
15分、あります。
急がずに。
焦らずに。
先生は4人いらしたかな?
ごくごく自然に子たちに混ざって気になる絵本に手を上げてくださったので、嬉しかったです。
「題名、絵、本の大きさ、なんでもOK、気になるならば。」
決めにくい子もいそうだから、そうやって言います。
今回も
「もちろんどれにも手をあげなくていいよ。おじさんが勝手に持ってきた4冊だから。よみたいなって思わない時は何もしないでいいよ。」
と伝えたから、多分一回もあげなかった子がいたような気がします。
それでいいのだ、と思いました。
だってよんだことない絵本のことはわからないものね。
子たちだけの投票だと『いいこってどんなこ』が1位でしたが、先生たち全員の票が集まった『うごきません。』が、最多票となりました。
よみ終えて控室がある図書室に戻ろうとしたら、階段で僕が大好きな校長先生にバッタリ。
「今朝はこれをよみました。」と伝えたら、「あら、おもしろそうね!」と関心を示されたので、立ち話ついでに絵本を開いて、お忙しい校長先生向けに、教室とは打って変わって、ものすごいスピードでよんで差し上げました。
「わぁ、いいわ、この絵本!」
かなり、ときめいていらっしゃいました。
【路上にて】
小学校で絵本をよませてもらうようになり、路上にも出たくなりました。
路上を行き交う人たちにも、絵本をよみたくなりました。
絵本をよむことをどうやって伝えるかを考えているうちに、音で合図をしてみよう、と思いました。
雨が降る日に駅の通路のコインロッカーの横に椅子を並べて、座りました。
ギターとカフォンを鳴らしました。
歌を歌いました。
それが、絵本よみ楽団 猫と子は扉をしめない、が世に出た瞬間です。
前を通り過ぎた青年が、しばらくしたら戻ってきて、歌を聴いてくれました。
青年は、仕事や用事を済ませてただ帰るだけだったのかもしれないし、そもそも行くあてなんて、なかったのかもしれません。
とにかく、歌を聴いてくれて、「いいですね。」って声をかけてくれました。
【猫と子は扉をしめない】について
絵本よみ楽団 ”猫と子は扉をしめない”
「小学校での絵本よみを、街頭でもやりたい!」
「学校帰りの人に、仕事帰りの人に、大勢の人たちに足を止めてもらい、見ず知らずのみんなで、一緒に絵本を味わおう!」
「絵本は子たちのためのものだけど、子じゃなかった大人はいないよ。大人たちにも絵本を!」
「絵本には素晴らしいメッセージが込められているものがたくさんある!」
「尊厳、人権、非暴力、平和、多様、安心、自信、自由、対等、対話・・・愛。他にもたくさん!」
「そうだ!絵本に集まってもらうために、音楽をやろうよ!」
「やろう、やろう!ならば絵本よみ楽団だね!」
こんな風に始まった、絵本よみ楽団 ”猫と子は扉をしめない”が人前で初めて音楽を披露したのは、2019年9月にcafe mateini で開かれたこどものマイクけんきゅうかいの発足パーティーでした。
(こどものマイクけんきゅうかいは、子どもの権利条約12条にある”子どもの意見表明権”を保障する考え方をベースにした子どもアドボカシーを研究し、子どもアドボカシー文化を広めようとする集まりです。*)
絵本よみ楽団 ”猫と子は扉をしめない”は、この日をきっかけに、『みんなで子どもアドボカシー文化を築こう』という具体的なメッセージも発信することにしました。
10月には、ある街のNPOが小学校を借りて開催したマルシェにて、絵本よみブースを開きました。
小さな子たちが絵本をよみに集まってくれたり、一緒に音楽を楽しんだりしました。
いよいよ街にもでました。
冷たい雨が降る日に、大勢の人たちが行き交う駅の構内で、公開稽古を行いました。
気に入ってくれた人が足をとめて、声をかけてくれました。
その帰りに、STREET COFFEE & BOOKSに寄りました。
街の一角の、小さな小さなお店から始まる”良い気分”の”連鎖”によって、もしかしたら平和が作れるのではないか?という素敵なコンセプトのお店です。
美味しいコーヒをいただきながら、軒先で絵本よみ楽団が活動する日を夢見ました。
11月には名城大学名古屋ドームキャンパスで開かれたエデュコレ〜多様な教育の博覧会〜に出展しました。この日は音楽はしませんでしたが、子どもの尊厳、権利について来場されたみなさんと語りあいました。
グッズをつくることにしました。
kabo.で開かれた、こどものマイクけんきゅうかい主催の子どもアドボカシー講座より、ポチ袋の販売を開始しました。
(ポチ袋の売り上げは、こどものマイクけんきゅうかいの活動運営費にあてられます。)
とよたフェスティバーレへの出演も決まり、友人のアトリエで公開稽古を始めました。
