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【ジェイの才能探訪#4】才能発掘①(INSIGH“T”S)〜大人が自然と決めている?!〜

 今回から“才能発見のための7つの質問+α”で得られた回答を紹介していこう。

① あなたがよく周りからほめられる、感謝されることはなんですか?

『だれかを助けた時』『お手伝いをした時』
 この回答がもっとも多かった。当たり前と言えば当たり前のような気もする。行った行動が認められる、称賛されると嬉しい。これは子どもも大人も一緒のように感じる。これで終わっては味気ないので、「ついつい人を助けるの?それともほめられるために行動するの?」と意地悪を追加で聞いてみた。

『ほめられると嬉しいからやります!』
 と答える子はいたが、少ない。

『相手が助けられて嬉しい顔をしているとこっちも嬉しい。』
 なんと素晴らしいいことか。こう行ったピュアな心には心が洗われる。

『困っていたり、作業が止まっていたりしている姿を見ると、つい手伝いたくなるんです。』
 人間の鑑である。頭が上がらない。

『親から人を助けなさいと言われていて、自然とやっている。』
 始めは親から言われていたことを実行していただけだっただろうが、今では成功体験が強化され自然と身についていることは、なんと素晴らしいことか。

『絵が上手い』『ピアノが上手に弾ける』『字をキレイに書ける』『手先が器用』『足が速い』
 これらは一般的に「○○の才能があるね〜、○○の才能を持っているんだね。」など一般的に才能と定義されている行動であろう。生まれ付きの特性であるにせよ、習い事等で身に付けた特性であるにせよ、自身の特性に自信を持って回答している子どもが多かった。

『チームスポーツで活躍できた時』『ホームランを打てた時』
 秀でた結果を残した時、誰が見ても称賛に値する行動をとった時は、周りから認められやすいのだろう。

 ここで個人的に気になったものを紹介する。
『平等に人に接すること』『よく周りを見て手助けする』『何か人のために行動する』
 一見なんの変哲もないように見える。しかしよく見てみると“平等”や“よく”、“人のために”という言葉が出てくる。こういった言葉が自然と子ども達の心から出てくれば素晴らしいことだが、おそらく外的な指摘によって形成されたものではないかと考察できる。

 正直“平等”という言葉、語彙は子ども達から自然発生的に出てくるとは考えにくい。周りの大人達が“○○ちゃんは平等に接していて偉いね〜”などと評価されることによって、価値ある行動だと定義されたのではないだろうか。

 また、先ほど出てきたような、親に言われて行動が強化されたケースや、これまでの生活経験で成功した行動を反復しているケースは、周りの人に称賛または指摘を受けて繰り返しの行動に表れているものがあるのではないか。例えば、そのフィードバックの言葉の中に“よく〇〇しているね〜”“人のために〇〇するなんてすごい”などが入っていたのではないだろうか。

 いずれにしても外部からのフィードバックに呼応するかのように子ども達の繰り返しの行動が規定されるものもあるだろうと感じた。


 最後に
『ないです。』『良いところはありません。』
 と回答する子どももいる。しかもそういった子達は、どこかオドオドしていたり、表情にも覇気が感じられなかったりする。周りの先生方からの評価も高くない。“✖️✖️くんはこういった所駄目だよね…。”これでは自己肯定感も上がらない。

 ところが私は、『ないです。』と子どもに言われるとつい嬉しくなってしまうのである。決してネガティブ発言を嬉しく思っているのではない。こういった子ども達は、これから無限に掘り下げられる可能性が広がっていると感じ、嬉しくなってしまうのである。

 #1でも書いた通り、全ての人には才能がある。才能が無いように見える人は、まだ見つかっていない、上手に活用できていないだけなのである。『ない。』と答えた子ども達もそうである。それを間近で観察できる、発見に関われると思うと、ワクワクが止まらない。実際、②以降の質問では、子ども達に前のめりに質問してしまってた。

 現に、上記した外部からのフィードバックで、繰り返し行動に結びついている子ども達も表れている。私も子ども達の行動や特性を適切に価値付けし、才能発掘に寄与したいと考えている。


【まとめ】
・称賛等を受ける行動は繰り返しの行動を取りやすい。(当たり前)
・子どもが意識してなくても、外部(特に大人)からの評価によって、繰り返しの行動になり得る。
・繰り返し行っている行動が『ない』と答えた子どもにも可能性が無限に広がっている。

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