アキちゃんへの手紙
白い息を弾ませて玄関のドアを開けた。
封書の裏には、懐かしい名前が書いてあった。
「アキちゃんから手紙が来てた!」
アキちゃんというのは、幼馴染みの女の子。
色が白くて瞳と髪が明るい茶色で。
髪が少しだけクルッとしている感じがフランス人形みたいだと、菜津子は思っていた。
「アキちゃんって、山城さん?」
キッチンでサツマイモを煮ていた母が、声だけを放り投げてくる。
「そそ!引っ越した後も文通してたあの、アキちゃん!でも、お返事貰うのは七年ぶりかな。よかった。覚えていてくれたんだ」
菜津子は大きなお腹を揺らしながら『よっこらしょ』とコタツに足を入れた。
菜津子が小学二年生の時に田舎に引っ越してからも、アキちゃんとは手紙のやり取りをしていた。
今思えばその頃は、パソコンも携帯電話もなく、電話代が気になる時代だったので、一週間おきの手紙も「頻繁」の範囲だったように思う。
今流行っていること。マイブーム。
親のこと、友達のこと、気になる男の子のこと。
少し距離があるからこそ「なんでも話せる」という空気感があり、深い悩みも、つまらない話しも、なんでも気軽に話していた。
時々写真を同封して、お互いの成長を楽しみながら、いつか会える事を楽しみにしていた。
そんな10年間を過ごし。
菜津子は、大学進学に伴って都会で一人暮らしをはじめた。
「大学の時に会わなかったの?会えない距離じゃなかったでしょ?」
母がエプロンの裾で手を拭きながら顔を出す。
「うん。電車で一時間くらいの場所だったけどいつでも会えるって思ったら、逆に後回しにしちゃって」
ところが、大学二年になった冬頃から、突然、彼女からの手紙が途絶えた。
勉強以外にも遊びやバイトで忙しい日々を過ごしていたので、お互いに手紙のやり取りが少なくなってきていた。だから、手紙が途絶えた時も、就職活動とかで忙しいのかと思い、菜津子はさほど気にしていなかった。
そしてそのまま、菜津子も就活や就職で環境が変わり。
二人の文通は途切れたままだった。
「それでも、私は暑中お見舞いと年賀状は出し続けていたのね。でも、ずっと返事が来なくて。アキちゃんは変わってしまったのかもしれない。そう思って、年二回のハガキも出さなくなったの」
そしてこの冬。
妊婦になり、母親になる事を意識した時。
自分が子供だった時のことを思い出し、菜津子は勇気を出して三年ぶりに年賀状を出したのだ。
その返事が、今、来た。
「なんて書いてあるかな。『久しぶり!元気にしてた?』かな。いや、久しぶり過ぎるから、よそよそしく『お久しぶりです』かな?」
菜津子はワクワクしながら、そっと丁寧に手紙の封を開けた。
出だしの文章は「大変ご無沙汰しております」という、想像以上にかしこまったものだった。
「まぁ、そうよね。七年ぶりだもの」
菜津子は、さほど驚かずに読み進めた。
—— 小さい頃、よく一緒に遊んでもらった記憶があります。お父さま、お母さまもお元気でしょうか? ——
どれだけ昔の事のように言うんだ。
というか、そんなに私の事は過去の事なのか?と、菜津子は首をかしげた。
まぁ、確かにお互いにもういい歳になっている。久しぶりという照れ臭さもあるのかもしれない。そして何より、お互いがどうなっているのかを知らない状態だ。
しかし、同時に菜津子はその、久しぶりの年賀状に思いっきり「久しぶり〜!元気?」と、馴れ馴れしく書いていた事を思い出した。
「やらかしたなー」と、菜津子は独り言を言いながらおでこを軽く叩く。
—— お返事ができなくてごめんなさい。どうしても気持ちの整理ができず、しばらく閉じこもった日々を過ごしておりました ——
そうか、何か大変な事があったんだな、と、菜津子は思った。
いつも元気で前向きなアキちゃんがそうなってしまうような事だから、よっぽどの事だったのだろう。と、心配すると同時に、返信ができなかった理由を見つけてどこかでホッとしていた。
私の事を忘れてしまった訳ではなかった。
それが、何より嬉しかった。
そして、次の文章を読んだ時に。
菜津子は一旦大きく息を吸い込み、そのままの状態で。
時間が止まった。
—— 実は、昭世は20歳の成人式の日に息を引き取りました——
その時、弾かれたように横に置いてあった封筒の裏の名前を確認した。
山城昭子
『昭世』ではなく、母親の『昭子』の名前だった。
思い起こせば、最後に貰った手紙は暑中お見舞いだった。
菜津子は、コタツから這い出ると、押し入れの奥に仕舞ってあったクッキーの缶を引っ張り出し、蓋を開け、手紙の束の一番上に乗っているハガキを手にした。
—— ちょっと身体を壊して入院しちゃいました。久しぶりに会うのに、病み上がりでは嫌なので、元気になったらまた、会う計画を立てましょう! ——
そうだった。
菜津子は彼女と七年前の夏休みに会う約束をしていたのだった。
ただ、彼女が風邪をこじらせて入院してしまったと言うので、延期にしていた。
—— 昭世は、癌でした。スキルス性で、あっという間でした ——
突然、菜津子の目にドッと涙が溢れ出てきた。
成人式の日。
華やかな晴れ着を着て、皆んなで盛り上がっている日に、彼女は息を引き取った。
まだ学生だったので、就職もしていない、結婚もしていない、子供も産んでいない。
恋はできただろうか?
青春を感じることはできただろうか?
笑っている日々はたくさんあっただろうか?
菜津子は、両手で顔を覆って咽び泣いた。
「なになになにっ。どうしたの?」
その様子に気付いた母が、菜箸を持ったまま駆けつける。
「あのね。あのね。アキちゃんはね……」
私の事、忘れた訳じゃなかった!
その部分は声にならなかった。
グーっと、菜津子のお腹が鳴る。
同時に、お腹の中からグイッと足で蹴るような振動が伝わってきた。
「とにかく、サツマイモ、食べようか」
手紙に目を通した母が、目頭を押さえながらキッチンに消える。
この後、菜津子は母と一緒に無言で大量のサツマイモを食べ尽くした。
—— サツマイモ。
食べすぎちゃってお腹パンパン!
お腹の子も「食べすぎだろ!」ってお腹を蹴ってるわ ——
菜津子はコタツの横で寝っ転がったまま、心の中で、アキに手紙を書いた。