おしゃべりしては歌い、歌っては絵本をよみ、絵本をよんではおやつを食べ。笑
ときには、同じくアトリエを利用するフラダンスマダムたちとご一緒しました。
”猫と子は扉をしめない”の名付け親は、東京の世田谷区にある、上町しぜんの国保育園の園長、あおくんこと、青山 誠さんです。
彼が彼の講演会でつぶやいた一言が、『猫と子どもは扉をしめない。』でした。
きままな猫。
きままな子ども。
よくある光景が心に浮かんできて、思わず微笑んでしまうのですが、扉をしめない、ってことは、”分断しない”、ってことだな、と気づきました。
扉で仕切られているということは、扉のこちらとあちらは”同じ”ではない、ということなのですが、いつでも通り抜けられるように、扉はいつも開け放たれているわけです。
扉はときには閉められるかもしれませんが、扉がまず在ること自体がそもそも尊いことで、さらにそれが閉められずに、いつも開け放たれていたならば。
そんな世界。
そんな世界は最初から在るのかもしれません。
最初から在るのに、忘れてしまっているだけなのかもしれません。
そんな世界は、僕らの中に在ります。
僕らの中から、始まり、広がります。
僕らは猫と子に学び、分断の無い世界づくりというヴィジョンを掲げました。
ヴィジョンとプロセスの一致は大切です。
絵本よみ楽団 ”猫と子は扉をしめない”の掲げるヴィジョンと、活動のプロセスは、常に一致します。
*アドボカシーとは:『人の懸念やニーズを支援するために代弁する行為である。人々が自分で語る声をもって いる場合には、アドボカシーとは、彼らの声が皆に聴いてもらえるよ保障することである。また、彼らが自分でしっかりと語ることが難しい場合には、アドボカシーとは、援助を提供することである。彼らが自分で語る言葉をもたない場合には、アドボカシーとは、彼らのために語ることである。(Herbert,1989)』
【絵本よみ】について
あなたがもし近所の小学校で絵本をよんでいる人たちから「よんでみませんか?」と誘われた場合、「ジュンみたいにはできないから私はダメだわ、無理無理。」と断念して断っては、いけない。
可能であれば、そして関心があれば、絵本が好きならば、ぜひやるべきだ。
僕の絵本よみは“亜流“だ、ということを書いておかねば、と思った。
僕が絵本よみヴォランティアとして足を運んでいるのは3校で、その他に残念ながらなかなか行けていないが「いつでもどうぞ。」とお誘いいただいている小学校が、2校ある。
その5校に絵本をよみに行く人たちの人数を合わせたら100人以上いると思うのだけど、僕みたいなやり方をしている人はいないと思う。
ほとんどの方は、たぶんこんな風にやっている。
自身がよみたいなと思う絵本を2、3冊、鞄に入れて、小学校へ。
(紙芝居を持っていく人もいる。絵本なしで語るだけなのもアリな学校もある。)
図書室や会議室などが控室として用意されているのでそこに向かう。
担当の教室で前月にどんな絵本がよまれたかを記録簿を見て確認し、同じ絵本をよんでしまわないようにする。
時間が来たら教室に向かう。(子たちが迎えに来てくれる学校もある。)
廊下に立つ。先生と目が合う。促されたら教室に入る。
与えられる時間は、挨拶の時間なども含めて、大抵15分ぐらい。
教室に入ってから子たちの醸し出す雰囲気でよむ順番を決める人もいるし、最初から決めて入る人もいる。
絵本をよむ間に子たちとたくさん話す人もいるし、とにかくできるだけたくさんの絵本をよもうとする人もいる。
長い絵本なら1冊だし、短い絵本なら2、3冊よめる。
淡々とよむ人もいるし、演劇の役者みたいに賑やかにやる人もいる。
感想を尋ねる人もいるし、尋ねない人もいる。
教室には子達とあなたの他には、担任の先生がいらっしゃるだけ。稀に教頭先生が写真を撮りにいらしたりはするが。
よみおえたら挨拶を交わし、教室をあとにする。
控室に戻り、記録簿によんだ絵本を記す。
子達の様子や絵本の情報などを書けるスペースがある記録簿もあれば、タイトルと作者だけ書く記録簿もある。
帰る前には来月の予定、つまり次回は何年生のどの教室でよむのか、または待機(急に来られなくなった人の代理でよむ係)なのかを確認しておくと、良い。
LINEやメールなどでグループが作られていることが多く、様々な連絡はそれを通じて行われることが多いが、そういうのを使わない高齢の方がよみ手として参加されている場合は、電話で連絡している模様。
あなたがもし誘われたら、ぜひやってみてほしい。すごく、楽しいから。
誘われなくても、学校に問い合わせてみたら、チャンスがあるかもしれない。
絵本よみをやっていない学校ならば、あなたが最初にやればいい。