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「真」と「偽」

最近思うこと。

話に尾鰭がついてまわるのは、昔からよくあることですが、最近の尾鰭はすごい。

「こうなったら怖いねー」が、「こうなるらしいよ」になり、「こうなったんだって」になっている。

正直、「はぁ?」です。

「人」に対する情報の受け取り方もそうです。

人の印象というのは、人によって受け取り方が違うと思っています。

その人が万人に「こんな風に見られたい」と完璧に演じきっているとしたらまた別で、それはそれで凄いと思いますが、

家族、恋人、友達、上司、部下。接する相手によって見せる自分が違う。

万が一どこでも同じように演じきっていたとしても、その姿を好きな人、苦手な人がいると思います。

よく、「○○さんって、こういうところがあるんだよ」という話しになる時があります。

そんな時は、良い話しであれば「へぇ!そうなんだ」と、素直に受け取りますが、良くない話しである時、多少の陰口である時は、聞き流すようにしています。

私は、自分が見ているそのままを「その人」として受け取りたい。それが全て。

もし、その人が私の前だけ違う人格を見せているのだとしても、それはそれでいいと思っています。

付き合っている途中で違う面が見えてきたとしても、その時その時で受け止めていけばいい。

他の人の評価を鵜呑みして最初から付き合い方を変えてしまうのも変だな、と思うのです。

親、友達、先生、ワイドショーのコメンテーター、評論家、政治家、そして世間とか。

周りがなんて言おうと、私は私が見て感じたままを信じていきたい。

接したことも無い人をあれこれ評価したり、自分が感じたことを他人に押し付けたりすることだけは避けたいと思っています。

他の人から見たら嫌な人であったとしても
私が接してみて嫌だと感じなければ「私にとって嫌ではない人」

「気をつけな。そのうちボロが出てくるよ」
そう言われても、実際、そのボロを目の当たりにするまでは気にしない。

ニュースやワイドショーで、犯罪者のことや、タレントさんがどうとか、政治家の方がどうとかいろいろな話しが流れてきても

自分が直接会って話している姿を見て判断しています。

そういう機会がなければ、「ふーん、そうなんだ」くらいで、自分の判断基準には加えない。

そして、自分の判断基準や価値観を人に押し付けたりしない。

鑑定やセッションでお相手の話しがでてきても
私はそのお相手の方を知らない。

そのお話しが全て本当かどうかもわからない。
ただ、その方にとってのお相手は、そのように見えている。←これが真なんですね。

そして、私にとっては、そのお話しをしているその方のお姿が真。

話の内容がどうとかではなく、その話しをしているお姿の方が私にとっては重要なんです。

自分にとっての真と偽。

情報過多の今の世の中、しっかりと見定める習慣をつけておくといいですね。

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